|||||『非戦の人 ジャネット・ランキン』|||

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メアリー・バーマイヤー・オブライエン/著
原書:Bright Star in the Big Sky
副題:アメリカの良心と呼ばれた女性
訳:南部ゆり+安斎育郎
水曜社 2004年

 ジャネット・ランキン、1880年、モンタナ州に生まれる。明治13年に相当する。北でカナダ国境と接し、西にロッキー山脈、東に大平原が広がるモンタナは、「アメリカ合衆国」の正式な州になっていない開拓の時代だった。
 1892年、ジャネットは12歳になっていた。冬が長かったため、ジャネットの家族は暖炉のまわりによく集まった。

p13
//ジャネットは、彼女の両親やその友人たちが交わす知的な会話を聞き、学校より多くのことを学びました。彼らは、よく暖炉の周りに集まり、政府や歴史、そしてはるか離れた場所のことなどを語り合っていたのです。時々、彼らは平和を愛したネズパース族インディアンの長(おさ)、ジュセフの物語を話してくれました。晩年、ジャネットは、逃走する彼の部隊がアメリカ軍兵士に追跡され、ついに捕らえられた時に、彼が示した控えめな勇敢さを思い出しました。戦争よりも平和を選び、「もう永遠に戦いません」と言った彼の言葉を思い出していたのです。//

 1916年、ジャネット36歳。モンタナ州から国会議員(下院)に選出される。といっても、女性の参政権を、合衆国はまだ認めていなかった。
 参政権を認めるよう訴えたジャネットたちの運動前史があり、1914年、州議会は女性参政権をついに認めた。
 ジャネットが政治に関心を持つようになったのは、貧困に対する社会福祉事業や子どもたちを労働から解放したいという願いからだった。そのため、自ら参政権の獲得から運動を起こさざるを得なかった。
 まだ「議員」ではなかったその彼女が、連邦議会つまり国の下院議員に立候補するという。人々は驚いた。彼女の得た名声は、合衆国史上初めての、たった一人の国会議員を誕生させることになる。

 下院議会での投票は、議員本人の名前が呼ばれ、その場に起立し、賛成・反対の意思を声に出して言う。折しも、「第一次世界大戦」参戦に賛成すべきかどうか、議会に求められているときだった。世論は参戦すべきに傾いており、賛成しなかったら人々の反撥(はんぱつ)は必至だった。

p42
//「ミス・ランキン?」
 女性議員としての6日目の日、ジャネットは自分の名前が呼ばれたとき返事をしませんでした。彼女は議会で最初の投票をするように求められていたのです。下院の書記が彼女の答えを待っていました。それにしても、彼女がこんなに早く、その苦しい決断を下さなければならないと、誰が想像したでしょうか?//

p45
//彼女は、戦争のもたらす悲惨さや悲しみや絶望について考えました。すでにヨーロッパで亡くなった多くの兵士たちのことを頭に浮かべ、全うできなかった短い命に思いを馳せました。
 彼女はボストンのスラム街で見た子どもたちのことを思い起こし、また、生活環境を改善するために議会で新しい法律が成立することを必要としている他のすべての人々のことを考えました。//

 緊張した議場で、多くの人たちがジャネットに視線を送っていた。とうとう「反対」の意思表示を行う。

p46
//「ミス・ランキン?」と、書記がもう一度呼びました。
 ジャネットはすっくと立ち上がりました。大きく息を吸って、静まり返った議場の隅々に自分の声を響かせました。「私は祖国とともにあります。しかし、戦争には賛成できません。反対票を投じます」と言いました。//

 彼女の他に49人の議員が「反対」を投じたと報告されている。しかし、ジャネットだけが非難の矢面に立たされた。
 1918年、彼女は、女性参政権を国中に広げるために合衆国憲法の修正を求めた。このときは下院で賛成可決したものの上院で否決され成立に至らなかった。翌年、別の決議が行われ、アメリカ国民の女性は参政権を初めて得た。
 しかし、任期を終えての改選選挙では、第一次世界大戦参戦での反対票の怒りがおさまらず、落選してしまった。

 その後、ジャネットは、平和活動のために、ほとんどの時間をあてた。
 1940年11月、彼女は、2度目の下院議員に選出される。
 そして、またもや、今度は「第二次」世界大戦。日本軍による真珠湾攻撃に対して、その翌日、1941年12月8日(アメリカ時間)の議会は日本に対する宣戦布告の意思を求められた。

p6
//日本国民に対して、アメリカ国民からの力強い全員一致の声明を送ることができるように、多くの人々は議員全員が参戦に対して「賛成」票を投じることを望んでいました。//

 このとき、反対票を投じたのは、ジャネット唯一人だった。群衆は怒り、脅迫を受ける日々が続いた。1973年、93歳で彼女は亡くなった。
 晩年、この反対票について後悔したことがあるかどうか尋ねられたとき、彼女は、次のように答えたという。

p9
//「あなたが戦争に反対であれば、何が起ころうとも、戦争に反対すべきです。戦争は紛争を解決する手段として間違っているのですから。私は、今日も、明日も、そして永遠に戦争に反対の票を投じるつもりです」//

 非難の洪水にあっても少数の支持があった。リリアン・スミス(作家)は次のメッセージを送った。

p9
//「あのあなたの小さな一票は、暗闇に輝く星のように際だっていたわ」//

2023.8.21再録
2007.7.13記す

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