||||| 山口昌男「野性の絵本」|||

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叢書児童文学 第2巻「絵本の時代」
+ 責任編集/今江祥智
+ 世界思想社 1979年
+ p7-17 に所収

p11
//こうした変身について多木浩二は『生きられた家の中』で、センダックについて触れ乍ら、エルンスト・ブロッホの夢想についての次のような言葉を引いている。
遊ぶことは変身することである。〔以下、略〕」(出典不詳)。//

p14
//この彼の中の「子ども」は、ある意味で、精神が表層から、深層の現実に達する助けをなすもの、ユンク風に言えば、「神的な子ども」、日本神話においては大国主命に対する外魂としての少彦名命といった存在であり、まさに大人の魂が無垢の性質を帯びて「失われた時間」の回復を遂げるのを助ける役割を果たす。「失われた時間」は、日常の目覚めた意識にとっては混沌に近いものとして映る。//

p16
//スカトロジーこそ、幼児が大人の世界のきれいごとの道徳と秩序を逃れて、はじまりの混沌の世界に立ち還る最も有効な戦略であることは、改めて強調するまでもないであろう。それは、ふつうの人が乾いたもの、管理の行き届いたものに対置してその上で排除しようとする、「ぬめぬめとした」感覚、泥、あらゆる人為的な区別の排除、本源的な接触の感覚を喚び起こすものである。
 この点について子どもと泥との本源的関係について本田和子氏は、「泥は、人の意識によって『古』を刻印され、辺境に押しやられた。それは温かく抱擁力に満ちていて、類いなく豊饒でもあるが、『今』からは遠い」、と規定しながら、泥が子どもを、無意識を介して本源的世界に連れ戻し、想像力の諸機能に自由な飛翔力を与えることを説き明している(本田和子他『保育現象の文化論的展開』3-12ページ)//

p17
//人間を深層において捉えるモデルは、18世紀以来、人類学が空間的距離を梃子にとって開発し、深層心理学が、病める精神を手がかりに浮上して来た兆候を解読することによって深まりを見せて来た。今日歴史学もそうした方向をめざすようになって来ている。子どもの世界こそ、人間意識の深層の構造が表面化する第三の領域である。センダックのような子どもにおける野性の思考を再現することのできる芸術家──それは多かれ少なかれ「いたずら者」の精神を分有している──は、この未知の経験の領域を解読する最も頼りになる導者であるといえよう。//

p17
//(本稿は『朝日ジャーナル』1977年3月11日号掲載の論文に若干加筆訂正を加えたものである)//

2023.9.2記す

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