||||| 創作された通学路:駒ヶ根市 |||

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 ぬくもりの小径~とおりゃんせの小径~わらべうたの小径~みちくさ広場と名づけられた全長1.4kmの通学路(総額約6億6000万円)が1994年に建設されている。

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仙田満ほか『子どもが道草できるまちづくり』学芸出版社 2009年
p209~211 担当執筆者:椎名文彦〔下段↓参照〕
節タイトル//通学を楽しめる田園の通学路──長野県駒ヶ根市//
p209
//この小学校の通学路の一部ではあるが、子どもなりの体験を可能にする通学路再生の試みとしては十分な示唆がある。
 第一に、クルマの規制である。一つの集落を通過する道(約100m)以外は、完全に車両進入禁止である。市道と並行する所でも、車道と歩道が完全に分離しており、通学路が遊歩道になっている。車道に対する「補道」ではない位置づけがある。
 第二に、地域の地形を活かすことである。自然の地形を上手に取り入れた通学路で、適度な高低や曲がりがあり、竹林・小川・田圃・集落・木橋・広場・小屋・牛舎・雑木林などが子どもなりの体験の場を提供している。
 第三に、地域住民・保護者・教職員・教育関係者の理解である。車規制という不便さへの理解、一見無駄と思える子どもの「道草」を許容する気風への賛意などが地域懇談会や「三校制研究委員会」等で論議され、合意に達したのである。当時の校長先生は「卒業するころにはなぜこんな通学路ができたのか、その意味を理解するようにもなると思う」と、通学路を子どもの手に戻すことに期待を表明していた。
 第四に、市教育行政担当者の配慮である。市街地の拡大に対応する新たなまちづくりの一環として通学路を構想し、施策として具体化できたことは、地域住民の合意と行政の積極的な対応との結実である。//
p210
//そこには、次のような通学路への思いと願いがあった。
 「子どもが道草して自由に遊ぶことがたくましさにもつながるはず」(市教育長)
 「失われつつある子どもの遊び心を取り戻したい」(市教委)
 「思えばわれわれが小さいころは、道草をしながら、いろいろなことを覚え、いろいろな発見をしたものだ」(市長)
 こうした思いや願いは、まだ多くの人々の中にある。今なら、単なる「回想」に終わらせずに具現化できる基盤があることを示した。
 地域には様々な特有の条件があり、そこに住む地域住民の合意もそれに一定の制約を受けることを前提にしながらも、これら「四つの示唆」は、通学路を再生する基盤と派生する課題を明らかにした。
 この事例は、これまでの地域が新たな学区としての地域を創り出すために発揮した地域の力であり、その中心に次代を担う子どものための通学路を位置づけたことに意義がある。//

椎名文彦(しいな・ふみひこ) ※本書の発行当時
元公立小学校長。1948年千葉県生まれ。2008年3月まで千葉県内の私立・公立小学校に勤務。子どもの交通安全に資する活動の研究実践に取り組み、通学路に関心を持つ。著書に『交通安全教育小史』(新生出版)、『「通学路」の話』(文芸社)他。


1994年当時から約30年が経過している。通学路の現在は……? Googleマップによれば、小径の名称は今に続いている。気になるなあ……。

下2枚は、駒ヶ根市役所 Facebook 駒辞苑23『ぬくもりの小径』より

赤穂南小学校校区安全対策必要箇所図(2021年7月)
PDFファイル: 1.9MB 駒ヶ根市

国土交通省提供:赤穂南小学校通学道路(PDF)

阪神間あるまちの、通学路と登校班

 「登校班の人数が80人」という話を耳にした(阪神間A市の事例)。
 わたしの場合、小学生のとき(もう60年も前のことで参考にならないが……)全校生は2千人を超える当時でもマンモス校だった。学校に近づくと、子どもの声であふれかえっていた。当時の登校班は20人くらいだったように記憶している。学校から帰ったら、あるいは休みの日、遊んでいるいつもの仲間がそのまま登校班だった。男と女のあたりまえの混成チーム。男女は別々に遊んでいることが日常だった。その意味では日頃の遊び仲間ではないけれど、名前は知っていた。1年生も6年生も入り混じり、いわゆる異年齢で遊び集団が成り立っていた。
 「80人の登校班」と知らされ、さらに、登校班は小グループに班分けされているという。同じ「登校班」の名称でも、中身はどうやら違うようだ。スクールガードなど保護者が随伴することも昔はなかった。
 6年生になったら班長の役割がまわってきた。遊び集団の「がき大将」は班長にもなった。このことをノスタルジアで済ませてよいものだろうか。
 大勢で遊んでいる子どもの風景を見かけなくなって久しい。登校班という名称は引き継がれているが、子どもの集団を理解する上で「集団の心」は形骸化しているのでは?と、思ってしまう。6年生に「集団の心」を牽引させることは、無理な状況になってしまっているのかもしれない。
 ちなみにA市のこの事例では、上述の駒ヶ根私立赤穂南小学校の通学路と同様、クルマとクロスする箇所は極めて少ない。しかしながら、80人という大きな集団は別で大きな課題だ。通学路は優良だが、通学に伴う今日的な難題をかかえているように思う。

2023.11.20記す

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