出来事を時系列に並べる。年月を超え、世紀を超え、長大な時系列を為したとき、それを「歴史」と呼ぶ。
新明解国語辞典第三版・見出し「歴史」
//現在残されている物から知ることの出来る、人間社会の移り変わりの過程や、そこに見られる個個の出来事。//
広辞苑第三版・見出し「歴史」
//人類社会の過去における変遷・興亡のありさま。また、その記録。一般に、物事の現在に至る来歴。//
時間の流れに沿って捉えることを「れきし」と習慣的に言い習わすが、実際のところは、いつも歴史”全体”を思い描いているのではなく、念頭にあるのは個別の事象だろう。「歴史に学ぶ」ということは歴史年表を記憶することではなく、興亡等をどう捉えるかということが関心事になっているはずだ。その関心事に焦点を合わせようとするとき、どこかで区切って考えようとする。それが構造主義的に(考える/捉える)ということだろう。
時間軸としては連続しているのかもしれないが、構造主義的に歴史を捉えるとき、思想的には必ずしも連続しているとは限らないような気がする。
2024.6.11記す