||||| かつては誰もが体験した、桑の実とホタル |||

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 桑の実が熟すシーズンが到来した。といっても、知らない人がほとんどかもしれない。「山の畑の、桑の実を小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか」──三木露風「赤とんぼ」の第2節だ。この詩が誕生した時代背景は、どこにでも桑があったからだろう。しかし、今は、みつけるのが大変だ。桑ときけばカイコを連想する人がいるかもしれない。

 お蚕さんと敬称で呼ばれていた。何千?何万?いるのか知らないが、その蚕室(さんしつ)に入ると、ムッとする空気に迎えられる。なんと!お蚕さんが桑の葉を食べる音がする。それを20代で私は体験した。40年以上昔だ。そうした産地の桑の木は葉を取りやすいように低く育てる。低い木には、実がならない。大木に実がなる。だから、里山では、桑の木であっても、実がなるものとならないものがあるらしい。これは、その現場で聞かされた話なので確かめたわけではない。そのとき、ありがたいことに、私は実を食べた。口の中かが紫になった。甘酸っぱい味だったと憶えているが、これはもう確かではない。

 さて、この桑の実を食べる体験を子どもにさせたほうがよいのかどうか。と言っても、その桑の実をみつけるのが困難だけれど……。なぜ、こんな文を書いているのか。エッセイを書きたいわけでない。かつて、童謡にも唄われるほどに知られていた桑の実を、今では誰も知らない。草笛を誰しも鳴らしていたのに、今は誰しも鳴らせない。子どもの「遊び」の必要性を訴え続けている私にとって、諦めるのがつらい。珍しいことをさせたいわけでない。皆が体験していたことを、その体験なくしておとなになることの不足が重大に思えてならない。

 ホタルも、そうだ。ホタル体験のできるところはどこかとおたずねをよく受ける。けっこうたくさんの場所で復活しているようだ。観光にシフトして話題にされているところやひっそり穴場もありそう。あたりがすっかり暗くなった田園で、人っ子ひとり通らない静かな田舎道でホタルが光る。ひとつ、ふたつと数えているうちに、そのうち舞い上がり、やがて数えられなくなる。手にのせても、その重さをまったく感じない。ピーカ、ピーカと点滅させて、腕を這う。子どもに体験させたいのは、これだ。いのちの重さを知らせるに、欠かせない体験だ。

  • 桑とカイコの体験
    • 兵庫県北部、旧の小代(おじろ)村、矢田川上流域で1970年代前半
  • ホタルの体験
    • 同上に加え、熊本県坂本村百済来(くだらぎ)球磨川支流域で1960年代後半

2019.6.3記す

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