||||| 師匠「伊藤友宣」|||

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  • 伊藤友宣 いとう・とものり
    • 1934年生まれ
    • 2007年死去

 師匠といえる人は、経営やマネジメントを教えてくれた故・橋本秀緒さん、自然とのつきあい方を教えてくれたたくさんの先輩、まちづくりを教えてくれる現在進行形のMさん、親の子育てを通じて社会をみる目を培った故・伊藤友宣さん、詩や童謡を学んだ故・千家加寿さん。「自然」の師匠は「自然」で、同じ意味で「乳幼児=子ども」の学びについては「子ども」が師匠だ。師匠は、いるものだし、いたほうがよいと思う。

 友宣さんと最初に出会ったのは、27歳のとき。守屋光雄(当時、北須磨保育センター所長)の紹介でAさんを知り、Aさんと初めて友宣さんの「相談室」(神戸市兵庫区)を訪ねた。Aさんと友宣さんとは、そのときが初対面だった。頭を下げて挨拶し、ソファーに座った瞬間、友宣さんはAさんに質問した。「終戦はどこで迎えられました?」 当時で、1977年-1945年(敗戦の年)=32年経過している。私は戦争を知らない。この問答に驚いた。今もしっかり覚えている。友宣さんの性格と精神史がここに反映されている。

 なぜだか理由はわからないが、若かった私をことあるごとに「相談室」に呼んでくださり、カウンセリングの風景を垣間見ることが多くなった。「四金席」というネーミングの会合が月1回あった。その初回から私はメンバーに加わっていた。第4金曜日の集まりなので「四金席」と名づけ、友宣さんは名称を自画自賛していた。夜の集まりで、四金席には、親子や教育の問題、高名な心理学者、児童文学者らが集まった。

 友宣さんの年賀状を私がパソコンで作成したり、著書の販売で二人三脚のようなときもあった。何するわけでもなく、「相談室」で入り浸り状態のときもよくあった。友宣さんは、講演にもよく出かけていた。講演先で無茶なことを要求するためか、その苦情をよく聞かされた。終戦時の出来事を単刀直入に質問したように、四金席でも、質問や議論は直球だった。

 著書は絶え間なく出されていたが、どれも金太郎飴で生活のための果実だと思う。『親と子 この予期せぬ人間関係』(1976年 ※リンクはpdf)が最も優れていると、私はお勧めしたい。

2019.6.23記す

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