||||| 戦争になる……という恐怖体験 |||

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 1964年、中学2年のとき。
 風紀委員は紅白の腕章を腕に巻いた。クラスに2人しかいないはずなのに、桜隊(さくらたい)は、いったい何人いるのかと思うぐらい大勢が腕章をつけて練り歩いた。そのクラスの担任はS陽三。社会科教師で2年のときは歴史を学んだ。

 「聖徳太子」に始まり、「大東亜戦争」まで毎月レポートを書かされた。覚えている限りでは、「南北朝時代」「明治維新」「日清戦争」「日露戦争」「満州事変」……。「大東亜戦争」と表記するように強要された。神戸大学出身でクラブはボクシングをしていたらしい。20代の若い教師だった。
 戦争は10年ごとに起きていると教えられた。1945年の”終戦”から19年目で、私は恐怖をおぼえた。いつ戦争が起きてもおかしくなく、戦地に向かうのは自分たちと思ったからだ。

 「大東亜戦争」を提出して、当時の戦争を肯定するか反対するかの討論会も行った。アクティブラーニングのようなものだが、そんな先駆的なものでなかった。私は肯定派に回った。懸命にレポートを書いた。思想教育と言えるだろう。恐ろしい。
 レポートを提出しない者は、黒板拭きで往復びんたの制裁だった。体が飛ぶほどに強烈だった。叩く前に「歯をくいしばれ」とSは言う。今なら間違いなく懲戒を受けるだろう。熱血漢で、転任先のU中学赴任時、とうとう懲戒免職になった。

 10年ほど前、卒業以来、Sを自宅に訪ねた。彼は、護憲派に「天誅を」と言っていた。免職の結果だろう。貧素な暮らしぶりだった。しかし、思想は変わらずだった。私は、このとき、護憲を主張して中学時代の挽回をはかった。

山田利行 2019.7.9記す

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