||||| 初めて食べた |||

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レタス+おから

 1960年頃だった。小学生時代で、飼育クラブに入っていた。朝の当番はウサギに餌をやるために近くの市場(神戸市兵庫区の平野市場)に行き、不要な?あるいは余った?野菜をもらいに行った。登校して始業時間が始まる前だったから午前8時頃かその前だったとなんとなく覚えている。
 大根の葉などがメインだったが、あるとき丸い野菜をもらった。ウサギは喜んで食べる。それがレタスだった。自分も食べたいと家に帰って親にねだり食べられることになった。

 同じウサギ当番のとき、市場でもらったものに、おからがある。子どもが当番で回るものだから可愛いと思ってくれたのかもしれない。湯気のあがった熱いこれも丸いものをもらった。手にして熱かったことを覚えている。おからをウサギの餌にあげろ、ともらった。学校に帰ってもまだ湯気が上がっていた。こんな熱いものを食べるのかなと思ったが、すでにいくらかでも冷めていただろう。ウサギは喜んでうまそうに食べた。

ミョウガ

 山奥で数泊したとき、それは1960年代半ば、中学生時代。日が暮れると灯りをとる電球は一つだけだった。ロウソクを点して灯りを増やすほどの深山だった。夕飯のときは灯りに虫がやってきた。ロウソクの灯りを周回する虫がそのうち火に飛び込みジュッと音がする。「飛んで火に入る夏の虫」だ。天井から吊り下げられた電球に大きな蛾がぶつかる。羽から粉が落ちてくるし、ときには本体も。それを交わしながらの夕飯。味噌汁にたくさんの知らない具が入っていて、たまらなくおいしい。それがミョウガだった。明るいのは食卓だけで、味噌汁のお椀も輝き、宝物のように見えた。

バッタ

 1970年代半ば、農家のおじさんと野良で弁当を広げた。おじさん、白いご飯だけが弁当に詰められ、おかずはなかった。バッタを採ってきた上に小さな火をつけその火にバッタをあぶった。イナゴだったらそれもありだが、トノサマバッタ級に大きかった。それが食べられるならセミも食べられるなあと思ったものだ。

 それでどうしたかというと、おいしそうだったので、私はイナゴを数匹採った。同じようにして火にあぶった。野外活動で連れていた小学生が「かわいそう」と言った。緑色していたバッタは赤色に変わり匂いがしてきた。丸干しイワシとそっくり状態に。「おいしそう」の声が子どもたちからもれた。再度後日にしたときは醤油につけて食べたが、このときはそのまま口にした。丸干しイワシそっくり。おいしかった! 子どもたちのイナゴ採りが始まった。「どれがイナゴ?」

スズメ

 1970年年代半ばか? 大学在学中だった。卒業シーズンを目前にして、神戸新聞記者の取材を受けていた。場所はサンチカの焼き鳥屋で。メニューを一瞥して食べたいものがない。後の話題作りにでもなればと、体験としてスズメを選んだ。何を話したか覚えていない。よく出会っていた記者だったので雑談のような雰囲気だったと思う。スズメがテーブルにやってきた。鳥の姿をしていて、丸焼きという感じだった。どうやって食べたらよいかわからなかったが、さほど大きくもなく、塊を口に入れた。〈何! これは!〉骨ばかりで噛み砕くしかなかった。いくら噛んでも喉をとおるように思えなかった。それからのことは覚えていない。二度とスズメは食べるまいと誓うように思った。

 その間、記者と話は出来なかった。口にしっかりスズメがいるのでしゃべられないのだ。しばらくして記事になった。その見出しが「就職拒否」。記事を先に読んだ父は「これはどういうことだ!」と落胆を隠さなかった。

カエル

 1966年から何年続いただろうか。10年以上は行っただろう。岡山県、瀬戸内海に浮かぶ長島愛正園に。島で詩人の千家加寿さんと交流していた。いつのときかは覚えていないが、千家さんの自宅でカエルをご馳走になった。皿にのせられているものを「何だと思う?」と訊ねられた。細長い3本(だったかな?)の真っ白な得体の知れないものが並んでいた。カエルという。食用ガエル。生物名としてはウシガエル。食べてみると淡泊でササミと似ていた。

 あの大きなカエルから食べられるのは足だけらしい。ほかに食べられるところがあるのかもしれないけれど、足だけを食べた。太ももに相当するところが筋肉のように太い。しかし、全体的には細い。足の形さえしていなければ、鶏肉や場合によっては魚と間違えるのでは?と思う。(※カットはアマガエル)

ブナの実

 いつの頃だったか。1970~1980年代。旧・香住町の「秘境の里」へ行ったとき、三川山(みかわさん)を越えていこうということになった。2人か3人の旅だった。三川山頂でブナの林に出会い、おびただしいブナの実に出会った。写真はシイの実だが、ブナの実も服を着たような実で、丸くなく、三角錐だった。つまり、角があった。茶色の硬そうな実の皮は指の爪で簡単にめくることができた。真っ白な実が出てきて、うまい! 最高! 動物たちが同じ味覚かどうかは別にして、彼らが喜んで食べる気持ちになった。スナックに持ちこんだら売れると咄嗟に思った。

 写真はシイの実。細かく言えば、スダジイの実。ほかにコジイ(ツブラジイ つぶらな瞳と同じ意味)もあってやや小さいが、シイと名がつけば、ほかにマテバシイもあって、どれも生で食べられる。加熱すればなおおいしくなる。

タニシ

 1950年代。タニシは物心ついた頃から食べていた。鍋の中にいっぱいあって、そこからつまみ上げて爪楊枝のようなもので蓋を取りながら食べていた。しかし、実のところ、ほとんど記憶にない。以上記したことは覚えているが、どんな味だったか、おいしかったのか、好んで食べたのか、おぼえていない。ただ一つ覚えているのは、後年、食べたいと思って田舎の祖母に頼んだところ寄生虫が多いとかで地域で食べないよう注意が出ているということだった。食べたいと思ったことから、おいしかったのだろうか。

 今、田んぼや小川などタニシがおりそうなところで見かけることはほとんどない。いるのは、ジャンボタニシ。これはタニシとは違う種で、スクミリンゴガイ(写真)が正式名称で、これに占領されている。

山菜

 山菜は、おとなになってから食べた。子どものときに食べた山菜って、あったのだろうか? ツクシは食べた。田舎の祖母は鍋一杯に入れて炊いた。その前にハカマを取るのだがその面倒くさいこと。指先手は黒くなるし……。いったいどれほどの時間をかけたのだろう。ゼンマイは野菜になっていたと思う。ワラビは? ワラビは採れたてよりも塩漬けにして保存したものを水で戻したものがおいしい。それがわかったのは、おとなになってからだ。フキも塩漬けを戻したのがおいしい。そして、フキノトウ。そんなカタカナで表記する植物は存在しない。〈フキの薹(とう)〉(イラスト)は苦い。山菜は、酸っぱい、苦い、渋い。この抵抗を感じる味わいを楽しめるとき山菜が楽しめる。つまり、おとなの味なのだ。

川魚

 一番たくさん?食べたのはドジョウかな。缶詰のふたを残すようにした空き缶をつかう。出汁をとったあとのジャコを5匹ほど入れ、ふたを指で押さえながら用水路(小川)に沈める。1センチほど隙間をあけておく。朝仕掛けたドジョウ獲りの空き缶には昼ご飯を食べたあとに引き上げると数匹入っている。引き上げるとき、逃げ出さないよう注意深く手を差し入れ、缶のふたを押さえるのだ。10箇所に仕掛ければ50匹ほどが穫れる。つまり、バケツ一杯獲るのは小学低学年でも可能だった。

 おとなはウナギをさばく。それを真似して子どもはドジョウをさばく。ドジョウを「ドンキュー」と言い慣わしていた。コツはいるが、顔から首、つまりエラ付近をしっかり握ると逃がさないでつかめる。そのとき、キューとドジョウは”鳴く”。

 夏は丸一日、サカナを獲っていた。ナマズが1日1~2匹穫れた。10センチくらいで小さいものだった。ドジョウは蒲焼きすることもあったが、ドジョウもナマズも、フナも煮た。でも、あまりおいしいとは思わなかった。フナは寄生虫がいるとかでしっかり熱を加える必要があった。人間が食べるのでなく鶏のエサだった。

たまご

 鶏のたまご(玉子)を鶏舎から採ってくると温かかった。幼少な子どもなりにも命を感じた。ただ、親鳥に見つかると突っつかれるのでたまごを採るのはコワかった。そして、毎日かどうかは忘れたけれど、たまごがいつも決まってそこにあることに、ワクワクしていた。

 1970年代、ふえろう村塾でアヒルの卵を食べた。ふえろう村塾とはテレビ番組11PMのシナリオライター 故・華房良輔さんが仕事を突然に辞めイスラエルのキブツを真似て始めたコロニーだ。当時は神戸市西区の櫨谷にあった。アヒルの卵焼きはでかい。くさい。食べられるけれど、あまりおいしいものではなかった。ニワトリは放し飼いで、そこかしこに産んだ卵が転がっていた。飼料によって黄みの色が違ってくることも知った。ニンジンばかりを食べさせると独特の色(詳細は忘れた)になった。

海産物

 初めて食べたイベントに海を起原とするものがない。昆布や煮干し、カツオなど出汁は海産物だ。ノリ、チリメンジャコ、干物のサカナ、いか・たこ、海に囲まれた私たちが海の恩恵を受けないことはない。それにしても、私には、初めて食べたイベントに海産物が登場しない。

 2013年以降、東北・石巻を訪問するようになって、特に三陸海岸の十三浜でいただく食事は海産物ばかりと言ってよい。ホヤを生で食べたとき、食後しばらくしてお腹を刺激してしまった。食べている最中も、珍重されている意味がわからなかった。以後、おいしさはまだわからないが、食としては抵抗がなくなった。カキ(牡蠣)はおいしいと思うが、ホタテやウニ、アワビをおいしいと思ったことがない。ワカメや昆布、メカブはおいしい。ずいぶん勝手なものだ。

 眼下に太平洋を見下ろす民宿で小さな貝(写真)を食べた。おいしかった。「これは何と言うのですか?」「カラツブと言います」カラシの味がするツブという意味で、カラツブという生物名称ではない。干潟や岩礁でタンパク質を得ることになる。こうしたツブ貝こそが海に生きる人たちの食べものだと思った。

2019.12.28記す

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