||||| 保育と教育のありかたを問う思考実験 |||

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 5歳児と遊んでいるとしっかりしているなあとつくづく思う。4歳児とは明らかに違う。小学1年生に近い。1年生と遊んでいると、まだまだ幼さを感じる。その幼さがやや抜けるのが2年生。つまり、5歳に始まった”知的な幼さ”は7歳で一区切りを迎える、というように思える。
 一方、他者理解は4歳を待たねばならないと「心の理論」は言う。他者の存在を認知することで、自己を意識することになる。間主観期(0~2歳)を含めて自己が確立する4歳までは熱い保護の対象期間と言えるだろう。

 わたしは、8,9歳の移行期を経て、10歳からは「おとな」と捉えたほうがよかろうと考えている。言語野や位置する脳の半球(必ずしも左半球とは限らない)を象徴として知的な活動が始まる。
 ところで、「学校」のありかたは見直される世紀に到来していると思う。18世紀頃から隆盛してきた公教育はすでに崩壊しているのではないかと思える。学校は”学ぶ”ところだが、学んで身につける機会は、今や学校に限られていない。教育制度あるいは機構の抜本的な改革が求められている、とわたしは思う。日本だけでなく、少なくとも先進国として位置づけられている国地域で共通している課題だろう。
 高等教育のありかたや方向性の内容をどうするかだが門外漢のわたしは手が出せない。言えそうなのは、高等教育への基礎を中等教育で養っておく必要性を思うばかりだ。高等教育ではいくらかの専門性が求められるだろう。中等教育では、専門性への志向を見極める知識と技術を多様性の観点から養っておくことではないか。「おとな」への志向と言ってもよいかと思う。根拠には薄いが、中等と高等を5年ごとに区切ってみた。
 義務化や運用については触れない。

2024.11.3記す

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