不確定性原理という言葉を理解したくて、都築卓司(つづき・たくじ)『新装版 不確定性原理』(講談社ブルーバックス 2002年)を読んだ。著者は巧みに難解な理念を説いてくれたが、むずかしかった。
p220
//以上ながながとわかりにくい量子力学を持ち出したが、//
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夜空をあおいで星の瞬きを美しいと感じたとする。自身の眼球に星の光が届くことで「星の光」を認識する。遠い星の光にどれほどのエネルギーがあるのだろう。光という波が目を突き刺すのだ。波形を浮かべるが、粒(つぶ)というかたまりでもあり、目はそれを受けとめるということになる。それが「見る」ということだ。波であり、かつ粒でもある。これを「量子」という。量子力学は不確定性原理で成り立つ。遠い星の一つから放たれる光は1つだけではない。数え切れないつぶとなってわたしたちの地球に届く。その一粒(?)が偶然に”わたし”の目に入ってきて星の光を認める。こんな説明で合っているのかなあ。
海岸で日焼けするのは、光の粒子がもつ強いエネルギーを束になって受けとめてしまうからだ。その粒を見分けることはできない。露出していない肌は日焼けしないから、くっきりその跡が残る。光の作用は量子力学で説明がつき、肌にぶつかるさまは不確定性原理で説明ができる。こんな説明であっているかなあ。
りんごが落ちるさまで、ニュートンは万有引力の法則を発見したということだ〔※↓参考↓〕。
大きなリンゴだとドスンと音がしそうだ。そういうリンゴをイメージしてしまう。リンゴを小さくしてみた。姫リンゴも地上まで落下する。もっと小さくして、もうリンゴのかたちを成さないが、「リンゴ」だと仮定して、木の枝から離れたら、さて地上まで落ちるだろうか。
落下の途中、落ちる様子は見えないだろう。透明になったと言ってもよい。結果、見つけるのは大変だが、極小リンゴは見つけられるだろう。さらには、極小リンゴはもっとたくさんあればよい。落下の様子を特定できないけれど、無数であれば地上は赤く染まる。これが不確定性原理だ(合っているか? ドキドキ)。わたしの思考実験である。
相対論を打ち上げたアインシュタインは、//神様はサイコロ遊びをしない。//(p204)と名言を残している。サイコロをふって3が出る確率は6分の1だ。確率を肝とするのが不確定性原理だ。6回サイコロをふって3が出るとは限らない。7回目かもしれない。10回ふっても3は出ないかもしれない。不確定性原理の「不確定」はこの「確率」と同じ意味である(たぶん)。サイコロ6種類の目について、それぞれの目が出る確率は6分の1だ。6回ふれば、その回ごとにそれぞれの目が1回ずつ上になる、というわけではない。それぞれの目が出る確率6分の1を目の数だけ合計すると「1」になる。「1」はサイコロの実体を表す。確率で説明できるということだ。どの目が出るかどうかは不確定ということである(以上、わたしの理解)。アインシュタインは、確率によるそんな曖昧な説明ではダメだと、不確定性原理を認めなかった。
p121
//粒子と考えられていた電子に波としての性質を、さらに波とみなされていた光に粒子としての性質を発見・付与してゆくのが、19世紀の末から20世紀にかけての新しい物理学の方向であった。そのめざすところは、光も電子も(その他の素粒子も)共に量子という一つの新概念としてとらえよう──というのである。実際それらのものは古典物理の波そのものでもなく、粒子そのものでもなく、まさに量子としてしか考えられないことを、じょじょに科学は知っていったわけである。その意味では、波でもあって粒子でもあるという巷間のいい方は、厳密には正しくない。//
p148
//ハイゼンベルクの不確定性原理からは、まず波動・粒子のジレンマに対して理論的な解釈をとりだすことができる。これには、相補性をもちこんだニールス・ボーアあたりが一番よろこんだに違いない。//
p169
//さきに、因果律が完全に存在するためには、①すべての粒子の初期条件(ある瞬間の粒子の位置と運動量)が完全にわかっていることと、②粒子間の衝突のもようが100パーセント正確に予測できることが必須条件だと言った。そうして量子物理学が抬頭するまでは、①も②も原理的には判明するもの……と信じてきた。いいかえれば、ラプラスの悪魔は、どこかに存在する……と確信していた。
ところが不確定性原理により、①はもちろんのこと、②も成立しなくなったのである。//
※ピエール・シモン・ド・ラプラス(1749-1827年)……p71//天体の、現在の位置および速度はわかっている。星と星との間の引力は、両方の質量をかけ合わせたものに比例し、距離の二乗に反比例する……。100年後、1000年後の星の位置は今からわかっている。星ばかりでなく、森羅万象ことごとくが同じ考えに統一されてしかるべきである……というのが彼の結論であり、この結論から生まれた想像上の抽象生物が”ラプラスの悪魔“である。これは彼の著書『確率に関する哲学的考察』に登場している//
p73
//ラプラスの悪魔はスーパーマンである。因果関係さえはっきりしていれば、複雑さ、多様性など、彼にとってはものの数ではない。//
※『ホーキング、宇宙を語る』ハヤカワ文庫 1995年
p23
//リンゴが頭の上に落ちてきたことからニュートンは霊感を得たという物語があるが、作り話にほぼまちがいない。ニュートン自身は、重力の着想を得たのは坐って”瞑想にふけって”いたときで、”リンゴの落ちるのがきっかけになった”としか述べていない。//
2024.11.5記す