S・ワインバーグ『宇宙創成はじめの3分間』ちくま学芸文庫 2008年
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//宇宙に特別な関心をもっていると否とにかかわらず、われわれの宇宙がどのように誕生したかは、遠い昔から人間の心に深く根ざした疑問のひとつであった。//(訳者:小尾信彌による)
「心に深く根ざした疑問」の前置きに「宇宙に特別な関心をもっていると否とにかかわらず」とある。なにゆえか?
サラッと表現しているが、言ってみれば、人類一般に根ざす課題ということではないか。神、その存在は”支配”であった。天変地異は神のご機嫌、怒りの象徴であった。神は天空に存在するということだった。日蝕、月蝕、雷、嵐、洪水、大流行する疫病、……。不幸なことばかりではない。しあわせをもたらすのも神であった。そうした運命(生と死)を神が支配していた。
過去においては天空に人びとは支配されていた。いまわたしたちが認識するような「宇宙」と結びついていたかどうかは怪しい。やがて、17世紀に訪れた科学革命を契機として「宇宙の正体」に関心が向き始めた。それは、天空が宇宙に置き換わったということだろう。科学の進歩とともに人びとの人権意識が高まった。「心に深く根ざした疑問」とは、そういうことではないだろうか。科学のトピックとして「宇宙のはじまり」に焦点があてられたとき、趣味的な「科学的真実」つまり”知識”に終わってしまうと、それは矮小化である。「心に深く根ざした疑問」の解決に及ばない。
天空であろうと、宇宙であろうと、生や死を支配されてはたまらない。生を受けたことは、しあわせの始まりである。死はだれにでも訪れる。奇跡ともいえる運命を受けいれるため、「宇宙のはじまり」に向きあいたいと思う。
2024.11.13記す