||||| 女人禁制と子育て |||

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 子育ては、出生を嚆矢として女性を優先とする課題が無数にあると私は考えている。男性の子育てを否定するものでなく、パートナーとしてあるいは男性のひとり親や、もっと積極的には男性の保育士など、男性が子育てに適さないというわけではない。幸せホルモンともいわれるオキシトシンは、女性に特有でなく男性にも幼い子どもとかかわることで増えるらしい。
 さて、女人禁制は山岳宗教の儀礼に限らず、救命のため女性が相撲の土俵に上がったことで話題になった。伝統は畏れを含めて尊重し、ときには伝統芸能ともつながる。歌舞伎や宝塚歌劇、ほかにも事例をあげられるかもしれないが、それらは禁制というよりも起源が芸能のかたちをつくっている。ダンスのバレーは男女混成。ちょっと脱線かな。
 アマゾンのヤノマミ族では一つの集落で養える人数が限られている。子を産んだとき「ヒト」として育てるか「精霊」として帰すかは、産み落とした母が決断する。村の長(おさ)も男も他の女も関わらない。育てると決断するまで母は子を抱かず、へその緒をつけたまま赤子は野に横たわったままだ。NHKドキュメンタリー(市販DVD)で、母が赤子を抱いたとき何度観ても感動する。

(参考)ヤノマミ編〈 母に抱かれて人間となる 〉

 江戸時代、現代と同等、子どもは大切に育てられていた。もしかしたら、子どもの育つ環境は現代と比して劣るものではなかった。その一方で、間引きもあった。間引きについては、貧困を理由とするのでなく、ヤノマミ族に通じる人口調節の働きがあったとする説もある。そして、間引かれるとき、男児は救われ女児を間引いたことは確かなようだ。と同時に、出産時、命を失う母も多かった。
 女だからダメで男だったらオーケー。伝統を理由にそれを守るためとして女性が排除される。むずかしい問題と承知の上で「排除」の論理だけでその伝統を守ろうとするのは、それの終わりがあってよいと思う。
 地球にヒトが誕生したときから子育ては続き、千年単位で続くこちらも伝統だ。ヤノマミ族は一例だが、子育てに何が大切か。「女人禁制」という制約を取り去って子育てを考えたい。
 ※女人禁制は「にょにんきんぜい」と読むらしい(『新明解国語辞典第三版』1981年)

2022.8.16Rewrite
2019.10.29記す

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