//ゆりちゃんが いいました。
「犬は、わるい 目つき しやへんなあ。」
みんなは あらためて、ヨザエモン〔犬につけられたあだ名〕の 目を 見ました。
「ほんまやなあ。」
まことくんが あいづちを うちました。
ひでおくんも たかゆきくんも さんせいしました。
まことくんが、ゆりちゃんの 目を 見ました。ゆりちゃんは、まことくんの 目を 見ました。ひでおくんは、たかゆきくんの 目を 見ました。たかゆきくんは、ひでおくんの 目を 見ました。
みんな、しんぱいになってきました。
だれも なにも いわないのに、てえーと はしって かえりました。
みんなは うちに とびこんで、いそいで おかあさんの かがみに、じぶんの 目を うつしてみました。//
灰谷健次郎『マコチン』あかね書房 1975年 p51
※太字強調、赤字は引用者による。
※引用部分の前後に「目」を題材にしたストーリーはない。「目」に関する部分を引用した。
◇
「ぼく、いぬ すき。目ェ、こわい」
4歳男児が言った言葉である。口数の少ない彼が告白するように言った。
灰谷健次郎が出会った犬の目つきは、わるくなかったようだ。しかし、4歳男児の証言とはまるっきり逆さだ。
何の打ち合わせもなく、それぞれが自身の目を確かめた。わるい目つきでないかどうか。ストーリーの読み込みは容易だ。それにしては、作者の意図があからさまではないか。犬の目つきは「やさしい」と言いたいのだろう。
犬の目つきに、「わるい」も「わるくない」もない。受け取る側の問題である。4歳男児は犬に近づきたいが、目があうと、「犬がこわい」自分がいるということだ。見られている、ということでもある。目を見て判断しているということは、よく伝わってくる。おそらくだが、犬に限らないだろう。見られている自分を自覚するまでに、こころが成長している。
2025.2.24記す