棒切れ vs. AI(エーアイ)── 擬育27

 私が子どもの頃、遊びの陣地を描くとき、たとえば、相撲の土俵、石けりで跳ぶ○△□、野球ベースなどを描きたいとき、見渡せばどこかにほうきの柄や棒切れが落ちていて、それを拾えば用が足りた。今は、棒切れどころか代わりになる石ころを探すのも容易でない。
 そのことは、遊びの環境として、子どもと棒切れは、過去と今とで縁がなくなった。にもかかわらず、野山で遊んでいると、棒切れが目に入ればめざとく拾う子は多い。なぜだろう。
 棒切れを高く振りかざして戦いをするような構えをしたりするが、武器にはならない。山道を歩くときは杖代わりにするふうでもあるけれど、杖にもならない。つかんでいたいだけ、なのだ。

 1+1=y≠2(2とは限らない) 妙な式だ。解yは2とは限らない。1を棒切れと喩えよう。1+1=棒+棒。つまり、正解のないことが「遊び」なのだ。遊ぶことで何が身につくか? その「何」に解がないということでもある。
 数学が苦手だという方、ごめんなさい。y=f(x) x=1+1+1+1+1+1+ …無量大数… としたとき、たくさんのデータを集めて得られる解が「y」。つまり、なんだか流行りになっているAIによる解となる。
 正解らしいAIのyと、(棒+棒)が子どもに与える影響というかその価値は、AIと比較することは適正でないとしても、AIに劣るものでないと思う。AIに勝る「遊び」を子どもたちに体験させたい。

2020.2.4記す