||||| 棒切れを拾う vs. AI(エーアイ)|||

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 子どもの頃(1960年前後)、遊びの陣地を描くとき、たとえば、相撲の土俵、石けりで跳ぶ○△□、野球ベースなどを描きたいとき、見渡せばどこかにほうきの柄や棒切れが落ちていて、それを拾えば用が足りた。
 今では、棒切れどころか代わりになる石ころを探すのも容易でない。遊びの環境として、子どもと棒切れは、過去と今とまったく違っている。にもかかわらず、野山で遊んでいると、棒切れが目に入ればめざとく拾う子(幼児)は多い。なぜだろう。
 棒切れを高く振りかざして戦いをするような構えをしたりするが、武器にはならない。山道を歩くときは杖代わりにするふうでもあるけれど、杖にもならない。つかんでいたいだけ、なのだ。

柴田敏隆:一本の棒が彼らの夢をふくらませた

 1+1=y y≠2 妙な式だ。解yは2とは限らない。
 y=f(x) x=1 x=1+1 x=1+1+1+… とすれば、たくさんのデータを集めて得られる解が「y」。つまり、流行りになっているAIによる解となる。
 正解らしいAIのyと、1を棒切れに置き換えたとき、(棒+棒+……)が子どもに与える影響というかその価値は、AIと比較することは適正でないとしても、AIに劣るものでないと思う。AIに勝る「遊び」を子どもたちに体験させたい。

2022.8.17Rewrite
2020.2.4記す

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