Home > 「体験」とは?(このページ)
真っ暗な「闇(やみ)」を体験することで光のありがたさに気づく。音のない世界はどこで体験できるのだろうか。
洞窟は、真っ暗で無音の世界だ。「こわい」体験と言い換えることも可能だ。水滴だったりチョロチョロと流れのあるときもある。
闇の体験には無音(静けさ)が伴う。どこかで闇の体験ができないものだろうか。
体験で得られる感性は、人みな違う。闇や無音の世界を体験した者とそうでない者とではおのずからその深さが異なる。体験は、その一(いち)語「体験」だけで すまされない。
(参考)静寂を経験する
体験 Stage
「野外」に出れば、そのすべてが「体験」になるとは限らない。
3,4歳児を、好きに連れ出せば、子は「ついていく」だけとなる。
活動のそれぞれに目的が明確である必要がある。これを主体性という。
5歳児からは「移動(**)」が彼らの世界を拡げる援助となる。
点から線へ……3歳児の動きを〈点〉と表現すれば、
4歳児は〈点〉でもあり〈線〉でもある。
5歳児の動きは〈線〉である。点や線を超え……
〈面〉など空間(三次元/四次元)を認識できるようになるには、
学齢期を待つことになる。
あかちゃんは冒険家として生まれた。生まれ出たその瞬間から冒険家だった。0歳から2歳半までは、さらに4歳までは冒険家。5歳からは探検家になる。となると、冒険と探検の区別をしなくてはならない。
※あかちゃんは”冒険家”として生まれた
3歳児──。どんぐりを見つけたら、手を出して拾うだろう。砂浜では貝殻を手にするだろう。庭の石をめくると何やら虫(ダンゴムシなど)がいる。どんぐりなら触れるだろう。一つ、二つと見つけるとまだまだ探したくなる。貝殻は「きれいね」と共感してくれる声かけがあると探す意慾を誘う。ダンゴムシはこわい。さわれる勇敢な子を目撃すると、さわってみようとする。関心に誘導されるさまは〈点〉だ。
4歳児──。森や林、公園に行けば、どんぐりを探そうとする。花をつみたくて、花から花へと蝶のように子どもも舞う。もちろん、虫をさがす子らも舞う。水場や池を見つけたら、カエル・ザリガニ・エビと興じる。〈点〉でもあり動きは〈線〉でもある。野外活動の指導で、フィールドについては、あちこち行くのではなく、場所を定め、同じところを季節を変えて繰り返すことが肝要とわたしは伝えている。フィールドを固定することで子どもはイメージしやすくなる。期待も高まる。主体性を育てることが可能になる。
5歳児──。探検家の集まりとみてよい。何かを見つけたい。何かに出会いたい。もはや〈点〉ではなく〈線〉として 認識できるようになり、移動することがこの年齢児の目的になる。〈世界観〉の始まりでそれは〈価値観〉の芽ばえでもある。語彙が豊かになり、さまざまな表現が可能でそれがおもしろい。楽しい。〈線〉になるとは、そういうことだと思う。
複数の〈線〉から〈面〉や三次元・四次元となってゆくには、学齢になってからの学習を待つことになるのだろう。
子ども時代によく遊んだ場所を訪ねたとき、(こんなに近かったのか!)の思いをしたおとなは多い。幼児・小学生は、その行動半径が世界観だ。世界の広さを感じるということは、文化とその価値を身につけるということだ。園庭が広くて魅力のある場所であっても、園から飛び出すことが大切なのだ。
子どもの列に車が突っ込むという痛ましい事故が起きている。事故を回避する責任は引率する側にもあるのだろうか。車と人が交差しないまちづくりを求めたいが主張するに留めよう。
3歳児は、どれほどの距離を歩く・歩けるのだろうか。500メートルがやっとで、親子で歩けば抱っこをせがむだろう。一方で、2キロの山道を歩く幼児に出会ったこともある。散歩のもつ意味は深い。
散歩で列をなすとき、前方と空きすぎない適度な間隔で歩いて欲しい。これがなかなかむずかしい。自分が遅れている、空きすぎた間を詰めようとする動作を、5歳児クラスは出来るが、4歳児クラスでは乱れがちだ。このことは「他者/自己」と関係するのかもしれない。不注意から列が乱れるのではなさそうだ。
::: 子どもの、行動半径と世界観 :::
体験を回数でかぞえる、おとな
幼児は、「前…」と「はじめて」2通り
《 3つの体験 》& ハートスケール
──「感動する」ことの意味
「なにもしない」ということの意味
「原体験」という言葉
ブリコラージュ(野生の思考)
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない
レイチェル・カーソン『The Sense of Wonder』
「知ってる?」の問いは、嘘の体験を誘発する。
「正しい」を疑う
野外における体験活動保育 運用指針
├ 野外体験活動保育計画 ☆ 花緑命水
├ 野外体験活動保育の実際とその評価
├ 野外活動で危険を回避するには
├ 危険回避:下見をおろそかにしない
└ 背負うリュックの重さ調べ
安全・安心…の、ゆくえ
チョムスキー理論をヒントに……
酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』集英社 2019年
p46
//子どもが次第に言葉を話すようになるのは、「耳から聞いて覚えるから」だと思われがちだ。しかし、本当にそうだろうか。実際、子どもが耳にする言葉は質的にも量的にも不十分なものでしかない。保護者が口にする言葉は言い間違いや、途中で途切れたような不完全な文がたくさん含まれている。しかも、その言葉の文法を確定させるのに十分な例文が網羅的に示されるわけでもない。
ところが子どもは、聞いたこともないような文を正確に、しかも自由に話せるようになる。オウム返しの模倣だけでは、そんなことができるようになるとは考えられない。つまり、まわりの言葉が限られているのに(この状態のことを「刺激の貧困」と呼ぶ)、子どもたちはそこから豊穣な言語を獲得する能力を持っているのだ。//
p47
//ただし、昨今のように家庭内の会話が極端に少ない場合は、子どもの言語獲得に深刻な影響が起こっている可能性がある。//
※「言語獲得」を「体験」と読み換えては、どうか? 体験の生得性とは如何に? 生きる力が生得的に備わっている──に、結びつけられないか?
いつから「おとな」で、遊びを考える。
Asobiもどき+本来の遊び
体験 ア ラ カルト
経験と体験
子どもの食感
なぜ、どんぐりを拾うのか?
棒切れを拾う vs. AI(エーアイ)
3歳未満で決まる汗腺の数
峠(とうげ)
関心があるから「こわい」
K保育園の園庭を写真で読みとる
昼と夜 …… 視点を変えてみる
超知覚性心像(山鳥重)と「体験」
陸=日常 と 海=非日常:遊びの居場所
子どものことばとからだ:竹内敏晴
松井るり子『七歳までは夢の中』
2024.6.5Rewrite
2022.7.25記す