クリストフ・コッホ『意識の探求』(上)
:神経科学からのアプローチ
The Quest for Consciousness 2004
+ 訳:土谷尚嗣・金井良太
+ 岩波書店 2006年
p10
//1980年代まで、脳科学におけるほとんどの研究は意識の問題を完全に避けてきたのである。//
哲学者が考えてきた意識
p11
//西洋哲学の父、プラトンは人間というものを、「永遠不死の魂が、必ず市の運命にある肉体に閉じ込められた存在である」と論じたことで広く知られている。//
p12
//近代に入ると、デカルトが、延長するもの、たとえば物質としての実体をもった神経や筋肉を動かす動物精気、すなわち現代科学では明らかになっている神経や筋肉の電気化学的な活動と、思惟するもの、すなわち思考する実体、とに区別を付けた。デカルトは、「思惟するもの」は人間に特有なもので、それが意識になるのだと考えた。デカルトがこのようにすべての存在をこの二つのカテゴリーに分類したことが、まさに精神物質二元論とよばれるものである。それほど厳格ではない二元論は、すでにアリストテレスやトマス・アキナスによって提唱されていた。現代の最も有名な二元論支援者は、哲学者カール・ポパーと、ノーベル賞を受賞した神経生理学者ジョン・エックルスだろう。//
p14
//神経科学は、非常に若い科学分野である。息をのむような速度で、常により洗練された方法によって、新しい知識が蓄積してきている。神経科学の発展が翳りを見せる前に、そんなに悲観的になってしまう必要はない。意識がいかに脳から生まれてくるかを、ただ単にある学者が理解できないからといって、この問題が人類の知性の限界を越えているというわけではない。//
p15
//デネット〔タフツ大学の哲学者ダニエル・デネット〕は、私たちが普段もっている感覚、クオリアは、手のこんだイリュージョン、幻想なのであると論じている。//
p18
//オックスフォード大学のロジャー・ペンローズは、名著『皇帝の新しい心』で、//
p20
//現代版「汎心論」//
p24
//体がまったく動いていない状態でも夢を見るし、直接の脳刺激によって感覚は生じるし、動けない患者も意識をもっているのである。//
p27
//分子生物学の発展によって、まるで「鍵」と「鍵穴」のように、それぞれのタンパク質分子はある特定の分子を認識できることがわかった。この特異性によって、シナプスでの複雑な情報伝達や免疫系などの働きが支えられている。このタンパク質の特異性は、数十億年間にわたる自然淘汰の過程で進化して生まれてきたものであり、我々の想像を絶するほど複雑かつ精緻な生物学的なシステムになっているのである。物質からどのようにして意識が生まれてくるかを探求する上で、脳という生物システムがもつ驚くべき特異性や能力を過小に評価してはならない。我々は、同じ誤りを繰り返すべきでない。//
p27
//本書で主張する仮説とは、意識は脳の中での非常に複雑な相互作用から生まれてくる特殊な性質(イマージェント・プロパティー)であるというものだ。すなわち、意識は脳の中の多数のニューロン相互作用、あるいはニューロン内部に存在するカルシウムイオンの濃度などの相互作用、さらには活動電位の相互作用といった、物理的現象が複雑に相互作用することで生まれてくるのだ。意識のメカニズムは物理学の法則と完全に両立しているものの、これらの法則から意識がどのように脳から生まれてくるかを完全に理解するのは容易ではない。//
p32
//人間だけが意識や感覚を持っているという考えは間違っている。//
p33
//言語を持たない哺乳動物にも、見たり聴いたりするときのクオリアがあるとする説は、分断脳患者や自閉症の子供の臨床研究、動物行動学などから導かれる結論と合致している。//
p39
//フランシス・クリックと私は、意識と相関しているニューロン──(neuronal correlates of consciousness)の発見に全力をそそいでいる。//
p42
//NCCこそが、特定の経験のために必要とされる唯一のものだからだ。//
p46
//意識がどうやって脳から生じるのかという問題は、精神-脳問題の中心であり、最重要問題である。//
p46
//動物にも我々と同じような意識が存在し、視覚をはじめとして、聴覚、嗅覚、自意識などはおそらく同じようなニューロン活動がもとになっているだろうと仮定するところから始まる。//
p47
//我々人類の遺伝の仕組みが明らかになったときと同じように、鮮明で具体的な視覚意識に対するNCCを構成する分子の働きや、活動電位やカルシウムイオン濃度などの生物物理・神経生理学的な仕組みを発見し特徴を決定づけるのが重要である。おそらくそこから解決の糸口が見つかって、「ある特別な物理的システムに起こる出来事、すなわち脳内の電気化学的活動が、どうして感覚を生み出せるのか。もしくは、脳の活動は、感覚それ自体を別の面から観測したものにすぎないのだろうか」という精神-脳問題の中心的な謎を解決する方向へと一歩ずつ近づくことになるだろう。//
p50
//数十ミリ秒の時間単位でニューロン同士が引き起こす特定の相互作用についての記述が、意識がどのようにニューロンから生み出されるかを説明する理論に求められる。//

p54
//異なる物体を表現するニューロンの連合は、互いに競合する。すなわち、ある〔ニューロンの〕連合は、視野の中の他の物体を表現する神経活動を抑えようとしたり、それらに抑えられたりしている。脳の高次の階層にいけばいくほど、この〔ニューロンの〕連合同士の抑制は重要になる。ある出来事や物体に注意を払うと、注意が向けられたものにとって有利なように、この競合にバイアスがかかる。//
p54(さかのぼって……)
//人は、人生を経るにつれて、ジェンダー(性差)、人種、年齢に基づいた偏見を築き上げていく。無意識に我々の社会生活を強力に左右する偏見は、認識レベルで現れる別の形のフィリングインとも言うことができる。//
p66
//おばあさん細胞という、非常に抽象的な視覚特徴に反応性を持つニューロンの存在をもとにしたコード仮説には、さまざまな反論が出尽くしている感があるが、それらしいニューロンが脳内で発見されているというのも事実である。//
p67
//当時マサチューセッツ州のケンブリッジにあるMITで働いていたチャールズ・グロスおよび彼の同僚が、人の手や顔に選択的に反応するニューロンをITに発見して以降、これらの概念は一大旋風を巻き起こした//
三上章充『脳の教科書』p239
//手ニューロンの発見 単一ニューロンのレベルで機能が局在する仮説を、「認識細胞」仮説、あるいは、「おばあさん細胞」仮説と呼んでいます。脳には、「おばあさん」を認識する機能を持つ「おばあさん細胞」があるという考え方です。この仮説に都合のよいデータは、まず、チャールズ・グロスによってしめされました。
1968年のある日、アメリカのボストン市にあるハーバード大学の心理学研究室で、チャールズ・グロス、D.B.ベンダー、C.E.ロカミランダの3人は、麻酔したサルの側頭葉の細胞活動を記録していました。その日記録した神経細胞は、第1次視覚野のテストに使われる長方形の光刺激にはほとんど反応しませんでした。彼らのうち1人が、この神経細胞に別れを告げて、次の神経細胞のテストに移ろうと、スクリーンの前で、「サヨナラ」の手を振りました。とたんにこの細胞は激しく活動したのです。そこで彼らは、紙をいろいろな形に切り抜いて、そのシルエットをスクリーン上に映しだしてテストを繰り返しました。12時間近くもの間、いろいろなシルエット図形がテストされ、その神経細胞は、サルやヒトの手の形のシルエットに最もよく反応することが確かめられました。
図5-15〔下図〕は、彼の研究室にいた、ロバート・デシモンらが1984年の論文で発表した「手ニューロン」です。手の形が抽象化されるほど、反応は弱まっています。//
三上章充『脳の教科書』p240
//顔ニューロンの発見 グロスはその後、プリンストン大学に移り、側頭葉の研究を続けました。グロスの研究室にやってきたもう一人のチャーリー(チャールズ・ブルース)は、側頭葉の中央を前後方向に走る長い溝(上側頭溝)から、こんどは「顔」を見たときに反応する神経細胞活動を記録しました。
彼が1981年に発表した論文の実験では、サルの顔やヒトの顔の絵によく反応し、目のない顔や模式的な顔の絵では反応は弱まっています。手や顔の絵の中の要素をバラバラにした絵にはほとんど反応しません。〔下図・図5-16〕
「手ニューロン」や「顔ニューロン」は認識細胞仮説に都合のよいデータですが、実際の脳の中ではほんの一部です。多くの細胞は「認識細胞」と呼べるほどに特殊化していないので、細胞レベルでの機能局在は疑問視されています。しかし、そのいっぽうで、脳では1個1個の細胞がかなり特殊化し機能分化しているのも事実のようです。//

p75
//これらのエッセンシャル・ノード同士でのやりとりや、ノード内での活動が、ある程度の時間(約0.2秒から0.5秒)続いて保たれたときに、我々は顔を意識的に見ることができる。//
p88
//ヘッドホンを通して、「カチッ」という音を聞くと、聴覚誘発電位(AEP)が観察されるが、このAEPの波形を見ると、肉眼でも簡単に25ミリ秒周期、40ヘルツの活動を見ることができる。実際、この顕著な活動成分がないことは、麻酔が深く効いていることの証拠とされるし、患者が覚醒状態から無意識状態へと移ったことの証拠とされる。40ヘルツ周辺での活動が弱ければ弱いほど、患者が手術中に覚醒したり、手術中の出来事を報告したりする確率が下がる。臨床的に定義されるこの覚醒状態を表わす全体的な「意識」と、40ヘルツ周辺での神経活動との間に関係があるからといって、振動が意識にとってどんな役割を果たしているのかまったくわからい。//
p92
//悪名高い「結びつけ問題」//
p100
//ある出来事や物体をコードするとき、ニューロンは一時的な連合を組んで、連合同士が競合し、勝ち残ったニューロン連合がNCCとなる。注意を向けられた連合は、その強固な発火活動をもって、競争相手に勝つことができる。現時点での意識内容に対応しているこの勝ち組の連合は、ある程度の期間、競争相手を抑制するが、疲労、適合、目新しい入力などによって、勝者の座は取って代わられる。//
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2025.5.2記す