クリストフ・コッホ『意識の探求』(上/下)
:神経科学からのアプローチ
The Quest for Consciousness 2004
+ 訳:土谷尚嗣・金井良太
+ 岩波書店 2006年
p10
//1980年代まで、脳科学におけるほとんどの研究は意識の問題を完全に避けてきたのである。//
哲学者が考えてきた意識
p11
//西洋哲学の父、プラトンは人間というものを、「永遠不死の魂が、必ず市の運命にある肉体に閉じ込められた存在である」と論じたことで広く知られている。//
p12
//近代に入ると、デカルトが、延長するもの、たとえば物質としての実体をもった神経や筋肉を動かす動物精気、すなわち現代科学では明らかになっている神経や筋肉の電気化学的な活動と、思惟するもの、すなわち思考する実体、とに区別を付けた。デカルトは、「思惟するもの」は人間に特有なもので、それが意識になるのだと考えた。デカルトがこのようにすべての存在をこの二つのカテゴリーに分類したことが、まさに精神物質二元論とよばれるものである。それほど厳格ではない二元論は、すでにアリストテレスやトマス・アキナスによって提唱されていた。現代の最も有名な二元論支援者は、哲学者カール・ポパーと、ノーベル賞を受賞した神経生理学者ジョン・エックルスだろう。//
p14
//神経科学は、非常に若い科学分野である。息をのむような速度で、常により洗練された方法によって、新しい知識が蓄積してきている。神経科学の発展が翳りを見せる前に、そんなに悲観的になってしまう必要はない。意識がいかに脳から生まれてくるかを、ただ単にある学者が理解できないからといって、この問題が人類の知性の限界を越えているというわけではない。//
p15
//デネット〔タフツ大学の哲学者ダニエル・デネット〕は、私たちが普段もっている感覚、クオリアは、手のこんだイリュージョン、幻想なのであると論じている。//
p18
//オックスフォード大学のロジャー・ペンローズは、名著『皇帝の新しい心』で、//
p20
//現代版「汎心論」//
p24
//体がまったく動いていない状態でも夢を見るし、直接の脳刺激によって感覚は生じるし、動けない患者も意識をもっているのである。//
p27
//分子生物学の発展によって、まるで「鍵」と「鍵穴」のように、それぞれのタンパク質分子はある特定の分子を認識できることがわかった。この特異性によって、シナプスでの複雑な情報伝達や免疫系などの働きが支えられている。このタンパク質の特異性は、数十億年間にわたる自然淘汰の過程で進化して生まれてきたものであり、我々の想像を絶するほど複雑かつ精緻な生物学的なシステムになっているのである。物質からどのようにして意識が生まれてくるかを探求する上で、脳という生物システムがもつ驚くべき特異性や能力を過小に評価してはならない。我々は、同じ誤りを繰り返すべきでない。//
p27
//本書で主張する仮説とは、意識は脳の中での非常に複雑な相互作用から生まれてくる特殊な性質(イマージェント・プロパティー)であるというものだ。すなわち、意識は脳の中の多数のニューロン相互作用、あるいはニューロン内部に存在するカルシウムイオンの濃度などの相互作用、さらには活動電位の相互作用といった、物理的現象が複雑に相互作用することで生まれてくるのだ。意識のメカニズムは物理学の法則と完全に両立しているものの、これらの法則から意識がどのように脳から生まれてくるかを完全に理解するのは容易ではない。//
p32
//人間だけが意識や感覚を持っているという考えは間違っている。//
p33
//言語を持たない哺乳動物にも、見たり聴いたりするときのクオリアがあるとする説は、分断脳患者や自閉症の子供の臨床研究、動物行動学などから導かれる結論と合致している。//
p39
//フランシス・クリックと私は、意識と相関しているニューロン──(neuronal correlates of consciousness)の発見に全力をそそいでいる。//
p42
//NCCこそが、特定の経験のために必要とされる唯一のものだからだ。//
p46
//意識がどうやって脳から生じるのかという問題は、精神-脳問題の中心であり、最重要問題である。//
p46
//動物にも我々と同じような意識が存在し、視覚をはじめとして、聴覚、嗅覚、自意識などはおそらく同じようなニューロン活動がもとになっているだろうと仮定するところから始まる。//
p47
//我々人類の遺伝の仕組みが明らかになったときと同じように、鮮明で具体的な視覚意識に対するNCCを構成する分子の働きや、活動電位やカルシウムイオン濃度などの生物物理・神経生理学的な仕組みを発見し特徴を決定づけるのが重要である。おそらくそこから解決の糸口が見つかって、「ある特別な物理的システムに起こる出来事、すなわち脳内の電気化学的活動が、どうして感覚を生み出せるのか。もしくは、脳の活動は、感覚それ自体を別の面から観測したものにすぎないのだろうか」という精神-脳問題の中心的な謎を解決する方向へと一歩ずつ近づくことになるだろう。//
p50
//数十ミリ秒の時間単位でニューロン同士が引き起こす特定の相互作用についての記述が、意識がどのようにニューロンから生み出されるかを説明する理論に求められる。//

p54
//異なる物体を表現するニューロンの連合は、互いに競合する。すなわち、ある〔ニューロンの〕連合は、視野の中の他の物体を表現する神経活動を抑えようとしたり、それらに抑えられたりしている。脳の高次の階層にいけばいくほど、この〔ニューロンの〕連合同士の抑制は重要になる。ある出来事や物体に注意を払うと、注意が向けられたものにとって有利なように、この競合にバイアスがかかる。//
p54(さかのぼって……)
//人は、人生を経るにつれて、ジェンダー(性差)、人種、年齢に基づいた偏見を築き上げていく。無意識に我々の社会生活を強力に左右する偏見は、認識レベルで現れる別の形のフィリングインとも言うことができる。//
p66
//おばあさん細胞という、非常に抽象的な視覚特徴に反応性を持つニューロンの存在をもとにしたコード仮説には、さまざまな反論が出尽くしている感があるが、それらしいニューロンが脳内で発見されているというのも事実である。//
p67
//当時マサチューセッツ州のケンブリッジにあるMITで働いていたチャールズ・グロスおよび彼の同僚が、人の手や顔に選択的に反応するニューロンをITに発見して以降、これらの概念は一大旋風を巻き起こした//
三上章充『脳の教科書』p239
//手ニューロンの発見 単一ニューロンのレベルで機能が局在する仮説を、「認識細胞」仮説、あるいは、「おばあさん細胞」仮説と呼んでいます。脳には、「おばあさん」を認識する機能を持つ「おばあさん細胞」があるという考え方です。この仮説に都合のよいデータは、まず、チャールズ・グロスによってしめされました。
1968年のある日、アメリカのボストン市にあるハーバード大学の心理学研究室で、チャールズ・グロス、D.B.ベンダー、C.E.ロカミランダの3人は、麻酔したサルの側頭葉の細胞活動を記録していました。その日記録した神経細胞は、第1次視覚野のテストに使われる長方形の光刺激にはほとんど反応しませんでした。彼らのうち1人が、この神経細胞に別れを告げて、次の神経細胞のテストに移ろうと、スクリーンの前で、「サヨナラ」の手を振りました。とたんにこの細胞は激しく活動したのです。そこで彼らは、紙をいろいろな形に切り抜いて、そのシルエットをスクリーン上に映しだしてテストを繰り返しました。12時間近くもの間、いろいろなシルエット図形がテストされ、その神経細胞は、サルやヒトの手の形のシルエットに最もよく反応することが確かめられました。
図5-15〔下図〕は、彼の研究室にいた、ロバート・デシモンらが1984年の論文で発表した「手ニューロン」です。手の形が抽象化されるほど、反応は弱まっています。//
三上章充『脳の教科書』p240
//顔ニューロンの発見 グロスはその後、プリンストン大学に移り、側頭葉の研究を続けました。グロスの研究室にやってきたもう一人のチャーリー(チャールズ・ブルース)は、側頭葉の中央を前後方向に走る長い溝(上側頭溝)から、こんどは「顔」を見たときに反応する神経細胞活動を記録しました。
彼が1981年に発表した論文の実験では、サルの顔やヒトの顔の絵によく反応し、目のない顔や模式的な顔の絵では反応は弱まっています。手や顔の絵の中の要素をバラバラにした絵にはほとんど反応しません。〔下図・図5-16〕
「手ニューロン」や「顔ニューロン」は認識細胞仮説に都合のよいデータですが、実際の脳の中ではほんの一部です。多くの細胞は「認識細胞」と呼べるほどに特殊化していないので、細胞レベルでの機能局在は疑問視されています。しかし、そのいっぽうで、脳では1個1個の細胞がかなり特殊化し機能分化しているのも事実のようです。//

p75
//これらのエッセンシャル・ノード同士でのやりとりや、ノード内での活動が、ある程度の時間(約0.2秒から0.5秒)続いて保たれたときに、我々は顔を意識的に見ることができる。//
p250
//〔図2.5〕三角形が、錯覚によって意識される。光の明暗に変化があるわけではないが、明暗による輪郭が見えるのだ。//
p88
//ヘッドホンを通して、「カチッ」という音を聞くと、聴覚誘発電位(AEP)が観察されるが、このAEPの波形を見ると、肉眼でも簡単に25ミリ秒周期、40ヘルツの活動を見ることができる。実際、この顕著な活動成分がないことは、麻酔が深く効いていることの証拠とされるし、患者が覚醒状態から無意識状態へと移ったことの証拠とされる。40ヘルツ周辺での活動が弱ければ弱いほど、患者が手術中に覚醒したり、手術中の出来事を報告したりする確率が下がる。臨床的に定義されるこの覚醒状態を表わす全体的な「意識」と、40ヘルツ周辺での神経活動との間に関係があるからといって、振動が意識にとってどんな役割を果たしているのかまったくわからい。//
p92
//悪名高い「結びつけ問題」//
p100
//ある出来事や物体をコードするとき、ニューロンは一時的な連合を組んで、連合同士が競合し、勝ち残ったニューロン連合がNCCとなる。注意を向けられた連合は、その強固な発火活動をもって、競争相手に勝つことができる。現時点での意識内容に対応しているこの勝ち組の連合は、ある程度の期間、競争相手を抑制するが、疲労、適合、目新しい入力などによって、勝者の座は取って代わられる。//
p103
//「見る」という経験があなたが抱いている直感とは非常に異なったものであるということが明らかになるだろう。//
p107
//視野の周辺部の情報は表現がまばらであるのに対して、視野の中心部、特に中心から半径1度以内は、より多くの光受容体と神経節細胞が割り当てられ、非常に強調されて表現されている。//
p107
//中心窩の中心部、大きさにして視野の1度ほどでは、その部分での視覚処理能力をできるだけ高めるため、特化した構造になっている。中心窩の大きさは、自分の腕を目の前に伸ばしたときの親指の幅がだいたい1.5から2度ぐらいなので、読者にもおおよその大きさがつかんでもらえると思う。//
p107
//視覚は周辺も含めてどこもかしこも鮮明ではっきりしているように見えるが、これは強烈な錯覚である。//
p108
//色の感覚というのは、神経系によってつくられるものである。色覚は、異なる種類の錐体細胞の活動を比較することにより計算されるのである。外の世界に「赤」や「青」が実在しているわけではない。//
p125 第3章 視覚経験への最初の第一歩
//ただ目を開けているだけで、これらの100万本以上の線維からなる視覚経路は、1秒間に1000万ビット以上の視覚情報を脳に送っている。これはとてつもない情報量である。しかし、注意(アテンション)を扱う9章で、この大量の情報の波の大部分が意識にたどり着く過程で切り捨てられるということを学ぶ。//
p286 第9章 注意と意識
//3章で論じたが、視索から脳へ送られる情報量は、ただ目を開けているだけで1秒間に数千万ビットにものぼる。この大量のデータすべてを同等に処理するのは難しい。そのため、脳はほんの一部の情報だけに注意を払い、その他を無視することで、過剰な情報処理の負荷を避けている。//
p126
//約10万の神経節細胞が網膜から上丘(SC)と呼ばれる中脳のてっぺんに届いている。上丘は魚類、両生類、は虫類にとっては最も重要な視覚処理の器官となっている。//
//上丘はサッカードと呼ばれている、速い眼球運動を起こすのに決定的に重要な役割を果たしている。//
p127
//サッカードは速い眼球運動で、両眼とも動く。進化の過程で、眼球運動中の時間をできるだけ短くするようになったのだろう。なんと、この眼球運動は0.1秒もかからない。脳が眼球の次に向く方向を一カ所に狙いを定めて、一度サッカードが始まると、目的地に辿り着くまで、止めることはできない。到着地が少し標的から外れたときは、小さな補正サッカードが起き、標的が中心窩の中心にくるように調節される。//
p135
//大脳皮質は系統発生的に古い嗅覚皮質や海馬と、最近進化してきた新皮質とに分けられる。//
p138
//人間の新皮質とそれぞれの部位をつないでいる構造をあわせると、脳の体積の約80%になる。視床、大脳基底核、脳幹などの他の多くの脳構造と異なり、新皮質は厚さが無視できるほどで、面積が大きなシート構造である。新皮質シートはくしゃくしゃと畳み込まれて頭蓋骨に収納されている。また、シートは、薄い層が積み重なってできている。皮質シート1枚の面積は、マウスでは1平方センチメートル、マカクザルでは100平方センチメートル、人間では1000平方センチメートル、クジラは人間のさらに数倍など、動物種ごとに大きな違いがある。あなたの皮質は、直径30センチ、厚さ2ミリから3ミリのパンケーキ2枚をグチャグチャと丸めて頭蓋骨に詰め込んだようなものだ、と考えたらよい。//
p139
//1立方ミリメートル当たり50,000個の細胞密度、2つの脳半球の表面積が2×100,000平方ミリメートル、さらに、皮質の厚さ2ミリメートルという数字を仮定すると、人の皮質には、平均して約200億(2×1010)のニューロンと200兆(2×1014)のシナプスがあることになる。//
p192
//幼児のNCCを研究することで、発達段階において、いつ頃意識のさまざまな様相が現れてくるのかを調べることもできるだろう。//
p194
//ジュリオ・トノーニ//
p194
//意識の全体的でグローバルな側面が重要であると強調している。意識にのぼりうる主観的な現象はどれくらいあるのかを考えると、それはあまりにも膨大であり、そのことを説明するためには、脳全体にまたがる非常に大きなニューロン集合の密接な相互作用が必要となるという理論を提唱している。この考えは確かに正しい方向へ向かっているかもしれない。//
p204
//理論的には、被験者が横縞を凝視している間、水平な線分に反応性をもつニューロンは長い間発火し続けるので、これらのニューロンが「疲れて」再調整を行うのだ、と考えられている。ニューロンが疲れていると、ニューロンが活発に発火するためには通常よりはるかに強い入力が必要となる。//
p239
//色とりどりの解剖の教科書を見ると、すべてとまではいわずとも、人間の脳は解剖学的にはかなり解明されて一覧表ができているのではないかという印象を持つ人もいるかもしれない。しかし、実際はまだまだ人間の脳はわかっていない。人間の神経解剖の探求をすべての脳部位について継続していくことの必要性は言い尽くしても足りないほどだ。詳細な人間の脳の配線情報なしでは、NCCの探求は遅々として進まないだろう。//
p242
//生命の進化において、行動のパターンは複雑になり、目前の目的だけに突き動かされるのではなく、ずっと先の未来や、遠くはなれた場所での出来事なども視野に入れた行動をとることができるようになった。その結果、本能的な衝動に突き動かされた行動は少なくなり、過去の経験や、洞察力、そして理性的な判断が可能となった。このような理性的な行動には、さまざまな高次認知機能が要求される。不確かな環境での計画力や意思決定のほか、記憶処理、自己という感覚などである。これらの高次中央制御機能をになうのが前頭前野である。//
p243
//前頭前野は系統発生的に見てどんどん大きくなっている。//
p243
//ネコ科の動物では前頭前野は皮質のたった3.5%を占めるだけだが、イヌ科では7%(愛犬家の人はよく覚えておこう)、サルでは10.5%、ヒトでは約30%である。//
p241
//前頭葉は大脳基底核と密接に関わっている。大脳基底核は大きな皮質下構造で、//
p243
//系統発生的に古くからある〔大脳基底核は〕目的のある運動や、一連の運動行動や思考、それから運動学習に関わっている。前頭葉のない、あるいは発達していない下等脊椎動物では大脳基底核がもっとも重要な前脳の中枢としての役割を果たしている。//
p244
//パーキンソン病、ハンチントン病などの運動機能の損傷・損失を伴う病気では、大脳基底核が著しく侵されている。//
p256
//健常者の中に、ある一定の割合で、「色のついた音」などの共感覚(シネステジア)と呼ばれる特殊な感覚を持つ人々が少数ではあるが存在する。ある種の言葉、音、音楽が、一貫してある特定の色を喚起し、意識させるのである。他の形式の共感覚と同じように、色のついた音は自動的で、意識的に変えることができない。また、長年の間、ある特定の音と特定の喚起される色の関係が変化することもない。オルダス・ハックスレーの『知覚のドア』によって有名になったこの共感覚は、限られた幸運な人々だけが、薬物の助けなしに楽しむことができる特殊な感覚である共感覚保持者が、言葉を聞いて色を感じるときには、紡錘状回が活発になる。この部位は、普通に色を見るときに活発になるのと同じ部位である。//
p298
//探索時間の傾きは、はっきりと並列処理、逐次処理と分かれるのではなく、連続的に、一つの物体あたり10ミリ秒から150ミリ秒と、刺激の種類や配列により変化する。//
p324
//しかし、脳の構造は、根本的に、並列処理であり、外界の様子は多数の皮質部位に何度も表現されている。//
p312
//その好例として、同時課題ができるようになるまで被験者は相当なトレーニングを積まねばならない。被験者はどのような刺激が現れるか予期できるようになって、初めて二つの課題をこなすことができるようになる。私自身の経験では、非常に短時間の刺激を見せられたときは、最初の何回かはいったい何が提示されたのかわからず、何かを見たという印象が残るだけである。その後、何試行か繰り返すうちに、しっかりとした知覚経験として見ているものが何であるかわかるようになる。//
p307
//ジスト知覚//
※自然や子どもをみる眼を連想した。
p327
//V1の受容フィールドは小さく(特に中心窩をカバーしているニューロンの受容フィールドは小さい)、離心角1度未満である。//
これより『意識の探求』下巻
p347
//過去の出来事を思い出せるおかげで、我々は「自分」という感覚を持つことができ、自分が何に属して、今どこへ向かっているかについて考えることができる。//
p348
//意識に必要だとされるのは、非常に速くつくられ、そして消えていくタイプの記憶だが、それらの記憶のニューロンのメカニズムは、ほとんどわかっていない。//
p348
//イスラエルの神経生物学者ヤディン・ドゥダイが提案した、より有意義な記憶の定義は、「経験に依存した、内的表象の保持」である。ニューロンのレベルで考えると、記憶は短期的な活動依存性記憶と長期的な構造変化による記憶とに二分される。//
p350
//活動依存性記憶と構造変化による記憶の区別は、NCCを探求する際に重要となる。NCCは構造変化による記憶とは無関係だが、活動依存性記憶はNCCと深く関わっている。//
p350
//時間・日・年などの時間単位で機能する長期記憶にはさまざまな種類がある。長期記憶に蓄えられる情報は膨大でほぼ無制限である。//
p351
//最も単純な長期記憶は、適応や慣化や脱慣化などの非連想型記憶である。//
p358
//遺伝学が最も発達しているショウジョウバエ(ドロソフィラ)の意識を調べることさえ可能となる。一般に、ハエは機械のように自動的に動いているだけだと思われがちだが、ハエなどの昆虫にも微かな意識や感覚があるかもしれない。//
p360
//手続き学習は潜在記憶とか非宣言的記憶と呼ばれる。しかし、注意や意識は技術を学習する「過程」ではおそらく必要だろう。
技術や習慣的な行動を獲得するのに関わる脳の部位は、感覚運動野、線条体、その近辺の大脳基底核、そして小脳である。//
p360
//普通は、記憶といったら過去の事実や出来事を意識的に思い出すことだろう。この意味での記憶には二種類ある。エピソード記憶と意味記憶の二つである。//
p364
//クリーヴ・ウェアリングやH・Mやその他の健忘症患者達は、宣言的記憶、つまり人生の記憶は必ずしも意識を持つために必要ではないということを示す、生きた証拠である。記憶喪失は患者たちの人生からほとんどのものを奪ってしまうが、意識は残っている。さらに、健忘症の患者たちがものを見たり聞いたり感じたりできるということは、海馬の前部や側頭葉内側部は意識には必要だというわけではないことがわかる。//
※クリーヴ……映画『メメント』のテーマらしい(p364,365)
p366
//人間の知能を計測すると、作業記憶と個人の知能に高い相関があることがわかる。//
p369
//サブリミナル・プライミングの効果は弱く、持続時間も短い。だから、巷で話題になった広告としての有用性もあまりないだろう。//
p370
//健常な人の脳では作業記憶の存在は意識と非常に近い関係にあるようだ。//
p372
//前頭前野のニューロンが作業記憶に必須の構成要素をなしていることは間違いないだろう。//
p376
//意識的知覚には一定の最低限の処理時間が必要だ//
p377
//視覚的感覚記憶の内容の一部がジスト知覚と共に意識にのぼる。//
p378
//閾値を越えることが意識的知覚の十分条件である//
p379
//脳が正常に機能している限り、作業記憶は意識と密接な関係にある。作業記憶の能力があれば、どのような動物であっても、意識を持っているだろう。だから、作業記憶の存在は、動物や赤ちゃんや話すことのできない患者に意識があるかを検査するリトナス紙的な役割を果たす。しかし、その逆は真ではない。完全に作業記憶を失ってしまった人でも、意識を持つことはあるだろう。作業記憶のない患者は、それでも世界を感じているだろう。ただ、後で自分の経験について語ることができないだけなのだ。//
※感情はボケない。
p380
//視覚的感覚記憶は、一瞬しか提示されなかった刺激に対しても、NCCを引き起こすのに十分な処理時間を確実に与えるという役割を果たす。//
p382
//進化の過程で主観的な意識が生まれたことは明らかだ。//
p384
//直接に意識的な感覚が生じたり、意識的に制御したりすることなしに、機械的な決まりきった作業を行うシステムを、我々はゾンビ・システムもしくはゾンビ・エージェント(代理人)と呼んでいる。//
p384
//愛想良くしっぽを振る犬も、とてもかわいく微笑む赤ちゃんも、ただ単に自動的に、ゾンビのように非意識的にこのような行動をとっているのかもしれない。//
p384-392
//日常のゾンビ// 事例として
//目の動き//(急速眼球運動 サッカード) //体のバランス// //丘の勾配を見積もる// //夜の散歩// を、あげている。
p395
//専門化した視覚運動行動用のゾンビ・システムがたくさん集まったものが、より一般的で多目的な意識視覚を支える仕組みによって補われている、という仮説は非常に魅力的である。//
p396
//何か熱いものを触ってしまったとき、その熱を感じる前に、素早く手を引く。//……//意識的に苦痛を感じるから(原因)、手を離す(効果)という概念は誤りである。不快な刺激、有害な刺激に対して手足を引くという行動は、脊髄反射の一例である。脳は関わっていない。実に、首から上を切り取られた実験動物や、脊髄損傷をわずらった麻痺患者も、このような撤回反射を示す。意識が関わってくる余地はない。//
p398
//意識が生じるまでに、250ミリ秒の遅れがあるということだ。
スポーツ選手の例を考えてみるとこの発見がどんな意味を持つかがよくわかる。先ほどの実験での250ミリ秒の遅れという結論が、聴覚システムにも当てはまるとおおまかに仮定すると、短距離走者はスタート合図のピストルが鳴るのを意識的に聞く前にスターティング・ブロックを飛び出していることになるのだ。同様に、野球選手が時速144キロメートルで投げられたボールを打つためには、意識的に打つべきかそれとも見逃すべきかを決断する前に、バットを振り始めていなければならない。//
p400
//人間においては、ほとんどの場合、鋤鼻器は退化しており、機能していない。〔鋤鼻じょび器(ヤコブソン器官)……フェロモンの処理に関係しているといわれている〕鋤鼻器の機能は主要な嗅覚経路に取って代わられたのかもしれない。別の可能性として、人間では、限られた人々だけが適切な受容器を表現しているということも考えられる。より研究が進めば、「無臭の」においに反応することができる人たちを識別し、これらの人々が持っている特異的な遺伝子と生理学的な器官の働きを明らかにして、非意識的な嗅覚と意識的な嗅覚の違いをニューロンのレベルで比較できるようになるかもしれない。//
※意識と無意識の違いを考えてみた。
本を読みながら、左手でコップをつかみ、水を飲む。目は文字面(もじづら)を追っている。コップをつかむため、ほどよく指をひらいている。まったくコップを見ないわけではないが、つまり、水をこぼして本をぬらしてしまうことのないように気をつかいながらも、意識のほとんどは文字面に向かっている。
車や自転車のハンドルを握る。飛んできた物体がからだにぶつかりそうだから、つかむ。つかめるだろう程度に指をひらき、かまえる。わずかな事例だが、それらは無意識だ。車が進む安全確認が優先で、意識はそちらに向いている。飛んでくる物体がもし当たってきたらと、意識によって身構えている。
※意識していないことを意識できない
トール・ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン』紀伊國屋書店 2002年
p382 //意識していないことを意識できない//
「無意識」を探り当てようと「意識」して、「これか!」と見当つけたとすると、この時点で無意識でなくなる。無意識は意識できないのだ。ではなぜ、「無意識」という表現があり得るのか。
夢は、意識してみるのではない。勝手に生じたドラマをみている──無意識状態でみているのが夢だ。
運転中、車線を1つ左に変えたいと思うと左のサイドミラーや首をまわして視線を送る。これは意識して、そうする。その間、アクセルは無意識で操作している。アクセルの踏み込みの程度を細かくは意識しない。死角から出てきたクルマを発見したらハンドル操作を無意識で行うかもしれない。運転というのは、無意識がベースでたまに意識する。信号変化の受け止めは、もしかしたら無意識操作かもしれない。助手席に客人がいて話に夢中になっていたら、スピードを低めに、無意気運転だろう。
p401
//テストステロンから派生したフェロモンは、女性の視床下部に反応を引き起こすが、男性には影響がない。一方、エストロゲンに似通った物質は男性の視床下部を興奮させるが、女性にはなんの反応も起こさない。被験者によっては、これらのフェロモンのにおいを意識的に検知することができないにもかかわらず、脳活動の活性が見られた。//
p410
//盲視(ブラインド・サイト)は、正しく指で何かを指したり、色や線分の傾きを言い当てることができるが、患者自身はまったく物が見えないと主張する、非常に変わった症状である。失認との大きな違いは、脳の損傷で見えなくなった視野の一部に関して何も見えないということである。//
p427
//ゾンビ・システムが優れたものであればあるほどに、意識について疑問が湧いてくる。これほどの複雑な処理が非意識的にこなされるならば、意識があることの利点とはいったい何なのだろうか。いったいどんな利点のために、進化の過程で、ゾンビ・システムだけからなる脳ではなく、意識を持つ脳が選択されたのだろうか。//
p432
//外部に関する情報・事実のうち、最も重要にものだけを簡潔に要約し、その要約を使ってよりよい行動を計画していく。そのような戦略を、我々の脳は自然淘汰の中で追究してきたのである。要約することで情報が失われるという欠点があるが、素早い決断をするためには、何が重要なのか見極めなければならない。肉食動物がひしめき合う世界では、最良の解決を見つけるためにあまりに長い時間をかけるよりは、何らかの結論に早く達してすぐに行動をとるという方策もときには有用である。//
※つまずきの主体論
p433
//これがまさに、意識的な知覚の意義である。ほんの一部の選ばれた情報だけを扱うことで、素早い決断が下せるのだ。//
p441
//もしも、地球に意識をもった生物が進化してこなかったなら、そもそも意識の謎について考えることもなかっただろう。この意味で、我々が意識について考えている状況は、宇宙論の「人間原理」と呼ばれるものに似ている。人間原理では、宇宙の物理法則は生命の出現を強く好むような性質を持っているように見えるというものだ。//
p445
//乳幼児は白紙の状態で生まれてくるわけではない。//
※「意味の起源」として、その第一に示されている。
p445
//生まれつき基礎的な快楽の基準//
p445
//第二の意味の起源は経験である。//
p446
//三つ目の意味の起源としては、さまざまな知覚様相の中での、もしくはいくつかの知覚様相の間での、知覚データの統合がある。//
p448
//これらの連想的につながっていくニューロンは、NCCの周辺部(ペナンブラ)を構成している。//
※発達の最近接領域
p448
//NCCが知覚を形成する段階で「意味」が生じる。//
p450
//どんな知覚にも「意味」という巨大な量の情報// ←※「体験」
p451
//質感(クオリア)という意識経験// ←※「体験」
p452
//質感は非常に強力な記号的な表現である。//
p450
//たとえばカルシウム濃度の上昇や、前シナプス・後シナプスでの樹状突起での電位の上昇として表現されている可能性もある。これらは、その後、後シナプスのニューロンにおける活動電位となるかもしれないし、ならないかもしれない。//
p452
//より現実的な仮説としては、「特別の計算構造を持つ」、「さまざまな行動を取る」、「最低限の複雑性を持つ」、などの何らかの条件を満たした情報処理システムだけが主観的経験を持つ、と考えられる。//
p458
//決論// //結論//
※同じページに、二通りの表記がある。
p459
//フランシスと私は、「政策決定者要約仮説」を提案した。NCCの機能は、外界の状況を簡潔に要約することだという説である。//
p458
//政策決定者要約仮説から、興味深いが非直感的な決論が導かれる。//
p459
//この要約の持つ特徴に、主観的な感覚、質感というラベル付けがされる。この質感こそが、意識経験を形作る基本的な要素である。質感は、前頭葉にある意思決定の器官に、膨大な情報を提供することで、柔軟な応用が利く合理的判断がなされるときに役立つという機能を持つ。
研究結果からも、日常経験からも、迅速で効率のよいゾンビ行動の「獲得」には意識が必要だろうという予測が立つ。我々が愛してやまない、儀式といってもよいほどの知覚運動行動の繰り返しを考えれば納得がいく。ロック・クライミング、フェンシング、ダンス、バイオリンやピアノの演奏などなど。課題を十分に繰り返し、動きをマスターした後に、自分がどうその動きを成し遂げているのかを意識すると、たちまち動きに無駄が出てくる。洗練された動作を自分のものにするには、頭で考えることをやめ、無心になって、体と感覚のなすがままにすべきなのだ。//
p460
//質感と「意味」とが強く結びついている、という説が最も納得がいく。//
p463
//脳は驚くほどに動的な器官である。体がじっとしていても、何も考えていなくても、睡眠中でも、脳は活動を続け、絶えず変化している。変化や活動のない脳とは死んでいる脳のことだ。ニューロンは何も入力がない場合においてさえ、自発的に発火している。//
p466
//サイモン・ソープらはVEP〔視覚誘発電位〕を計測し、動物を含む写真と含まない写真に対するVEPの平均を比較した。二つのVEPの波形は、刺激が現れた直後ではまだ区別がつかないが、150ミリ秒あたりから急激に区別できるようになる。//
//脳が150ミリ秒のうちに動物がいるかどうか推測することができていても、その時点でその情報が意識にのぼっているとは限らない。その情報が意識にのぼるのはもっと後のことかもしれない。//
//つまり、この実験から、視覚がもの凄いスピードで機能していることはわかるが、意識的な知覚がいつ生じるのかについてはわからない。//
p497
//脳の視覚処理は非常に速い。写真の中に動物がいるかを150ミリ秒も経たないうちに判別し、この情報に基づいて0.5秒以内に反応することもできる。しかし、動物が意識にのぼるのには、単なる判別よりも時間がかかり、少なくとも250ミリ秒はかかる。//

p500
//ネッカーの立方体を見ていると、線画としての物理的刺激は一定であるのにかかわらず、意識的知覚は二つの解釈の間で行ったり来たりする。このような知覚を双安定知覚という。
二つの解釈の中間的状態が知覚されることはない。これは脳が二つの形を同時に視覚化することはできないからだ。二つの形式の解釈が「知覚優位」を獲得するため競合し、知覚されるのはどちらかの一つだけである。このような状況はネッカーの立方体に限った話ではない。曖昧さがある場合は、複数の解釈がすべて同時に知覚されず、一度に一つの解釈のみが採用され、知覚は時間とともに変わっていく。これは脳と知覚によくある現象である。意識のこのような側面は、「意識の統一性」と呼ばれることもある。//
p502
//優位期間と呼ばれる、一つの刺激が続けて知覚されている時間は、被験者によっても試行によってもばらつきが非常に大きい。たとえ、片方の刺激がぼやけていたり、まったく顕著でなくても、長時間眺めていると、いつかは強い刺激に打ち勝ち、短い時間ではあるが優位になる。両眼視野闘争は感覚や認知の要因に影響される自動的な知覚の変化だと見なすことができる。//
p503
//うつ病などの気分障害の患者では優位期間が長くなっている。//
p531
//このような研究による最も驚くべき発見は、話す能力が完全に脳の片方だけに限られているということだ。言葉を理解する能力も左右間で完全に分離しているわけではないが、非常に偏っている。言語能力のある脳半球は優位脳と呼ばれ、テストを受けた患者の90%以上が、左半球が優位であり、しゃべるだけでなく書くことによるコミュニケーションもつかさどっている。右半球はある程度言葉を理解できるが、話すことはまったくできず、おもしろいことに、歌うことはできる。分断脳の患者がしゃべっているときは、患者の優位脳が働いている。優位でない方の脳半球は言葉をしゃべらないが、頷いたり、反対側の指など使って意思表示をすることができる。
現代では脳半球ごとの機能を普通の人でも、脳画像法を使えば安全に調べることができる。臨床から得られた左右の脳における機能の特化に関わる推測は、fMRIなどの脳画像法でも正しいことが確認されている。ほとんどの人で、前頭前野のブローカ野と側頭葉のウェルニッケ野を含む左半球が言語処理をしている。本章ではこの先、左半球が優位だと仮定して話をすすめていく〔註※〕。
右半球は空間的な情報を扱う能力や視覚的注意に長けている。それから、顔認識や視覚的に何かを思い浮かべるなどの能力も右半球のほうが優位である。実際、顔を認識するための紡錘状回をfMRIで見てみると、右半球の方が圧倒的に大きい。
脳の左右での機能の違いは、一般にも知れわたり、テレビや雑誌や漫画にも登場するほどだ。自己啓発本などで、こっちの脳を鍛えると創造力と思考力が高まるとか、脳の使われていない部分を刺激するなどということを書いているが、科学的根拠は薄い。//
註※p533
//右利きの人では、言葉を話す優位脳はほぼ確実に左半球である。しかし、左利きの人の場合はそれほど単純ではない。完全に左優位な人から完全に右優位な人まで、その中間も含めていろいろな左利きの人がいる。ごく一部の人は、左右にまったく違いがない。//
p530
//分断脳の患者に何が起きているのかは長い間わからないままであった。1950年代から60年代にかけて、ロジャー・スペリーが、私の拠点であるカリフォルニア工科大学で行った先駆的研究により、ついに分断脳による異変が理解されるようになった。スペリーはこの業績で1981年にノーベル医学生理学賞を受賞している。//
p535
//話をする脳半球と、話すことのできない脳半球はどちらも複雑な計画行動を遂行することができるから、どちらの半球も意識的知覚を経験しているだろう。経験の性質や内容までは同じではないかもしれない。二つの意識は自立的であるが、経験は一つの体の中で起きているとスペリーは強調している。
〔スペリーを引用〕多くの権威的な科学者の中にも、優位でない脳半球が意識を持っていると認めない人たちがいるのも確かだ。しかし、我々は非言語的な反応に関する実験結果から、優位でない脳半球も意識を持っており、知覚や思考、記憶や推論、意思や感情などといった人間的な機能を備えていると考える。右脳と左脳は同時に意識を持ち、別々の、時には背反する、精神経験を同時に体験しているようだ。
二つの意識が独立であることは両眼視野闘争でも確かめられている。それぞれの脳半球が独立な知覚の反転パターンをもっているのだ。//
p542
//質感(クオリア)は意識経験の構成要素である。質感とは私たちの意識しているものすべて〔主観的な感覚 p542〕である。//
p542
//質感の機能は、自分の置かれた状況を簡潔に把握すること、そしてその要点を計画の段階へ受け渡すこと//
p544
//常識的に考えると、意識と思考は切り離すことができず、自分の内面を内省によって観察することで、自分は何を考えているかがすべてわかると思いがちである。ジャッケンドフ〔ブランダイス大学の認知科学者〕は、このような考えは間違っていると主張している。思考はほとんど非意識のうちにおこなわれているというのだ。//
p561
//意識知覚は「感じられる」「感じられない」という区別が、通常は、はっきりしているのが特徴である。この「全か無か」という特徴を考慮すると、あるニューロン集団の活動が何らかの閾値レベルを越えたときに、その活動に対応する意識が生じると考えられる。閾値がどれくらい高いかは属性ごとに異なるかもしれない。//
p563
//高次の視覚野で表現されるジスト知覚のおかげで、我々は視野に入るものがすべてはっきり見えているかのような強烈な錯覚に陥っている。//
p570
//皮質内での競合に勝ち残ったニューロン連合のことをNCCだと考える我々の仮説と、ダイナミック・コア仮説は非常に似た考え方だ。//
p580
//意識が変化するのにつれてぴったりと活動を変化させるようなニューロン(神経細胞)のことを、意識と相関のあるニューロンまたは、NCC(neuronal correlates of consciousness)と私は呼んでいます。//
p581
//NCCが見つかったとしても、それは始まりにしか過ぎないでしょうね。謎を解くには程遠い。//
p581
//NCCの発見が意識の探求について果たす役割という意味では、DNAの発見と生命にまつわる謎との関係がもしかすると良い例になるかもしれません。//
p582
//ある特定の意識的知覚が、どの脳部位にあるニューロン集団によって生成されるのか、そのニューロン集団はどの部位へ出力を送って、どこから入力を受け取るのか、どんな発火パターンを示すのか、生後から成体になるまでの発達過程ではどうなっているのか。これらがわかれば、意識の完全な理論へとつながるブレイクスルーをもたらすかもしれません。//
p582
//現時点では夢かもしれません。しかし、NCCを探すよりも信頼のおける代替策はないんです。論理的に議論したり、自分自身の意識経験をじっと内省したりしても無駄でしょう。//
p584
//フランシスと私はこのとっつきやすいコトバを使って、意識にのぼらない素早くて決まりきった感覚処理と一連の行動を指して、「ゾンビ行動」と呼ぶことにしました。古典的な代表例は、運動の制御です。走りたいと思えば、何も考えず、ただ単に、「走る」だけでしょう?//
※幼児が数人たむろしていたら、そのとき「よーい、どん」と発すれば、しかけ人形のように走り出す。
p584
//一見単純な行動にひそんだ、驚くまでに複雑な計算と運動が直接意識にのぼることはない。//
p585
//十分に訓練を積んだ後では、意識せずに、無心でやると一番うまくいく。どれか特定の一つのアクションについて考え過ぎると、かえってなめらかな運動に干渉してうまくいかない。//
p586
//非常に単純な生物がゾンビ・システムだけから成り立っている、というのはあり得る話です。だから、カタツムリや回虫にいたっては何も感じていないかもしれない。//
※この場合のゾンビ・システムでは「訓練」を必要としないか?
p599
//今まで謎の多かったこれらの脳の領域の研究は、電気生理学によってどんどん、日進月歩で進んでいます。中でも特にパワフルな戦略は、「錯視」を使った研究です。ある錯視では、見せる映像に対して生じる知覚が、一対一の関係にならないことがあります。入力映像はずっとコンピューター画面の上に出ているのに、あるときはその刺激がある風に見えて、また別のときにはそうは見えない、そういう錯視がある。ネッカーの立方体はこのパラダイムの良い例です。そういう双安定の知覚は、前脳部に見つかっているいろいろなタイプのニューロンの中から、「意識の足跡」を追跡するために使われています。//
p599
//意識が重要なのは、それが計画・思考・推論と深く関わっているからでしょう。生命を危機にさらすようなことが起きると、それに伴ってさまざまな、今まで経験したことのないような状況に立ち向かわなければならない。そういう状況で、無意識の知覚運動ゾンビ・システムだけでは対処しきれないのだろう。今まで経験したことのないような状況に対処することが、意識の重要な役割なのです。//
p602
//〔未来〕NCCの状態をオンラインで測定する技術のような、実際に役に立つものが我々に身近になるのは確かでしょう。医療従事者は、そういう「意識メーター」のようなものを使って、未熟児および幼児、重度の自閉症患者あるいは老人性痴呆症、負傷のため、話すことも合図を送ることもできない患者などの意識状態をモニターすることができるようになる。また、それによって、麻酔技術もさらに進むでしょう。意識がどのように脳から生じるのかが理解されれば、科学者は、どの動物種には感覚能力があるかがわかるようになる。霊長類は、世界を我々と同じように視覚と聴覚を通して経験しているだろうか? 哺乳動物はどうか? 多細胞生物は? これらの問題の解決は、動物権(アニマル・ライト)の議論に深く影響するはずです。//
p603
//形而上学の視点から言えば、神経科学が相関関係を越えて因果関係にたどり着けるかどうかというのが重要なポイントになる。//
p605
//生命が終わると、意識も終わる。脳なしに精神は存在しないからだ。しかしながらこの否定しようのない事実は、魂の存在、蘇生の可能性、および神に関しての信仰と矛盾しないだろう。//
2025.8.13記す




