得ることで、失うものがある ── 擬育35

 保育の始まりはどうであったか、「幼児教育」ではなく。

 一つは、農繁期、母と田に出て、働く母の目が届かないところで水難事故が多くあった。それで、”期間限定”で共同保育が始まった。
 一つは、教室で学ぶ少女は、おさなごを背負い子守をしていた。それはいけないと保育が始められた。
 母とか少女と記したが、時代がそうだった。明治期のことだ。わずか百年前のこと。百年は3世代に相当する。80、90の婆さんは、ああそうだった、と証言するだろう。
 教育は、なんのために、誰のために必要だったのか。富国強兵。兵の時代はもう過ぎている。殖産興業は、平成から令和の今にも引き継がれている。一国の宰相は民を守ろうとしているのでなく、富国のために民を必要としていて、教育で施されるその内容は、富国のためにある。
 コロナ禍にあっても同様だ。オリンピックをなんとしても挙行せねばならない。経済を再開しないと、財政がもたない。国民の不安解消より国家台所優先。(これ以上記すと脱線するので、ここまでとする)

 政治や福祉をよく知らなくても、子守しながらでは勉強できない。親が働かないと食べられない、生きられない。背中の子が憎いこともあっただろう。「五木の子守唄」や三木露風の童謡「赤とんぼ」にも著されている。働く親たちが保育所つくれ!と、声をあげたのは戦後になってからだ。保母(保姆)が保育士の呼称になったのは、なんと平成になってからだ。

 嫌なこと、つらいことは、避けたいし改善したい。そのことが、人類にとって発見や発明にもつながる。そんな大層なことでなくても、生き甲斐につながる。
 しかし、あまのじゃくになってしまうが、──得ることで失うものがある。背中の子を気遣いしなくてよくなったけれど、今では、子どもの遊び集団は同年齢になってしまい、大きな子が小さい子と遊ぶという場面を、まず見ない。おもいやることを必要としなくなった。価値観の近い者どうしが遊ぶとき、自我の衝突が起きるのは当然だ。
 福祉とは〈ほどこし〉や〈善〉だけを行うのでなく、失ってはいけない歴史的遺産を、どう後世に引き継ぐのかも──重要と思う。

2020.5.15記す