|||||「食べる」ということ |||

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 わが子には、たくさんの体験をさせたいと思う。小学生も高学年であれば、どこかに出かけたり、体験プログラムなどに参加させてみようかと思う。幼児では、連れ出して一緒に遊んでみようと思う。「体験」はさまざまな場面で多用されるが、わたしは「体験」の価値を明らかにするために、体験を〈3つ〉に区分して提案している。

 この3つめの体験を「食べる体験」としている。1つめ、2つめは、「感動する体験/繰り返す体験」でこの2つはイベント的(非日常)体験だ。これと比べて、日常体験として「食べる体験」の名称を3つめに与えている。
 体験を〈3つ〉に区分した場合の「食べる体験」という名称は、日常行為の象徴として「食べる」を採用した(つまり、「食べる」に限らない)

 ところで、ここでは「食べる」行為としての意味、〈いのちに出会う〉に沿って述べよう。ある意味、食育と共通する点もあるだろう。
 この議論は、食生活の専門家、食育の実践活動家たち多くの人々がいて、素人の私に出番はない。ないけれど、この項目を掲げておくことに意味はあるだろう。〈いのちに出会う〉というテーマを追究しているとき、食べる行為の日常が〈いのち〉そのものだから。しかし、次にあげる参考文献のように、幼い子どもがいる家庭の食卓事情は貧困問題と併せて考えれば、現代社会の極めて重大な問題と私は思う。〈日々育ちつつある〉子どもの発達保障を思えば待ったなしだろう。園の多くは給食に力点を置いている。「いのちに出会う保育」は、「食べる」とセットであることを確認しておきたい。

2021.1.7記す

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