||||| 地球のまわる速さ |||

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 昼と夜が毎日交互に訪れるのは、「地球がまわっているから」と、たいていの人は答える。はたして、そうだろうか?

 おひさまがずっと遙か向こうに沈んでゆく。まるで海の向こう地上の向こうに隠れてしまうように見える。もしかして、海につかって、おひさまはひと休みするのだろうか?

 すがすがしい朝。新しい太陽がまぶしい光を届けてくれる。前夜 海に没した太陽と、翌朝 目にする太陽と、同じだろうか? だれが、昨日の太陽と今日の太陽が同じだといえるのだろうか? そんなたわいないことを考えてみた。

 地球自身がまわっていてこれを「自転」といい、太陽に照らされているときが昼であり、太陽が隠れていれば夜と、わたしたちは理解している。太陽がまわっている(天動説)のでなく、地球がまわっている(地動説)。
 「まわっている」その速さを考えてみたくなった。

[ 問 題 ] 次のうち、正しいのはどれか?

  1. 地球のまわる速さは、アリの歩く速さより遅い。
  2. 地球のまわる速さは、アリの歩く速さより速いが、自転車より遅い。
  3. 地球のまわる速さは、自転車より速いが新幹線より遅い。
  4. 地球のまわる速さは、新幹線より速いが飛行機より遅い。
  5. 地球のまわる速さは、飛行機より速い。

この問いを5歳児、保育園の年長さんに試したことがある。

 「アリより遅いと思う人、手をあげて」「アリより速いと思う人、手をあげて」などと問いかけていくと、すぐさま手があがる。自分とは違う考えの人たちがいると気づくと「エーッ?」と歓声もあげる。何を根拠に考えるのか分からないが、どの選択肢にも手があがる。
 地球がまわっているらしいけれど、動いている実感がない。アリより遅いと思っても「間違いではない」。
 問われていることに「正答」というものがあるとしても、合理的な説明ができるならば「正答」とは違う説を否定する根拠はない。「正答以外を間違い」としてしまうと、ものごとを考えなくなってしまう。

 アリ、自転車、飛行機、……。クイズ形式にすると、考えるヒントになって楽しい。でもねぇ、新幹線や飛行機と比べ始めるということは、実感からますます離れると思いませんか?

 おとなは計算を始める。地球の直径は? 数学や理科は苦手と、早々と答えを期待する。
 地球が1日1回転することで、昼と夜が1回ずつやってくる。だったら、回転するのをやめてもらって、自分の足で昼と夜を作ってみる! つまり、1日で地球を一周すればいいわけだ! ……ということは、歩いては無理で、速いものに乗らなくてはならないね。

 幼児に「目をつむってごらん」と誘う。「なんか動いている感じがするでしょう」とさらに誘惑する。「どっちに動いている。手で教えて!」と無茶なことを言っても、思い思いに手が方角を示してくれる。この遊びはここで終わる。正答は言わない。理解させる方法がない。動いていることを確かめられたので満足満足。子どもらは「なんでぇー」と答えを求めてくる表情をするが、これでおしまいにする。

養老孟司『唯脳論』文庫版 p198
//時間を基礎的に特徴づけるものは二つある。一つは変化であり、もう一つは繰り返しである。変化がなければ、時間はない。すでに述べたように、絵や写真である。しかし、変化のみであれば、ふたたび時間はないであろう。そこでは時間は変化と同義になってしまう。そこに繰り返しが必要となる。繰り返しから、時の「単位」が発生する
 生物にとって、変化と繰り返しは、事実具体的に存在した。自然界では、変化は絶えず生じ続けたであろう。同時に、地球の自転すなわち太陽の運行は、日々繰り返される。こうした外界の変化と繰り返しは、日周活動としてわれわれの体に記録され、たとえば睡眠の周期をひき起こす。あるいは四季として記録され、繁殖期として発現される。月の動きもまた潮の満干を介して、動物の身体に記録されている。//

2023.4.21Rewrite
2015.2.2記す

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