||||| 新渡戸稲造『武士道』第12章:自殺および復仇の制度 |||

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自殺および復仇の制度

武士道を憎む

 第12章「自殺および復仇の制度」。──前者は腹切(はらきり)、後者は敵討(かたきうち)として知られている──
 腹切について、そのエッセンスだけをここに引用して述べることは出来ない。新渡戸は、──積極的賞賛とまでは行かなくても、魅力を感ずることを告白するであろう。──と記す。関心のある向きは、本書を手にしていただきたい。
 腹切の儀式はその描写について多くの記録があるらしいが、この章で2例が読める。推測を巧みにして読むしかないが忍びないこと限りなし。

 ──切腹および敵討の両制度は、刑法法典の発布と共にいずれも存在理由を失った。美しき乙女が姿を変えて親の仇敵を尋ねるロマンティックな冒険を聞くことはもはやない。家族の敵を討つ悲劇を見ることはもはやない。宮本武蔵の武者修行を今や昔話となった。規律正しき警察が被害者のために犯人を捜索し、法律が正義の要求を満たす。全国家社会が非違を匡正(きょうせい)する。正義感が満足せられたが故に、敵討の必要なきに至ったのである。──

 主君統治の残酷なさまを示そう。
 徳川家康を殺そうと陣屋に忍び入らんとして捕らえられた若者。24歳と17歳のきょうだい。父の敵討が目的で、家康はその勇気を愛で、──名誉の死を遂げさせよと命じた。一族の男子皆刑せらるることに定められ、当年僅かに八歳の小児に過ぎたりし末弟八麿もまた同じ運命に定められた。かくて彼ら三人は仕置場たる一寺に引き立てられた。──
 私は目を疑った。そして、真のことかと驚愕した。数えで齢をかぞえるならば7歳かもしれない。引用するも忍びない。これを詳述した者もその記録はすべて真であろうか。美徳として描くことで礼をしたためたのではないか。掟とはいえ、八歳の幼な児まで巻き込まれる武士道とは何か。ここにおいて私はこれを憎む。

2019.11.18記す

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