||||| 新渡戸稲造『武士道』第15章:武士道の感化 |||

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武士道の感化

武士道の精神性遺産

 武士道とは何か。これについては第13章で終え、第14章で女性の立場を著した。第15章以下終章(第17章)は、武士階級でない下位に位置する階級いわば庶民にどのように武士道が影響を及ぼしたか、廃藩置県そして西欧文明特にキリスト教との対比、騎士道と武士道との差異を述べることになる。『武士道』が著された1899(明治32)年における時世批評ということになる。日清戦争に勝利し、日露戦争勃発の前だ。国威としては自信をつけ武士社会終焉以降、富国強兵まっしぐらという時代だ。
 したがって、国も国民も知識階層も、迷いながらも反省がない。西欧化について──(タウンゼント氏の言をひいて)ヨーロッパ人が日本を教えたのではなく、日本は自己の発意をもってヨーロッパから文武の組織の方法を学び、それが今日までの成功をきたしたのである。──
 ──タウンゼント氏が、日本の変化を造り出したる原動力はまったく我が国民自身の中に存せしことを認識したのは、誠に卓見である。しかしてもし氏にしてさらに日本人の心理を精察したらば、氏の鋭き観察力は必ずやこの源泉の武士道に他ならぬことを容易に確認しえたであろう。──

 武士階級に比して庶民・大衆を新渡戸は平民と称した。平民は武士に習ったから、つまり武士道が影響して、平民を感化し、国を繁栄に導いた、としている。
 ──過去の日本は武士の賜(たまもの)である。〈略〉彼らは社会的に民衆より超然として構えたけれども、これに対して道義の標準を立て、自己の模範によってこれを指導した。──
 主権在民あるいは教育の目的が当時と現代とではまったく違うことをしっかり確認しておきたい。

 本書では当然ながら、新渡戸は触れること出来ないが、こうした武士道の教義は1945年8月の敗戦を迎えるまで、精神性に留まらず国を統治する実行行為者のなかに生き残っていた。つまり、廃刀令(1876/明治9年)以降も武士は70年前まで存在していたのではないだろうか。三島由紀夫(1970年自死)、2018年に自死した西部邁(にしべ・すすむ)は武士道に生きた人であったかもしれない。無名でありながらも武士道の精神を受け継いでいる日本人(特に男子)は少なからず今日にあってもいるのかもしれない。

2019.11.18記す

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