||||| 新渡戸稲造『武士道』第17章:武士道の将来 |||

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武士道の将来

武士道の「いま」

 武士の時代でもない今、武士道をなぜ見直そうとするのだろう。新渡戸稲造の『武士道』を読んだ。難しい、というかとっつきにくいので読書メモをとりながら、読んだ。「仁」を過ぎたあたりから、読めそうになってきた。仁=「やさしさ」。その仁が「勇」を生む。そのように読める内容に、私は強く同意したので読む気になった。しかし、八歳の子どもにも連帯で腹切を命じる武士道を憎んだ。絶対許せない。「義」から説く武士道。「義」は「正義」とみた。何をもって正義とするか。何をもって「正しい」とするか。主君に忖度した正義もあるだろう。人の道に照らした正義もあるだろう。その判断基準には疑問はあるが、正義に立ち向かう心の強さを知った。この正義は「智」であると思う。法は主君が立てたものだ。その法も含めて、何が正しいのか。これを身につけるために学ぶ。それが智だ。
 武士道の鼎足は「智・仁・勇」ということらしい。最後の「勇」は勇気ではなく「決心」と思う。学んで、やさしい心を持ち、自らの意思で決心(決断)する。この3本柱であれば、今に十分通じる。武士道は厳しい。質実に生き、他者を思い、優柔不断を退ける生き方は、豊かさに惑う現代において、個の生きる姿としては求められて良い、と私は思う。

2019.11.18記す

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