人口を読み解く | 読書メモ

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  • 鬼頭宏:1947年生まれ。専攻は日本経済史、歴史人口学
  • 人口から読む日本の歴史』講談社学術文庫 2000年
    • 執筆者(同)『日本二千年の人口史』1983年 を底本

縄文人の寿命は、20代またはさらに低い

 1万年ほど前、縄文時代、日本列島に、どれほどの人たちが住んでいたのだろう。上の図と表によれば、縄文早期8100B.Pで、推定2万人(20.1千人)と読みとれる。
 寿命は、──
p36
//1万年ほど前、日本列島の年平均気温は現在よりも約2度低かったとされる。しかしその頃から気候は温暖化しはじめ、6千年前には現在より1度以上高くなった。//
//縄文文化は、この気候の温暖化とともに展開していったのである。//
 小林和正が作成した生命表(右表)によれば、
p42
//15歳時余命は男16.1年、女16.3年でしかない。//
※30歳代前半には死んでしまうということになる。
p43 15歳より幼少期では──
//年少人口の人骨は土壌中で溶解して残存しにくく、比較的条件のよい出土例でも全人骨の50%程度を占めるにすぎないが、後世の例を勘案すると、縄文時代の15歳までの生存率はそれよりはるかに低かったと考えられる。菱沼従尹(しげかず)は右の生命表に基づいて、出生時余命を男女ともに14.6年と推計している。//
p42
//男女ともに、現代と比べて死亡年齢が著しく低く、20歳台の死亡がほぼ半数を占めている。50歳まで生存した人は少なく、60歳以上の高齢者はごく稀な存在だったことがわかる。//
p43
//縄文人の平均余命が狩猟採集民として特別短かったというわけではなさそうである。世界各地の狩猟採集民はほぼ似たようなものであった。自然条件に強く依存する不安定な生活基盤が短命の原因であったと考えられる。//

「貧乏人の子沢山」

p134
//経済階層と出生数の間に負の関係があることを表す言葉に、あまり響きはよくないが「貧乏人の子沢山」というのがある。いかにもありそうなことのように思われるが、江戸時代にはその反対の現象が一般的だった。農村では、土地を多く保有する家族ほど完結家族の出生数は多かったのである。//
p134 続けて……
//たとえば武蔵国甲山村では、保有石高5石を境にして、上層4.3人、下層3.6人であるし、濃尾地方農村(6ヵ村)では石高10石以上層の5.9人に対して、10石未満層では3.8人と、2人も差があった。//

1600年頃の寿命は、せいぜい30歳程度

p174
//「人生僅か50年」とは人の一生の短いことの譬えだが、江戸時代の日本人の寿命(出生時平均余命)はとてもそこまでは達していなかった。出生時平均余命が50歳を超えたのは、第二次大戦後の1947年であった。この年に調査された第八回生命表で、男50.1歳、女54.0歳と、初めて50台に乗ったのである。第一回生命表(1891~98年調査)では男42.8歳(松浦公一による改作値では37.1)、女44.3歳(同39.4)でしかなかった。
 江戸時代にまで遡って全国規模の生命表を得ることはできないが、宗門改帳や過去帳を利用すれば、町村単位の平均余命を知ることができる。それから推計すると、1600年頃の寿命はよくてもせいぜい30歳前後であったであろう。//

 この数値はショックだなあ。
 京都大学のサイトで見つけた♠「日本の飼育チンパンジーの平均寿命を算出」
♠//来歴、移動、出生や死亡など、寿命を算出するために必要な情報が整っている821個体を対象にして平均寿命を算出しました。//
//その結果、平均寿命は 28.3 歳で、性別にみると〔略〕//
//出生後1歳までに亡くなる乳幼児死亡率が21%と高いことが平均寿命にも大きく影響しており、1歳まで生存した個体に限ってみれば、寿命は平均 34.6 歳〔性別:略〕//
//チンパンジーで大人とみなせる12歳まで生存した個体だけに着目すると、平均で 40.4 歳〔性別:略〕//
※これは、江戸時代初期の人たちとほぼ同じといえる。レポート♠でも、江戸時代日本人の平均寿命と比較した考察がある。

 閾値(いきち)といえるかどうかは不明だが、ある年齢まで長生きすると長寿となることもあった。それでも、60歳を超えての寿命はわずかであったらしい。

「西欧医学の貢献」「種痘の効果」

p223 江戸時代後期において──
//死亡率の改善は天明期以後、平年率への復帰のかたち〔飢饉の影響の終わり〕でありえたし、着実な生活水準の上昇、18世紀後半から定着しつつあった西欧医学の貢献、とくに文政期から試みられ、嘉永以後本格的に導入された種痘の効果は期待できるものである。〔略〕ただし、死亡率がただちに改善されることになったとはいえない。とくに寿命の長さに強く影響する乳児死亡は、出生数の増加によって増えたであろうし、都市化によって乳児死亡率は上昇する傾向があった。//
※当時、都市は農村と比べて死亡率が高くなる環境であった。平均余命で都市が農村を上回るようになるのは1930年代半ばまで待つことになる。

子育てからの解放と女性解放

p235
//出産期間と子ども扶養期間を合わせると、江戸時代には約35年で、結婚継続期間とほぼ等しい。江戸時代の夫婦は子を生み、育てるために一生を費やしていたのである。現代では、結婚から末子の成人までは24年で、結婚期間(49年)の半分にしかあたらない。//
※子どもを平均5人産み、夫婦のどちらかが死亡するまでの結婚継続期間と等しい。当時は男のほうが女より長寿だったが、一人残される期間は長くなかった。だから、夫婦にとって生涯を子育てにかけているといえる。//

p236
//長期間にわたるたびたびの出産から解放された女性にこそ、革命的ともいえる影響を与えることになった。//

p236
//しかし現代の日本は意識や制度、社会慣行が必ずしも十分にライフ・サイクルの変化に対応して変わっているとはいえない。家庭内の性的役割分担の固定的な観念と結婚、出産、育児に対する社会的支援体制の不備は、家庭外での労働を通して社会参加を続けようという女性に、結婚を躊躇させているようにみえる。女性の著しい晩婚化と、シングル志向の強まりは、そのような旧制度への女性の反乱といえなくもない。//

p237
//今後、生涯未婚率が上昇して、少し前まで三百年にわたって日本社会の特徴となっていた皆婚傾向は崩れていくのだろうか。//

日本の人口と文明システム

 いくつかの文明/文化論が俎上に乗せられ、筆者は梅棹忠夫の論を採用している。こういう前提を立てた上での「文明システム」だ。
 そして、本書の人口論(歴史人口学)では、日本列島は4期の文明システムによって人口の増減(一貫して増加しているので期間比として「減」はないが)があったという。この表だけで理解不能だが、たとえば第3期の期首は14,15世紀とし、第4期の期首は明治以前江戸後期が期首とされている。
 現在(2000年)は、第4期が〈成熟=完了=完結〉しようとしている、としている。本書では文化芸術活動も人口成長と関連づけている。人口問題はとりもなおさず人間活動とイコールで「少子化」など人口問題を論じるときはこうしたマクロな思考が肝要と思う。

p268 現在、日本の人口は減少の過程にあるが、過去、各期の終端に共通して
//人口停滞はそれぞれの文明システムが完成の域に達して、新しい制度や技術発展がないかぎり生産や人口の飛躍的な量的発展が困難になった時代に起きたのである。人口停滞は文明システムの成熟化にともなう現象であった。//

p275
//いわゆる「熟年離婚」のように、子供扶養期間終了後の期間が30年にもなった現在、夫婦の役割とその関係も変化して当然、と考える人が増えてもおかしくはない。//

(参考)出生数80万時代 | 松宮満の見聞読録3

2022.11.13Rewrite
2019.10.13記す

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