||||| 友情人形と高野辰之、青い目の人形と野口雨情 |||

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  • 野口雨情 のぐち・うじょう
    • 1882~1945 茨城県生まれ。
    • 詩人。
  • 高野達之 たかの・たつゆき
    • 1876~1947 長野県生まれ。
    • 1917年、文部省小学唱歌教科書編纂委員を務める。
ステラちゃんを迎えるときに歌われたであろう歌詞と曲
  • 1年生たちが、『青い目の人形』の2回目をうたい終えるところだ。
    • 『1』p222
  • 「これからうたう歌は、1921年に日本で書かれた詩をもとに作られました。貨物船に乗って日本に行ったセルロイドのお人形の歌です。お人形は青い目に金髪で、日本の女の子たちに『仲よくしてね』と言います。『青い目の人形』は、日本ではだれもが知っているような歌です。わたしたちが送るお人形たちも、日本のみなさんに愛されるよう願っています」
    • 『1』p322
  • 「『人形を迎える歌』っていうんだけど、知ってる?」
    • 『2』p56
  • 音楽の授業では、「青い目の人形」の歌を習った。
    • 『2』p92
  • 「東京での歓迎式典では、アメリカから来た人形たちのために『人形を迎える歌』を合唱することになっています」
    • 『2』p95

野口雨情の童謡詩「青い眼の人形」は1921年に「金の船」誌上に発表されている。日本に人形を贈ろうとしていた1926年にはすでに童謡として世に出ていた(1924年頃)。一方、アメリカ人形を迎えるために、別途、「人形を迎へる歌」が準備されていた。『1』『2』を仔細に読むと、この2つの歌は、併用してそれぞれの場面で唱われていたようだ。

2019.2.25記す

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