涙は自分のために流す、人のために流すことはない。

誰がために涙は出る。
── 自分のために出る。──

 別れの涙、感激の涙、嬉しすぎてにじむ涙、くやし涙、ころんで泣く子どもの涙、タマネギをみじん切りしながら出る涙(これは違うか)、目にゴミが入って出る涙(これも違うか)、映画をみてせまってくる涙、満員電車で本を読んでいたら思わず涙、なんで泣いているのかわからないあかちゃんの涙、ぽろっぽろっとこぼれ落ちる涙、瞳をうるませる涙。
 ── ぜんぶ、自分が原因して出る涙だ。同情して、わたしのために泣いてくれている、あるいは、励まされているメッセージを含むような場面もあるだろう。なんて、やさしいのだろうと他者の気持ちに救われることもあるだろう。それはそれで良しとしよう。でも、友達を慮って涙を見せているだけではなく、涙が出る理由は、涙を流している本人に優先してある、と私は思う。

 ── と、ここまで記して、しばらく放置しているうちに、このテーマにピッタシの絵本が出版社された。

  • フラン・ピンタデーラ / 文 アナ・センデル / 絵 星野由美 / 訳
  • 絵本『どうして なくの?
    • 偕成社 2020.12 ISBN978-4-03-328650-1

 解説のページがあり、見開きで「なみだとは?」「なみだの種類」などの見出しがある。なかでも「なみだのおもさ」が、とりわけいい。その一部 ── イタリア人作家で教育者でもあるジャンニ・ロダーリは、ある物語のなかで、なみだはどれくらいのおもさなのかという問いかけをして、つぎのようにこたえています。「気まぐれな子どものなみだは風よりもかるく、おなかをすかせた子どものなみだは地球よりおもい。」──

 韓国ドラマ「王女の男」では、こんなセリフも。── 心に余裕があってこそ涙を流せる。──

 感情が高ぶって出る〈あふれる涙〉について、涙を説明したある本(書名を思い出せない)では、涙腺だけでは追いつかず涙腺以外からも出てくるような表現だったように記憶するが、上記の絵本では、「(涙腺の)分泌がさかんになる」という表現に留まっている。後者に一票!

 「なみだ」には、いろいろと物語がありそうだ。私が命題にとりあげた核心は、「人のためにながすことはない」というところにある。いわゆる「同情」のことだ。気持ちを寄せる、共感することで涙を流すことは、もちろん私にもある。しかし、涙が出てくる理由、共感する理由は、そっくりではなくても、自身に思い当たる、否、思い当たらなくても泣いてしまう過去と重なるからだろう。絵本の解説によれば、──「わたしたちがなくときは、感情が高まって、アドレナリンなどのホルモンが出ます。そのいっぽうで、オキシトシンなど、興奮や痛みをしずめてくれる、自然の作用をもたらすホルモンも放出されます。なくと心が落ちつくのはそのためです。」──

 1995年震災のとき、一人住まいをしていた息子宅に家族を避難させ、その帰路、カーラジオから流れ出る音楽を聴き、とめどなく泣いたことがある。興奮や痛みをしずめる自浄作用だったのだろう。心に余裕が出てきたから泣けたのかもしれません。
 弟は20代で転落事故で亡くなった。一報で実家に辿りついたとき、父が大粒の涙で私を迎えた。それまでこらえていたのだろう。父の涙をみて、胸が締め付けられたことを思い出す。

 泣くには、その涙を見せているその人に理由がある。悲しい場面は、それなりに思うことがあるものの、涙の持ち主に思いが馳せる。

 絵本の内容は深みがあって大いに納得。あかちゃんの場面は、ない。おとなになるために なくことも あるのよ」という語りは、ある。── わたしたちの こころは はてしない うみのようなもの どうしても あらしはさけられない だから なくのかもしれない ── これが、おかあさんの こたえ。

2021.3.15Rewrite
2021.3.2記す

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