||||| ワイパーと回転まぶし |||

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 50年近く過去のことなので恐縮だが、養蚕についてはいくつか思い出がある。場所は兵庫県美方郡美方町(現在は香美町小代区)。兵庫県で一番高い峰の氷ノ山そしてスキー場で知られる鉢伏高原を南にする山村で、矢田川の源流域。矢田川は北流し日本海に出る。この地で私は農村活動をしていた。1年のうち1か月はこの地にいた。泊めていただいたのは農家(民家)。但馬牛の産地で、ここで子牛を育て、6か月まで成育すると市場に送られ、肥育の畜産家に渡る。それが、神戸牛、松阪牛、淡路ビーフなど黒牛として名高い。かつて、私が当地を訪ねるさらに過去、すべてといってよい農家は、牛とともに生活していた。子牛の世話は、放牧場への往復で子どもが役目だった。登校する前の朝、子牛を放牧場に送り、下校してからは子牛を我が家に連れ戻した。家屋の大事なスペースは牛小屋だった。そして、2階、というより屋根裏は、お蚕(かいこ)さんの住まいだった。牛や蚕に囲まれ、その匂いは生活に浸みていた。スキー民宿で2階の部屋に案内されることが多い。そこは昔、蚕室だった。

 蚕室は、蚕を飼っている飼育場だが、食糧の桑がたくわえられていた。牛の乾し草もいっぱい積まれていた。屋根裏とはいえ、おとなが立てるほどの空間があった。
 私が初めて桑の実を食べたのも、この地だった。地元の人に案内されたとき、その男性は「大きくならないと実がならない。口のなかを紫にしたものだ」と笑った。桑の葉を刈り取るため、高木にしないで低木で剪定管理する。大きくなった桑に稔るのだ。私は桑の実を食べると、畜産農家の暮らしとその厳しさを想像してしまう。

 当時(1970年代)でも養蚕を維持している職場があった。そこは、生活家屋からは分離され、独立した蚕室になっていた。蚕室に入ると、ムッとする静止した空気を全身に感じた。蚕が桑をかじる音がする。おどろいた。
 大きく成長した蚕は、やがて繭(まゆ)をつくる。繭をつくるとき蚕室では「まぶし」を用意しておく。藁で編まれた「まぶし」は三角錐(さんかくすい)のかたちが器用に並べられている。ところが、1つの三角錐に1つの繭が基本だが、2つ入ることがある。すると繭が小さくなってしまう。これでは生糸の生産性が低くなる。これを改良する「回転まぶし」に出会った。この言葉を覚えているのだが、実際の、機器のようすを思い出せない。

 繭になる直前(終令)の幼虫は大きくて重い。「回転まぶし」の三角錐に幼虫が入るとその重みで回転する。空室に幼虫を誘導し、重複して入らないという工夫だ。すべて手作りの道具だ。すばらしい。人間の知恵に感動した。

 唐突かもしれないが、ジェット機運転席の窓は、クルマと同じワイパーがつけられている(今ではどうなのか知らないが)。回転まぶしに出会って感動したその瞬間(とき)、なぜか飛行機のワイパーを連想していた。

2021.5.19記す

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