|||||〈シリーズひと 1〉千家加寿(せんげ・かず)さん |||

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 中学3年生のとき、わたしはオペレッタ『竹の花』出演者の一人だった。歌劇だけれど、わたしを含む3人は「村の男」役で名はなく、歌によるセリフもなかった。演劇にたけた国語教師(藤谷剛先生)のオリジナル脚本で、長島愛生園(瀬戸内海に浮かぶ島・国立ハンセン病療養所)入所者の詩人千家加寿さんの詩をもとにしたものだった。練習は半年におよび11月に公演した。マスコミ報道されていたこともあって、講堂は超満員だった。
 島から送られてきた千家さんの手紙は消毒されているとか、差別に近い説明だったが、指導にあたっていた先生たちに差別を感じたことはなかった。
 劇の背景、長島愛生園に行きたくなり冬休みにも行こうとした。演劇指導の先生からは止められた。「卒業してからにしなさい」と。卒業式を終えて、すぐさま実行に移した。一人ではなかったと思うのだが、さて、誰といったのだろう(思い出せない)
 岡山県邑久郡邑久町。赤穂線日生駅を最寄りとし、朝夕一便ずつ発動機付きの渡船があった。船底一枚。中央に火鉢があり、周囲の板塀は落書きで埋め尽くされていた。記憶に残っていることはほとんどない。片道40分、15歳の少年には衝撃の連続だった。

 千家加寿、本名/善家一馬。大正12年生まれで、父と同じトシだった。確か、中学生の頃、ハンセン病に罹患した。四国愛媛県西端が郷里。長島に居て、ふるさとを偲ぶ詩も多い。サトウハチローの門下に入り詩を学んでいる。ということは、北原白秋の流れをくむ。自然の動植物、農村の暮らしを千家さんの詩で、わたしは身につけた。

着ぶくれすずめは おしくらまんじゅ
つるしたとうきび はぬけてさむい

友達まつ子に みぞれがかかる
長ぐつはいても つめ先さむい

田んぼのたにしは ふたしてねても
かかしのつつそで やぶれてさむい

じねんじょほる子の はくいき白い
かまの光が まぶしくさむい

高くてとれない しぶがき赤い
からすがみつけて なく声さむい

 千家さんから届く手紙は、わたしの実物教材だった。縦罫の便箋に印刷されている罫線をはみだすように、あるいは、罫線の上に筆記されていた。手紙の書き出し文、終わりの言葉、すべて染み入るようだった。千家さんと向きあって、言葉をかけてもらっているそのままに、便りの文面に表されていた。

 島では「たぬきおやじ」と呼ばれていて、たぬき捕りの名人だった。一晩泊めてもらったこともある。高校生のときは年に2回は通っていたように思う。多感なとき、差別・詩・文学・自然を、からだ全部で受けとめたときだった。

日暮れさみしや 谷の家
破れ障子に風がなる
草にうもれた 古井戸は
水くむ人も 今はなく
かわいてきしむ はねつるべ
うつろな音にも ふるさとの
むかしむかしをしのばせる

 千家加寿 郷里で亡くなったと報されている

2025.7.1記す

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