||||| なぜ、どんぐりを拾うのか? |||

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 保育園Aを門から出て目的地の田園に向かう。距離およそ1キロを30分かけて歩く。車と交叉するところでは必ず「右見て・左見て・もう一度右見て、そして音(車が近づいてくるなど)は?」と子ども自身が個々に確認して歩く。歩道のない道を歩いているとき、並行して走行してくる車やオートバイなどを見届けたときは、列が多少乱れていても動きを止め過ぎ去るのを待つ。
 子どもの集団は20人前後。2人ずつペアになって手をつなぐ。5歳児は前との間隔を空けずに歩けるし、空けばつめようとする。4歳児は間隔を空けずに歩こうとするもののB君の前やCちゃんの前は空きがちで、空いてもなかなかつめることに意識が向かない。3歳児は偶然に列を為して歩いているというふうで、指示しないと空いた間隔はそのままだ。5歳児も4歳児も3歳児も、黙って歩いているわけではない。おしゃべりが盛んだ。
 では、B君やCちゃんの前がどうして空いてしまうのだろう。どんぐりを拾うからだ。途中の公園や街路にどんぐりの木があって、道路に はみだし たくさんの実を落としてくれる。それを拾う。
 ──※この並んで歩く行動は、「非認知」能力のひとつ。

 なぜ、拾うのだろうか。

1:ふだん見ないから(珍しいから)
2:どんぐりが好きだから
3:幼児の目線は地面に近いから
4:丸いから
5:集めたいから(棒切れも拾う。石もよく拾う)

 「丸いから」だ。つまみ上げ、てのひらで握ると気持ちいい。1つだけでなく2つ、3つと拾う。なにかしらつかんでいたい……。
 唐突だが、田中正造(という人物についてはここでは語らない)は臨終にあたって、所持していたのは、聖書と小石だと伝えられている。おとなの小石と、幼児のどんぐりに同じ意味があるのでは、と考えたりする。

棒切れを拾う vs. AI(エーアイ)

2022.8.17Rewrite
2020.1.16記す

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