山田規畝子『壊れた脳も学習する』読書メモ

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  • 山田規畝子『壊れた脳も学習する』
    • 角川ソフィア文庫 2011
    • 単行本『それでも脳は学習する』を改題 講談社 2007
  • このページの引用は、
    角川ソフィア文庫による

p80
//私は昔から、目で見たものの形を記憶するのが苦手で、画像で脳裏に焼きつける、ということがとても不得手だったのですが、三度目の脳出血後は以前にもまして弱くなったようです。目で見たものの形を記憶しないことが、迷子になりやすい原因にもなっています。//
※山道をおぼえるのは右脳か? 散歩や入浴中、睡眠中に、ふと何かを思いつくのは右脳の働きか?(メモるに困ること多し)

p82
//人間の脳には、進化の過程において古い部分と新しい部分が共存しているのはよく知られていることです。古い脳には自分の身を守る機能として、一度危険な目に遭うと、同じ失敗を繰り返さないよう、怖かったもの、嫌だと思ったものに対して、特にそれを嫌悪する記憶のシステムがあります。
 例えば火を見れば危険を感じて逃げるとか、酸っぱいものは食べないとかいったことですが、これはあまり発達していない脳でも、同じ状況に遭遇すると理屈であれこれ考え込まなくても条件反射的に危険を回避できる、本能的とも言える危険回避機構です。実際に起こったことの記憶には違いないのですが、それはまさに”印象の記憶”であり、「嫌だなあ」という”感情の記憶”です。//
p83 扁桃核
//そんなふうにさせているのは、最も原始的な脳の記憶を焼きつけると言われる「扁桃核(へんとうかく)」という部分の働きであると私は考えています。//
※幼児には怖い体験は禁物で、嫌なことをさせないと私は主張している。

p114
リハビリについて //何を何回、何分間やる、といった訓練を一律にやらせることには、あまり意味を感じません。繰り返し練習しなくてはならない課題は、一人ひとり特有のものです。//

p116
//脳卒中後、ずっと目分量で判断するのが苦手でした。距離にしろ、量にしろ、目で見た感じでこれが適当かなという洞察がダメで、いろんな失敗をしてきました。例えば、もっと遠くにあると思っていた扉に指をぶつけて突き指したり、一歩で飛び越えられると思った水溜まりに片足を突っ込んだり。頭頂葉の障害のせいです。
 物の位置が捉えにくいので、離れたところにあるものの位置を推測したりするのはとても難しい作業なのです。いうまでもなく、ボウリングはボールが向かう方向やピンとの距離を推測することがものをいうゲーム。
 しかし、ボウリングのゲームを続けていると、「このぐらいかな」という加減が上手になってきました。スコアは平均で一一〇ぐらい。調子のいい時は一五〇ぐらいが出ます。これは頭頂葉の障害をカバーしているだけでなく、「こんなもんかな?」という勘を働かせる右脳機能をも刺激していると感じます。//

p117
//「凝る(こる)」とか「はまる」ということは、集中力が高まっている状態であることは周知の事実ですが、禅僧などが瞑想をしている「無」の状態の時も、頭は何も考えていないのに、畳に針が一本落ちる音もちゃんと気づくそうです。つまり、「無」になるというのも、集中の一種なのですね。//
p118
//瞑想すると、免疫力が劇的に高まるそうです。ただし、どう瞑想するかが問題です。どなたか、教えていただけないでしょうか。//

p157
//ある認知症施設の院長さんが、テレビでこんなことを話していました。
「認知症患者の困った行動を問題行動というなら、それは誰にとって問題なのか? 本人にとってはそれは問題でも何でもない。介護者にとって問題なのであって、この施設で主体となるべきは誰なのかが分かっていれば、”問題行動”などという言葉は出ない」//

p301
//子どもの発達から考えると右半球から機能し始めますので、//
※これが何を意味するかは今一理解しにくいが、興味ある記述。森岡周の弁(理学療法士。畿央大学健康科学部勤務)2009年。

p306
//セラピストが患者さんに質問をして、患者さんがセラピストに回答するという図式になるとまずいというふうに実感しています。形としてはそういう形であっても、私が聞いたことが患者さんの脳の中で、「こんなことを聞かれたけれど、自分はどういうことだと思っているの?」というふうに、「前子ちゃん」が通訳に回ってくれるような形で、患者さん自身において、ある意味、一人称の対話が生まれるようにする。セラピストに聞かれたことが二人称にならないで、「実は、私自身はどう思っているの? どう感じているの?」という会話になることが大切で、そういうふうに聞くことを心がけているつもりです。//
※中里留美子の弁(作業療法士。東京都保健医療公社豊島病院勤務)2009年
※このくだり、保育現場での幼児との関わりと相似する。幼児への問いは一人称になるよう配慮がいると気づかされる。

p308 街路樹と左側の認知
//私は左側の認知というのがすごく不安に感じていて、たとえ手すりがあっても、それが左にあると、それを片手で持とうとは決して思わないんです。でも、例えば、道に街路樹があって、植木が距離をおいて植わっているところがありますよね。そんな街路樹が自分の右に並んでいる時に、その植木の葉っぱをちょっと触れば、次の植木までの距離を歩いている時には、地球上の空間の中で自分が重心を保って、ちゃんと立って歩いているという感覚がぱっと蘇るんです。左側とか右側というようなことを意識するのではなく、自分の全体というか、全体として自分のいる世界がぱっと分かるという感じです。そうやって右側の葉っぱを触りながら植木に沿って歩いている限り、そんな自分のことをずっと感じていられるんですね。//
※山田規畝子の弁。2009年

p309
//オーダーメイドのリハビリと言われますが、それはとっても時間がいるし、大変なことだと思いますが、やはり究極的にはそれだと私も思います。同じ体験をするということではなくて、患者がリハビリを続けていくうえで悪い体験が起こるそのポイントを見つけ出して、そこに対応していただけるといいなと思います。結局のところは、リハビリは本人がするしかないわけですから、それがうまくやれるように助けていただきたいと思うのです。//
※山田規畝子の弁。2009年
オーダーメイドの体験

2022.9.17記す

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