||||| 酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』読書メモ |||

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酒井邦嘉(さかい・くによし)『チョムスキーと言語脳科学』
+ 集英社 インターナショナル新書 2019年
+ 言語脳科学者
+ 1964年生まれ
+ 東京大学大学院理学系研究科博士課程修了

p13
//「言語学」と聞くと、文系の一分野だと思われがちだが、チョムスキーの理論は人間の本質を解明する「自然科学」の考え方であり、その思想がもたらすインパクトは、大きく深いものだ。「言語とは何か」という問題に答えることはもちろん、「人間とは何か」というさらに大きな問題にも重要な示唆を与えるのが、チョムスキーの理論なのである。//

p15
//「言語機能〔括弧書きを省略〕」は人間の脳の生得的な性質に由来する//…… //ごく簡潔に言えば、それがチョムスキーの理論のポイントである。//

p17
//サイエンスの基本は、客観性(証明ができること)・普遍性(広い対象に当てはまること)・再現性(繰り返し起こること)の三つである。これらを保証することがチョムスキー理論の革新性にほかならない。それに対して、主観的な意見・主張から始まって、個別的な例外を持ち出した議論や、さらには一度しか起こらない歴史に基づいた見解などがいまだに横行している。//

p20
//私は、チョムスキーに出会ってから、考え方を大きく転換した。その言語理論は、「猿の脳をいくら研究しても人間の言語は分からない」ということを明確にするものだったからだ。言語は、人間という「種」を特徴付ける固有の機能である。言語を持たない猿の研究では自ずから限界があるということになる。それまでの自分の考えを真っ向から否定されたのだから、これはとてつもなく大きな衝撃だった。今から20年ほど前のことである。
 宗旨替えした私は猿での研究をすっかりやめ、人間の脳そのものを研究の対象とすることにした。それまでは猿の脳を調べることで間接的に人間の脳を理解しようとしていたが、チョムスキーの理論に従うなら、人間の脳は猿と根本的に異なるところがあるに違いない。人間を理解するには、人間の脳を直接調べるしかないのだ。//

p21
//1973年に登場したMRI(磁気共鳴画像法 magnetic resonance imaging)の技術はさらに研究が進み、1992年に確立したfMRI(機能的MRI functional MRI)によって、人間の脳の働きを生きたままで詳しく観察できるようになったのだ。//

p22
//物質そのものだけではない。この世界を支配する自然法則もまた、より深いところには、よりシンプルな「原理」があると物理学者たちは信じている。//

p24
//もし物理学が、例えば航空機と紙飛行機の運動法則を別々に研究していたら、どうなるだろうか。航空機の飛行原理は航空力学で詳細に解明されるだろうが、紙飛行機はもっと複雑な運動をする物体として、その解析は困難を極めるに違いない。ましてニュートンが発見したような、あらゆる物体に適用できる普遍的な運動法則が、「紙飛行機力学」から発見されることはまずないだろう。//

p27
//人間は「言葉の秩序」を学習によって覚えるのではなく、誰もが生まれつき脳に「言葉の秩序」自体を備えているというのがチョムスキーの考えだ。
 もちろん、それぞれの言語によって異なる語彙や発音などは後天的な学習で身につけるしかない。しかし、言葉を秩序づけるための普遍文法は、あらゆる言語に共通するものであり、いわなれば「人間語」、あるいは「脳言語」と呼ぶべきものなのだ。しかもそれは人間という種に固有なものだと考えるのである。//
p54 整理して要約
生成文法……//個別言語について構造の生成を明らかにする文法//
普遍文法……//人間にとってどんな生成文法が可能なのかを定めるもの//
p27
//20世紀初頭に始まった「行動主義心理学」は、測定できる外的な刺激とそれに対する反応(行動)に限定した研究分野であり、言語を含めてすべて後天的に学習されると考えるため、チョムスキーの見解と鋭く対立する。//
p28
//チョムスキー理論では、言語を生み出すシステム自体が生得的(先天的)なものだと考える。従来の常識や直感に反するからこそ、その理論は真に革命的なのだ。//
p56
//普遍文法は言葉の「意味」とは違って人間の文化的産物ではなく、生物学的な脳機能というべきものなのだ。//

p29
//従来の言語学がそうした天動説のようなものだとすれば、チョムスキーの理論は、地動説に対応する。地動説なしにサイエンスとしての天文学が確立しなかったのと同様、チョムスキーの理論なしに言語学がサイエンスとして発展することもないと私は考える。声高にチョムスキーへの批判を唱える人たちの説の多くは、言語学を再び近代科学以前のものに追いやろうとしているかのようである。//

p30
//そもそも人という生物もまた自然の産物であり、人間自体が自然現象なのだから、その脳から自然と生まれる言語もまた自然現象にほかならない。人間が言葉を使うのは、魚が泳ぎ、鳥が飛ぶのと同じように本能的な能力なのだ。//
※ということは、「子ども(乳幼児)が遊ぶ」も、同じラインで意味づけられるということか!

p34
//ノーム・チョムスキーによる言語学は、それ以前の言語学とは根本的に違う。その違いを理解するために、言語学の歴史を簡単に振り返っておこう。
 物理学や哲学の源流がそうであったように、言語に関する学問も(少なくとも西洋では)やはり古代ギリシャから始まった。例えばプラトンは、言葉の由来(語源)や獲得についての考察を行っている。//

p35
//20世紀になると、それとは対照的な言語学の大きな潮流が生まれた。言語の歴史や変化ではなく、言語の仕組み(構造)や機能そのものを研究するやり方だ。過去から現在にいたる変化に注目する前者を「通時言語学〔通時態〕」と呼ぶのに対して、後者の新しい方法論は「共時言語学〔共時態〕」と呼ばれる。その後者の流れをくむ「ヨーロッパ構造主義」を始めたスイスの言語学者ソシュール(1857~1913)によれば、後者は「ある言語の一時期における状態を記述する」という意味だ。//
※「歴史」になぞらえると、歴史の構造主義的見方は「ある時系列の一時期における状態」ということか。つまり、時系列の一時期を切り取るとか、歴史的イベントを切り取るということでよいか? 構造主義的歴史観は、時系列連続史観に支配されないということか?
p36
//その共時言語学を大きく前進させたのが、1930年代にアメリカで研究していた言語学者たちであり、言語現象を分析して記述するだけではなく、言語の理論的な基盤を追究する流れが生まれた。その中でも影響力を持ったのは、行動主義心理学を取り入れた言語学を提唱した、ブルームフィールド(1887~1949)である。彼の率いる学派が作り上げた理論は、やがて「アメリカ構造主義」と呼ばれるようになった。
 チョムスキーが最初に出会った言語学は、このアメリカ構造主義の流れをくむもので、1940年代後半のことである。チョムスキーはまだ十代だった。1945年に16歳でペンシルヴェニア大学に進んだ彼は、次第に学問への興味を失う一方で、政治運動への関心を高めていた。//

p38
//チョムスキーは、「文系」の学問だった言語学を、本気で「理系」の学問にしようと考えたのだった。//

p38
//歴史的な変遷を記述する通時言語学と比べると、構造主義のような共時言語学は、より理系に近い側面を持っているように見える。例えば構造主義に取り入れられた行動主義心理学は、心理学を「行動の科学」と見なして、客観的な行動の観察に徹したのだった。しかし、「心」という脳の働き自体をブラックボックスとして取り扱わないとしたことが、結果として自然科学のアプローチを妨げることになってしまったのは皮肉である。
 それ以前の心理学は、例えばフロイトの精神分析が主観的な「無意識」や「自我」などに独断的な理由づけをしたように、客観的に欠けるものだった。意識や意図といった心の概念を排除した行動主義心理学は、フロイトなどの精神分析に対するアンチテーゼでもあったわけだ。それを規範とする構造主義もまた、言語の構造や機能を客観的に記述することに専念した。
 しかし、確かに「客観性」は自然科学の重要な要素ではあるものの、それだけではサイエンスとはいえない。というのも、対象を精密に分析して「これはこうなっている」と記述するのは、「現象論」にすぎないからだ。その点では、共時言語学も、言語の変遷を歴史的にたどって「これはこうなってきた」と記述するだけの通時言語学とあまり変わらない。どちらも、現象論にすぎないのである。//
p39
//では、なぜ現象論だけの研究では、サイエンスと呼べないのだろうか。
 例えば物理学でも、現象論的な観察は欠かせない。物体の運動を理解するには、斜面で鉄球を転がすような実験を行い、球の質量に対して移動距離や速度変化などを客観的に測定する必要がある。だが、運動の様子を観察し精密に記述したところで終わりではない。物理学では、「なぜそのような運動になるのか」を問う。つまり、客観的に記述された現象に対する「説明」が求められるわけだ。
 物体が落下する現象については、ニュートンが「重力」という万物に働く引力によって説明した。ニュートンはその重力がなぜ働くのかについては説明できなかったが、その謎についてはアインシュタインが一般相対性理論によって説明している。そうやって長い歴史の中で「なぜ?」という問いを繰り返し、現象をより根源的に説明できる法則を見つけようとするのが物理学であり、これが真のサイエンスのあり方である。//
p40
//そこで重視されるのが、「再現性」という考え方だ。法則によって説明できる現象であれば、それは同じ条件下である限り必ず再現できるだろう。科学的な実証は、確かな再現性が求められる。実験で百回再現したと誰かが発表しても、他の研究者によって同様の現象が再現されない限り、発見とは認められない。再現性は、科学の命なのだ。
 一方、「歴史は繰り返す」とは言うものの、実際に歴史を再現するのは至難の業だ。起きた現象をどんなに詳細かつ精密に記述したところで、そこに必然的な法則性を見出すのは難しいだろう。応仁の乱や関ヶ原の戦いが起きた時の初期条件を完全に分析して、戦乱の結果を再現できるならサイエンスになるが、それはできない相談だ。もちろん歴史学は学問としての存在意義があるが、自然科学ではないのである。//

p42
//チョムスキーは、人間の言語はすべて「同じ」だと考え、文法を普遍的に説明する原理を探究した。//……//あらゆる言語は「同じシステムを持つ」と考えたのだ。表面的な表現型はそれぞれ異なるが、その本質を探っていくと、どの言語も実は同じ型(構造)に基づいている。その前提で言語の研究に取り組んだのは、チョムスキーが最初だった。//
p43
//チョムスキーにとっての「鉄球」は英語だった。アメリカで生まれ育った彼にとっては、母語である英語が一番研究しやすかったからだ。英語であれ何であれ、ある一つの言語の構造を徹底的に研究すれば、人類の言語が普遍的に持つ「文法」が明らかになるだろう。もしほかの言語に当てはまらない例外が出てきたら修正すればいいだけである。//

p43
//チョムスキーは過去のインタビューの中で、何度も近代言語学の祖とされるソシュールの影響について聞かれているが、いつもはっきりと、その影響はゼロだと答えている。//

p44 ①言語能力 ②言語知識
この2つ //両方の用語が意味するのは、脳に内在された「情報」であり、母語を獲得する能力としての生得性を基礎としている。なお、この「能力」は、言語知識の運用能力や、発話能力などと同一視してはならないし、この「知識」は学習や経験から区別され、ほとんどの場合で意識されることがない。これらの点は特に誤解されやすいので、注意したい。//

p46
//教育を受けた経験のない人が高い知性を持ちうることに驚いたプラトンになぞらえて、そうした能力についての問題提起をプラトンの問題という。この問題は古代ギリシャから現在にいたるまで連綿と問われ続けてきた、まさに究極の問題なのだ。//
ブリコラージュ

p47
//ギリシャのアリストテレス以来、人は「白紙の状態(タブラ・ラサ〔tabula rasa〕)」で生まれてくると考えられてきた。まっさらな紙に文字を書き込むように、生まれて初めて脳に経験が蓄積されるようになり、言葉が覚えられるというイメージだろう。しかしこの考えに従う限り、「プラトンの問題」は解決しない。
 この「プラトンの問題」に初めて答えたのが、チョムスキーだった。生後間もない脳は決して「白紙の状態」ではなく、あらかじめ言葉の秩序、すなわち普遍文法が組み込まれていると考えたのだ。すると、まわりの言葉が乏しくても言葉の獲得が可能になり、そればかりか見聞きしたことのない「文」まで自在に生み出せるようになる。ただし、昨今のように家庭内の会話が極端に少ない場合は、子どもの言語獲得に深刻な影響が起こっている可能性がある。//
※例としては適切でないかもしれないが、”オオカミ少年”(オオカミに育てられた少年)が思い浮かぶ。
p61
//まわりに言語環境がなければ、「オオカミに育てられた子ども」のように言葉は話せないのではないか。//

p49
//このように、報酬や罰などに適応して自発的にある行動を取るように学習することを「オペラント条件づけ」という(「オペラント」は「操作する operate」をもとにしたスキナー〔1904-1990 アメリカの行動主義心理学者〕の造語)。そしてスキナーは、人間の言語行動もオペラント条件づけの一種だと考えた。人間が言葉を使うようになるのは外からの刺激への反応であり、後天的な「学習」の結果だというのである。
 スキナーに代表されるこの「学習説」〔「スキナー箱」〕は、まさに脳が「白紙」の状態で人間が生まれてくることを前提にしたものだ。したがって、スキナーの行動主義的な理論では「プラトンの問題」は説明できない。多様かつ複雑な言語能力という「反応」を引き出すには、後天的な学習は「刺激」として乏しすぎるからだ。//
p53
//実は、行動主義に対して決定的な打撃を与えたこの論文〔33ページもの批評論文 1959年〕によって、チョムスキーはその名を広く知られるようになり、「言語生得説」を打ち立てることになったのである。//

p52
//理屈を知らなくとも正確な使い分けができるのだから不思議である。//
※主語に続いてくっつく助詞「が/の」の使い分けを例にして

p53
//このような学校文法の多くは「現象論」にすぎないので、「なぜ」と理由を問うこともできないのだ。//

p54
//チョムスキーが考えたのは、人間が言葉を生み出すことの根底にある、すべての個別言語に共通の文法、すなわち「普遍文法」だった。この「個別言語」とは、日本語や英語などの具体的な言語を指す。「チョムスキーは言語(個別言語)が生得的だと言っている」という誤解が実際にあったが、生得的なのは母語それ自体ではなく、母語を獲得する能力なのである。//

p56
//生成文法は、チョムスキーが発見して理論化しただけで、人が作ったわけではない。人間の脳に普遍的な文法システムを与えたのは自然である。普遍文法は言葉の「意味」とは違って人間の文化的産物ではなく、生物学的な脳機能というべきなものなのだ。//

思考やコミュニケーションに言葉は必須であるが、
言葉は「思考やコミュニケーションを必要(目的)として」生成されたのではない。

p56
//従来の古典的な言語学には、そうした生物学的な視点がほとんどなく、言葉を人間が歴史的に作り出したもののように扱ってきた。しかしチョムスキーの理論はそうではない。生成文法は自然の産物であり、人間が言葉に与えた「意味」からは完全に独立している。
 人間が「意味」を伝えるコミュニケーションのために言葉を生み出し、文法もその副産物だという前提で考えている限り、文法が意味から独立して存在するということは理解できないだろう。//
p58
//文から意味を取り去ってもその文が文法的かどうか判断できるのだから、文法判断が意味から独立していることは明らかだ。//……//「人間のコミュニケーションのために生まれ、進化した」と主張する研究者はいまだに後を絶たない。意味を伝え合うことで成立する言語から、意味を除いて研究することは直感に反するというわけだ。しかし、先ほどの例文(1)から明らかなように、その議論は正しくない。//
p58
//人間の言語は、コミュニケーションのために作られたものではない。進化の過程で、脳にたまたま普遍文法という働きが備わった結果、思考やコミュニケーションに使われるようになったにすぎないのである。詳しくは後で述べるが、その普遍文法は言語だけでなく芸術などの創造でも使われ、人間の知性の根幹となったと私は考えている。
 そもそも生物の進化には「目的」など存在しない。「キリンの首は高い木の葉を食べるために長くなった」とか、「高度な思考や知性のために脳が大きくなった」などという目的論(teleology)は、進化論に対するよくある誤解の一つだ。進化は、「なるべくしてなる」といった運命論や宿命論(fatalism)でもない。
 人間がたまたま得た文法を使って言語によるコミュニケーションを行うようになったのも、進化がもたらした「結果」や「現象」にすぎない。言語は、コミュニケーションという「目的」のための手段ではないのだ。
 チョムスキーをめぐる誤解の一つに、「チョムスキーは進化論を否定した」というものがある。だがチョムスキーが否定したのは、言語に対する選択圧(突然変異の選択にかかわる要因のこと)であって、進化論そのものではない。選択圧が関与しない突然変異の例として、適応の上で有利でも不利でもない「中立な変化」があり、正常な遺伝子とよく似た配列を持ちながらも機能することのない「偽(ぎ)遺伝子」が多数存在することが知られている。
 言語能力は環境に適応するような突然変異が徐々に積み重なって現在の形になったのではなく、選択圧と関係しない突然変異によるものだとして、チョムスキーは次のように述べている。
 「あるわずかな変化、脳内のわずかな再配線があったことは間違いなく、その再配線によって言語のシステムがどうにかして作り出されたということを意味しています。そこに選択圧は存在しません。ですから、言語の設計は完璧であったのでしょう。それはただ自然法則に従って起こったことなのです」(〔出典、チョムスキーの著作物2015年:略〕)//
p60
//ここで「ですから、言語の設計は完璧であったのでしょう」と述べているのは、先ほど説明したように、「言語は生存環境への適応の産物ではなく、選択圧と関係しないから、言語の設計は完璧になり得た」という意味である。脳科学者の中には、人間の脳機能はすべて進化途上で選択圧にさらされたことによる試行錯誤の産物だから、完璧な設計などあり得ないと主張する人は確かにいる。人間の脳機能が完璧でないという証拠に、錯覚や妄想などがあるというわけだ。
 しかし言語は、後で述べるように無限に長い文と、文中の呼応(前後の語句が一定の形で結びつくこと)を扱えるように完璧に設計されている。たとえ一兆、一京(一兆の1万倍)のように、いくら大きな数であっても、それはすべて有限な数にすぎず、無限には遠く及ばない。つまり数を段階的に大きくしていったところで、無限には決して到達できないということだ。化石人類の進化の過程で、例えば三まで数えられる類人猿から出発して、十・百・千・万・億……のそれぞれまでを数えられる段階を「連続的に」経ながら、やっと人間のように無限を理解する種が現れた、というのは誤った議論である。これは数の大きさという「量」の問題ではなく、有限と無限という「質」の違いである。人間の脳は、突然変異によるたった一度のみの不連続な変化によって、確かに「無限」に対応できるようになったと考えるしかなく、人間はその時点で完璧な能力に到達したと言えるのだ。//

p62
//実際、双生児の間にはその二人の間だけで通じる「ツイントーク」(独自言語 idioglossia の一種)が知られている。例えば、「ダ、ダ、ダ」と言う時のわずかな抑揚の違いで違った意味が表され、それが二人で共有される。特に一卵性双生児どうしでは意思が通じやすいため、一般的な傾向としてどんどん言葉が短くなっていき、親も分からないような会話が成立してしまうのだ。この現象も、クレオール化の一例として理解できる。
 双生児では二人で話し合って考えることがよくあるというが、それはちょうど自問自答しながら考えるようなものである。すると、たった一人でも思考力が高ければ、自分との対話を通して新たな言語を生み出せるかもしれない。つまり、言語の起源は他者との会話とは限らず、そうした「内言語(思考言語)」であった可能性もあるのだ。//

p63
//人間の言語の根底に共通した秩序があるからこそ、どの時代、どの地域の言葉(個別言語)であっても、それらの間で相互のやり取りが保証されるのだ。そうした言語の深層にある構造を知ることで、人間の本質が見えるはずだとチョムスキーは考えた。//
※山下恒夫『大黒屋光太夫』岩波新書 p66
//数カ月たったある日のこと。共同作業をしていたロシア人が、磯吉が身に着けている腹巻や手甲(てっこう)などを指さし、「エトチョワ」を連発する。磯吉の頭にとっさにひらめくものがあった。そこで磯吉のほうから、ロシア人が使っている鍋を指さし、「エトチョワ」とやってみたところ、「コチョウ」の言葉が返ってきた。この磯吉の機敏な気転がロシア語を知る第一歩となった。覚えたロシア語の数がどんどん増えると、カタコト程度の会話ができるようになり、日本人漂民とロシア人との親しみは一挙に増した。//

p63
//人間の思考力とは、言語能力という基盤の上に想像力が加わったものだ。人間のさまざまな能力は分けて考えてしまいがちだが、「思考力(知性)=言語能力(理性)+想像力(感性)」として、有機的に結びつけて考えたい。//

木構造 tree structure き・こうぞう

p64
//チョムスキーは、ヘブライ語や英語などの文構造を徹底的に研究することによって、自然言語は基本的に木構造になっていることを発見した。//

p67より

p65
//一番高い位置で、主語と述語に枝分かれする。さらに述語が、目的語と動詞に分かれるわけだ。//
p71〔★⬇p117参照〕
//自然言語の木構造では、基本的に二股の分岐のみに限られ、三つ股以上が許されないことで階層性が生じるのである。//
p66
//〔図1で〕「二階建て」だった木構造が、さらに三階建て、四階建て……といくらでも積み上げられることが分かるだろう。このような積み上げの性質を「階層性 hierarchy」と呼ぶ。階層性を持つ木構造が骨格として言語を支えているからこそ、人間はいくらでも長い文を生成できるのである。//

※本書では、木構造をp65で、主語と述語の関係で説明している。「みにくいあひるの子」は主語/述語の関係ではない。本書には、この但し書きがない。「みにくいあひるの子」は修飾語/被修飾語の関係だ。この解釈で、図(p69)を改めてみた。

※算術計算(かけ算)では a×(b×c)=(a×b)×c の等式が成り立つが、木構造の場合、A a×(b×c) (a×b)×c B としている。結合法則について「成り立たない場合」(p72) があるとするアイデアは、わかりにくい。

p66
//同じ語順の文であっても、木構造が変わればその意味も変わる。//
p68
//音声で発話すれば、両者をはっきり区別できる。//……//この境に生じる「間」は、一階と二階の区切りに相当するのだ。同時にイントネーション(「みにくい」の語尾が下がるか否か)も変わるため、さらに区別しやすくなる。//

p74
//人間と自由な会話ができる人工知能を作るには、「話者」というフレームをうまく設定して、適切な文脈に基づく文を作っていく必要がある。そして一つの文を作るにしても、木構造の再現や、構文の解析が不可欠である。実際、木構造に基づいて構文解析の技術を取り入れた人工知能の研究も進められている。//
p77
//文法をモデル化しようとするなら、木構造の枠組みを入れることが必須となってくる。//
p77
//子どものように、環境の中で自然と言語を習得していくような人工知能を作るためには、脳に組み込まれた言語獲得のメカニズムについて研究しなくてはならない。その道のりは途方もなく長く険しいかもしれないが、挑戦しがいのある問題なのだ。//

日本語×英語 の比較(←図7)

p80
//〔←図7〕主語「これは」と述語「あきらくん[です]」が最も遠く離れているが、図7上のように、両者が木構造ではに一番近いところで結びついている。それ以外の文節はすべて「あきらくん[です]」に対する修飾語となるわけだ。//
※p67図に「←3階 ←2階 ←1階」の表現がある。「」の意味は辞書(新明解国語辞典第三版)によれば、//木の、根から上の方に延びて枝・葉を出す太い部分。// とある。「←3階」部分や //に一番近いところ// という説明のしかたが、樹木の幹イメージと異なり、わかりにくい。図を上下反転させればよいか?
p82
//〔図7下〕主語”This”と述語”is Akira”が呼応することに変わりなく、この文の木構造は図7下のようになって、主語と述語がやはり幹に近いところで結びついている。//
p82
//見た目がかなり違うのは、日本語では関係節の修飾語が被修飾語の前につくが、英語では関係節(whoやwhichなど)の修飾語が被修飾語(この場合は”Akira”)の後につくという違いのためだ。//
p83
//このように、間にある語を除いた呼応のみの関係で定まる距離(物理的な距離とは区別して「構造的距離」と呼ぶ)は、変わらない(図7の太線部)。前述したようにこれらの性質は日本語と英語で共通であるばかりか、人間の言語すべてに共通しており、普遍文法の性質の一つと考えてよい。//

p212 色つけ等改変

p211
//これまで説明してきた文の木構造の上下をひっくり返して、元の「木」に戻してある。//

p210
//前章で「統辞構造論」の〈第6章〉「言語理論の目標について」を取り上げた際、「ミニマリスト・プログラム」について述べたが、私たちの最近の実験は、そこで扱われている「併合」という概念に関わるものだ。//

p82
//以上見てきたように木構造という考え方自体は単純だが、主語・述語や修飾語・被修飾語などを枝分かれに関係づけることで、言葉〔日本語と英語〕を入れ替えても同じ文の構造を定めることができる。//
p83
//日本語やロマンス語系のイタリア語・スペイン語などで主語を欠く場合はあるが、その場合は主語が省略されただけで、「空(から)」の主語(「空主語〔くう主語〕」と呼ばれる)があると考えればよい。//

再帰性 recursion と 階層性 hierarchy

p92
//以上見てきたように、再帰性と階層性を明らかにすることで、言語機能を説明できるという手応えが得られた。その意味でチョムスキー言語学は、人間の本性を「自然現象」として探るサイエンスなのである。//
p83
//『これは のみの ぴこ』などの例で見てきた木構造のように、同じような構造を何度も繰り返し当てはめて組み上げていく性質のことを、「再帰性」という。//……//同じことを繰り返すだけで、延々と入れ子構造が作られる。形だけ見れば、すべて「自己相似」になっており、再帰性を持つ入れ子構造である。//

p84
//0から始めて「得られた数に1を足す」という足し算を無限に繰り返して//……0,1,2,3,4,……//再帰性の最も単純な例//……//「X→0; X→X+1」という短い「文法」で表せる。//……//この文法は、次の章〔第2章〕で説明する「指令公式」と同じ形になっている//

p84
//フラクタル構造のさまざまな例を、自然界に見出すことができる。雪の結晶もしかり、樹木の枝や葉脈、河川の分流、そして山並みや海岸線まで、スケールを問わず存在する。人体もフラクタル構造の宝庫である。血管や神経も成長の過程で細かく枝分かれを繰り返し複雑化していく。//
※脳は形を成分にわけて記憶しているようなことを学んだ気がする。フラクタル構造として記憶するということか。

p86
//チョムスキーはよく「言語は雪の結晶のようなもの」というたとえで説明する。それは詩的な比喩ではなく、三つの重要な意味が込められていると言えよう。//……
//一つ目は、言語の構造が雪の結晶のように、完璧な自然法則に従う//……
//二つ目は、言語の木構造が、雪の結晶構造などのようなフラクタル構造を持つ//……
//三つ目は、どの言語の文も、雪の結晶と同様に無限のバリエーションを持つ//
p88
//生成文法の本質をひと言〔「言語は雪の結晶のようなもの」〕で表現している//

p88~89 「階層」事例(//再帰的な階層性//)
素性→語・統辞範疇→文節・句→文・段落→文章
秒→分→時→日→週→月→年→元号・世紀
建物→番地・号→字(あざ)→町村・区→特別区・市→郡→都道府県→国


p197
//1991年から翌年にかけて、fMRIを初めて人間に使った実験が報告され、私もその翌年から日本で初めてfMRIの実験を開始した。人間での本格的な脳研究を可能とする、待ち望まれた技術だと直感したためだった。なお、手法の名前はfMRIでも、使用するのはあくまでMRI装置だから、「fMRI装置」と呼ぶのは間違いである。//

併読:チョムスキー♠『統辞構造論』岩波文庫 2014年

p94
//人間の脳には生得的に文法が組み込まれているとしか考えられないという点も重要だった。その「普遍文法」の基本となるのが、再帰性と階層性を持つ「木構造」にほかならない。//

p95
//これら三つの論考をまとめて、マサチューセッツ工科大学(MIT)での講義用に書かれたのが、1957年に発表された『統辞構造論』である。その後の理論の発展によって自ら修正した部分もあるが、ここで述べられている理論の基盤は現在でも揺らがない。チョムスキー理論の原点はこの本であり、革新的な考え方のエッセンスがすべて詰まっている。//

p98
//次に注目すべきは、チョムスキーが「装置 device」という言葉を使っていることだ。これは、自動的に働く抽象的な「文法」を意味するが、装置の実体としては「脳」のことである。つまり文法とは人為的に作られたものではなく、脳が生み出すものだと考える。そのため文法は自然科学で研究するものとし、そうした文法の基礎的な性質、すなわち「根源的諸特性」を解明しなくてはならない、と力強く宣言しているのだ。//
♠p10
//ある言語の統辞的研究は、分析の対象となっているその言語の文を産み出すある種の装置と見なせるような文法を構築することを目標としている。//
♠p10
//より一般的に言うと、言語学者は、文を産み出すことに成功した文法の根底にある根源的諸特性を決定するという問題に取り組まねばならない。//

p98
//それ〔学校で習う文法〕に対して、文そのものを生み出す装置のことを、「生成文法」と呼ぶのである。//
※生成文法(=普遍文法 p56)……p94//「普遍文法」の基本となるのが、再帰性と階層性を持つ「木構造」にほかならない。//
p98
//個々の言語ごとの細則を個別に記述するような複雑な文法は、チョムスキーの目指す「妥当な言語理論」とはかけ離れたものなのである。//

p117
連鎖 strings ……//複数の記号〔語句、aとb、数式など〕が並んだ一まとまりを「連鎖 strings」//
文 …… //一定の規則に基づいて並んでいれば、その連鎖を「文」と見なす。//
言語 ……//文の集合を「言語」という。//
人工言語 ……//計算機のプログラミング言語(人工言語)を含め言語を広く捉え、統一的に分析するという目的がある//

p117
//人工言語の連鎖では、必ずしも二股だけで木構造ができているとは限らないが、前述のように(71ページ)〔★↑p71参照〕自然言語の句構造は二股だけで分岐することに注意したい。ただし、「りんご・いちご・バナナ・……」などと列挙する場合(等位節)は、語を前から足しても後ろから足しても意味が同等な場合(前述した結合法則を満たす場合)に限り、例外的に(便宜上)三つ股以上で表すことを認める。//

p118
//普遍文法と見なせる次の二つの原理をまとめておきたい。
(第1原理)木構造で枝分かれの生じる節点では、下に主辞が必ず含まれる。
(第2原理)木構造で枝分かれの生じる節点では、二股の分岐が必ず生じる。//
p118
//これらは、自然言語の特徴として生得的に人間の脳にあり、乳幼児が周りのデータをもとに学習する必要はない。//

養老孟司『唯脳論』文庫版 p145
//こうしたことから、言語の発生の必然性の問題は、当然のことながら、他の身体部位の問題よりも、大脳皮質に関する議論とならざるを得ない。//
p145
//言語には視覚の言語聴覚の言語とがある。さらに言うなら、点字は触覚の言語と言っても言い。この三つの感覚だけが、言語を構成できるらしい。//

2023.1.16記す

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