||||| 主体論と遊びの起源 |||

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 この命題(仮説)において、「遊び」を定義する必要がある。新生児に始まる乳児において、その「遊び」は定義されるものとする。5歳以降や就学児童が行う「遊び」がいわゆる「子どもの遊び」というものであろう。この対象年齢から引き下げて、「乳幼児の遊び」とは、睡眠時以外の、即ち覚醒時におけるすべての行動(食事、排泄を含む)を「遊び」と定めることにする。

 浜で砂をすくう。こぼさないように、少しでもたくさんの砂を……。やわらかい、こまかい、さらさらしている、あたたかい、気持ちいい。すきまからこぼれおちる。
 子育てとは、砂をいっぱいすくい、こぼれおちると思いながらも、愛おしく思う。子育てとは、そういうものだと思う。

「遊び」生得説 2024.7.15
遊びの起源(この下↓)

見る ブリコラージュ

「見る」ということ:ブリコラージュ
カタチとイミ
プラトンの問題

じゃんけんは、遊びに加えてもらい、見ることで、体験して身につく。
みつめる / みられる / みつめられる

言語と思考 主体論(木構造/主体仮想センサー)

チョムスキーの言語理論(言語生得説)
二択、三択を、木構造で読み解く
間主観性期の木構造と「ハートスケール」
レフ・ヴィゴツキーのいう「内言/外言」の正体
文法中枢をイメージする主体仮想センサー主体仮想センサーの思考実験
主体論

進化に沿ってヒトの発達を考える

わが子を守るのは、かわいいから? :ベビーシュマ
つながろうとする脳
子育ての公理
心のモジュール説

生得性に逆らえるか?

ベルクソンの弧 ──「いのち」の数理モデル:福岡伸一『動的平衡』
生得性には拘束されない、が……
「子ども期(遊び)の再生」は夢ではない、可能である!

遊びの起源

▶ 「主体仮想センサー」を受けて……

 主体論では、チョムスキーの言語理論の要、句構造(木構造)の分岐構造を「主体仮想センサー」と読み直して述べた。生理的認知に対概念が見られることから「遊びの起源」を予見させる。ここで急がず、足場を固めたい。

 レヴィ=ストロースは『野生の思考』で、一万年前の新石器時代文明を極めて優れていると評価している。その文明は「見る(ブリコラージュ)」で成り立っているとしている。乳幼児は「見る」ことで遊びを習得する。見方を変えれば、「見る」ことなくして遊びを身につけることはできない。そして、乳幼児の「見る」能力あるいは「見る」ことで習得する学習効果は極めて優れている。
 ここで主体論を引き継げば、「見る」その能力は、生理的認知対概念で説明可能である。その生理的認知対概念は乳幼児期において未完成というか「かたち」はあるものの未成熟である。その未成熟部分は、間主観性で埋め合わせられ、他者理解を経ながら、段階的に成熟をみる。この経過において、「遊び」が位置づけられるのである。すなわち、生理的認知対概念の成熟のために「遊び」を必要としている。成育に食事や睡眠が欠かせないのと同様、「遊び」は主体仮想センサーが必要な要件として求めたものである。よって、「遊び」は生得的である。

2024.8.10記す

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