||||| 最古の科学 ── 動物の跡をたどる技術 ── 象も… |||

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ライアル・ワトソン『エレファントム』
p187
//動物の跡をたどる方法は、言葉では説明できない。それは実際におこなわれる動きであり、問題解決の過程そのものだ。うまく居場所をつきとめるためには、広範囲の経験に加えて、大きな想像力が必要とされる。
 優れた追跡者は足跡だけでなく、目に見える現象の行間にあるものを注意深く読み取る。単に足跡を見るのではなく、足跡を見抜くのだ。彼らの仕事ぶりは実に巧妙だ。夜明けや夕暮れの低く射しこんでくる光を好み、足元を見下ろさずに前方を見つめる。目を凝らし、いま見えているものより先にあるものを見通す
 とくに優れた者は、一つのことに長く注意を留めない。断続的に砂地の足跡に目を向けるが、すぐに他の形跡へと視線を移す。情報を巧みに操り、絶えず変化する目で全体を眺めている。
 南アフリカ出身の生物学者・考古学者であるルイス・リーベンベルクは、動物の跡を追う技術を最古の科学と位置づけている。その知的過程には、現代の科学に通じるものがあると言う。
 彼によれば、科学は今でも獲物の追跡と同じように、目に見えないモデルを用いて目に見える世界を説明しようとしている。あらゆる問題における観察可能な性質というのは、足跡と同じく目に見えない過程を表す印のようなものだ。それを理解するためには、入念な観察だけでは足りない。そこには純粋な想像力が必要とされる。原子より小さな構造を扱う素粒子物理学者でさえも、泡箱に表れる”通り道”を調べて粒子を”追跡”し、獲物に迫っていくのだ。
 優れた追跡者と同じように、優れた科学者にも直感が不可欠だ。リーベンベルクはそれを「必要とされるはずの情報よりも少ない情報に基づいて、結論に到達する」と言い表している。そうした想像力による飛躍は科学というよりも呪術的に思えるが、実際に新事実を発見する過程ではこれがよく用いられている。本当に新しいものは、既成の知識だけでは見えてこないからだ。
 既成の知識というものは、権威を帯びて教条的になることがある。絶対に正しいとされる事実や枠組みを作りだし、それらを議論の対象から除外する。多くの教科書は新たなアプローチの可能性を認めない。信じて飛躍することこそが本当の進歩につながるということを忘れている。//
※続けて……

p188
//動物の跡を追うときには、その動物と同じように感じ、考えなくてはならない。感情移入し、ある種の直感的感覚を頼りにすることが大切だ。その感覚のことを、ある人は額の中心に「焼けるような感じ」があると言い表している。また「肋骨が軽く叩かれる感覚」と言う人もいる。
 そうした生理的な反応は、サブリミナル知覚によるものかもしれない。つまり意識に上らないほど微細なものごとを、無意識的に認識しているのかもしれない。こうした情報は脳の旧皮質や古皮質に溜まっていき、やがて十分な量に達すると、私たちがふだん忙しく働かせている新皮質に溢れ出してくる。そして私たちの注意を引こうとする。
 どこからともなく出てくるその情報は不可解に感じられ、一般の人は無視してしまうことも多い。しかし動物の残した跡を正確に読み取り、それを使って予測をおこなう人々は、そうした情報をけっして見逃さない。
 獲物の追跡が始まったのは遠い昔、おそらく私たちが人間になる以前のことだった。初めは視覚や匂いに頼って跡をたどるという単純なものだったのだろう。しかしまもなく複雑さを増し、他の情報を集めて系統立った処理をするようになった。そのためには論理や理性が必要とされるので、脳がかなり高度に発達していなくてはならない。
 しかも追跡の最終段階になると、予想や推測というまったく別の作業が必要になってくる。これは人間以外の動物には不可能なことに思える。ところが、人間だけに限られた才能というわけではなかったらしい。象もそれをおこなっているようなのだ。
 クロース・アレントは並外れた追跡の名人だった。//
※クロース・アレント……「鷲の子」という名前の木樵(p176~)

2023.6.7記す

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