||||| 藤井英二郎ほか著『街路樹は問いかける』|||

Home > つぶやき OpinionProfile

 木の下で雨やどりする。なぜ、雨に濡れないのだろう。
 晴れていれば、葉は日射しを受けて光合成を行う。上の葉は下の葉の邪魔にならないよう、つまり、自分の陰が下の葉にかからないよう少しずらして葉を出す。無数の葉が互いにゆずりあっているので、結果、どの葉にも太陽の恵みがある。だから、上から降ってくるものが雨のときは、葉のひろがりで傘の役割を果たしてくれる。
 暑い夏、日傘にもなる。マツなど針葉樹よりもケヤキやクスノキ、エノキ、カエデやサクラのような広葉樹だと効果は大きいだろう。緑陰は歓迎されるのだが、落ち葉はときに掃除が大変だと迷惑に思う向きもある。
 かといって、台風シーズン前に丸坊主にされてしまう街路樹を、ときにかわいそうと思う。そこまで伐らなくても、と思ってしまう自分がいる。ケヤキは自然にまかせれば立派なかたちを見せてくれる。しかし、刈り込まれると、みっともないケヤキになってしまう。ごめんなさいという気分だ。
 人間の都合ばかりで飾り物になっている街路樹。それで、いいのだろうか。「まちの緑」について、その意義を考えたい。

 藤井英二郎ほか著『街路樹は問いかける』(岩波書店2021年)を開くと、アメリカ、ドイツ、フランスの、街路樹に対する先進的事例が紹介されている。緑陰の下でくつろぐパリ市民がうらやましい。年に一度、仙台市へ行くが、駅近くの青葉通りは大木の並木が連なり、その木陰を、クルマが走り、人々が歩く。木々の隙間からまち並みが覗ける。百万都市のド真ん中だからクルマも人も多い。なのに、みょうに落ち着く。
 かつて、神戸市は街路樹が「大きかった」。山手幹線では、南北の歩道際から伸びた大きな枝が路線バスも通る道路のほぼ全部を覆っていた。神戸市は政策を変更したようで、今ではその面影はない。何が原因だったのだろう。
 緑化政策「宇部方式」というのがあった。なぜ、そこに行ったのか、認識不足でよく覚えていないが、東京都の当時公害局長をしていた田尻宗昭氏の熱弁を、宇部市の現地で聴いた。前掲書によると、//マンチェスターを超える「世界一の煤塵の町」ともいわれたのです。そのような深刻な環境悪化の中で西田文次市長(1946~50年)は「緑のユートピアの町」を目指し緑化事業への強い決意を固めました。//p60 とある。

 p12//世界にも稀な「寂しい」状態にある日本の街路樹を、どうしたら再生できるか。// 「寂しい」状態は、焼け野原となった戦災復興に始まり、クルマ社会が到来し、//1970年代以降//p73 街路樹は顧みられることなく今日に至っている。日本では「緑被率」が緑化事業の目安とされてきており、その”思想”がいまも堅持されている。しかしながら、脱炭素、温暖化対策が「いま」の最重要課題である。先進事例は「樹冠被覆率(じゅかんひふくりつ)」を指標とし、目標が数値化され、達成年度が設定され、計画は実行の渦中にある。日本は明らかに遅れている。それが本書の訴えである。
 街路樹や「まちの緑」について、これを公益(公共財)として受け取る市民の意識をどのようにして高めることができるか? このことが、わたしたちにとってまずは取り組む課題ではなかろうか。落ち葉の活用も含め、人類共通SDGs目標を共有知的財産とする時代認識に立ち、新たな環境創造が求められていることを認識したい。本書にはそうしたヒントが多くある。

2023.6.20記す

© 2024 ||||| YAMADA,Toshiyuki |||, All rights reserved.