||||| 少年文学の〈少年〉は「年少(としわか)き者」:明治20年代 |||

Home > 「豊かさ」を問う > 子ども期の再生

関谷博『幸田露伴の非戦思想』平凡社 2011年

p12
//その前にもう一つ、確認しておかねばならないことがある。今日、私たちの考えている「児童文学」と、露伴の〈少年文学〉との違いである。//

p12
//〈少年文学〉は、現在のいわゆる「児童文学」の先駆的存在として、その黎明期(およそ明治20年代)に作られたもの、と一般には考えられているようである。//
p12
//しかし、いざ、そのつもりで読んでみると、内容もさることながら、まず何より難解な漢字漢語が容赦なく頻出するのに、ほとんど誰もが面食らうにちがいない。一体、〈少年文学〉の著者は、誰に向かって書いているのか、どんな子供を読者として想定しているのか、全く見当がつかないことと思う。//

p12
//とまどいの原因は、〈少年文学〉の〈少年〉が、私たちの前提としている「児童文学」における「児童」とは、異なる存在であるという点に求められるだろう。//
p12
//後者にいう「児童」とは、学年別にカリキュラムが組まれた近代的教育機関としての学校に通う子供である。彼らは、自分たちの学力なるものを、一般的な発達段階に応じた学齢によって、”これこれの程度”と想定された存在なのである。従って、例えば「小学校高学年向」などと区別され、当の学年の子供たちが読むという約束になっているのが、「児童文学」である。だから、子供の方も、「まだ学校で習ってない字が出てくるから、この本、読まない」などと言いだすことにもなる。そんなことを言いだした時が、真に「児童」の誕生した時、というべきか。//

p13
//一方、〈少年文学〉の〈少年〉は、学校教育とは一応別に、多少なりとも漢籍の巣読体験を教養として持つような、「年少(としわか)き者」の意である。//

p13
//また、同じように「児童文学」の流儀で〈少年文学〉の中身の吟味を始めると、私たちは必ず、次のような愚痴をこぼしだすにちがいない。曰く「説教臭くて退屈」、「教訓的すぎる」、「子供の想像力を刺激するような空想性に乏しい」等々。
 しかし、これはまた、「児童文学」という時の「文学」と、〈少年文学〉の〈文学〉の概念が、内容を異にしているからなのである。前者は、およそ明治20年代に確立するところの、小説ジャンルを中心とした新しい文学概念である。フィクションによって主人公の心の動きをリアルに読者に体得させることを目指しているのが、「児童文学」の「文学」だ。しかし、後者の〈文学〉は、漢詩文を主とし、その内容の中心に据えられるべきは、経世済民の志である。これを「児童文学」のつもりで読めば、堅苦しくて退屈だと、音をあげるのも、当然ということになる。//


 フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生』においても、18世紀は「年少(としわか)き者」の時代だった。子どもの主体性が認められるようになるのは、上の〈少年文学〉に則せば、明治20年代以降、概ね1900年(20世紀)を待たねばならないということになる。

2023.8.22記す

© 2024 ||||| YAMADA,Toshiyuki |||, All rights reserved.