よちよち歩きのあかちゃんがふらついて、こけそうになったとき、手がでる。
(あぶない!)と思ったから手をだしたのでしょうか。意思が働いたか? まさか、そんなことはない。
生まれたときから持ち合わせている「反射」か? 這い這いのときに手をつかって進み、頭をあげていた。こんどは立ち上がっている。バランスをくずしたら、這い這いのときをからだが(つまり脳が)覚えていて、そう、運動の成果なのだ。反射は脳を経由しないもっと速い反応。だから、意思でもない。
あかちゃんのときから、すでに運動が始まっている。3歳でも、4歳でも、そして5歳でも、その延長線上にある。運動は、体幹というのかもしれない。
ところで、ときどきみぞにはまる。どうして落ちる?
「前を(下を)よく見なさい!」と声をかけたくなるが、集団で歩いていると、どこかでだれかが落ちる。それは、視野角がおとなよりだいぶせまいからだ。
左右は、おとな120度に対して、3歳から7歳の幼児は90度、上下となると、おとなは左右とほぼ同じ120度だけれど、上下は70度ほどと幼児はせまい。首を下に振らないと足もとを正確には観察できない。前方に(左右に)気をとられれば、ついでに下も見るというのは、どうやら幼児にはむずかしそう。
では、どうやれば落ちないですむか? ゆっくり進むということになるか。でも、やっぱり落ちる。全部、脳のなせるわざ。発達を見守るということになる。
みぞをなぜか歩きたがるので(それもみぞのふちを……)”見守る”しかない。「落ちるよ!」と、足もとを見るように声かけるしかないか。
それにしても、やはり なぜ 落ちるのか。
幼児は、実際のところ、目線は下向き傾向にある。目線はうつむき加減だ。だから、不思議。おとなのわたしたちは、気をつけているつもりでもうっかりミスをおかす。ぼんやり考えごとをしていたり、急に何かに気をとられたり……。もしかしたら、子どもは、ふと「おとな」になる瞬間があるのかしら。
自然石や土のあるところは足もとを見ようとするが、コンクリート護岸など手入れが行き届いたところは見ない。視野角が狭い、「見えてない」を念頭に置くことが一番の回避策だろう。
2023.8.30記す