||||| 中田幸平『野の玩具』|||

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 副題「草笛・竹トンボの世界」とあり中央公論新社から刊行されている新書である。これらの書誌情報からして図書館では「NDC 384 社会・家庭生活の習俗」に収められている。目次は大項目で「子どもと植物/ホオズキ/竹のおもちゃ/草人形/棒の遊び/ママゴトとイヌタデ/松と子ども/草笛の思い出」とある。
 ママゴトの章を読むと、著者の四きょうだいの末っ子5歳の妹が疫痢(えきり)で亡くなった顛末が書かれている。
p104
//校庭の裏口から道路に出ると、できるだけ早く家に帰るため近道をえらび、畠や川べりを通って街の裏通りに出た。すると百メートル先を一目散に走る兄を見つけた。そしてその先に赤いスカートをはいた三年生の妹が、ころがるように走って行く姿が目に入った。妹も兄も私も、一つの糸にたぐられるように、ミー子のもとへと走った。私は足が地について走る感覚はまったくなく、夢の中で浮遊するような姿で、先を走る兄に向って声を限りに叫んだ。//
 小説を読むふうであった。涙が抑えきれない。そんなつもりで開いた本ではなかった。

 本の「あとがき」に「昭和四十九年十月」のクレジットがある。1974年に刊行されている。
p4
//ここに至って子どもは完全に創造力を見失ったのである。
 子どもの遊びは自らつくり出すものが本質にあり、玩具はそれを補ってさらに遊びの想像力を発揮し、創造の世界をひろげるものである。ところが世の中は、おとなの子ども観によって遊びが企業化し、玩具はますます高級化し、年を追うごとにメカニックになった。//
 厳しい文明批評である。
 図書館の分類や目次から察せられる本であることは確かだ。

p164
//遊び仲間の私たちも、忽然と姿を消した京造を思い浮べると、いつも足のとどかぬおとなの自転車に乗ってきた姿がチラチラして、遊びをする気もなく呆然としていた。その京造が自転車で遊びにくる時、タンポポの茎笛をよく吹き鳴らしながらやってきたことがだれいうともなく話題にのぼると、その草笛の音色が子どもたちの胸の中を流れた。そして高く低くうねりのようなその音色は、私たち子どもの心をゆすぶりつづけた。//
 こんな脈絡でタンポポの草笛を説かれても悠長になってられない。行方不明のまま京造は……。これはフィクションではなく著者の想い出なのだ。文章がうまい。

 著者・中田浩平。1926年、栃木市に生まれる。//絵を描きたい、文章を書きたい、演劇をしたいという思いは日増しに昂り、戦争が終わると矢も盾もたまらず竹行李を担ぎ電車に飛び乗り、戦災で焼け野原の浅草駅に立った。//(チラシ文中に記載) 爾来、NHK大河ドラマ「春の波濤」で風俗考証を担当している。考証を担当するだけに文献をよくあたっていて、自身の体験とも重ね合わせ、文章作法に長けている。書のタイトルから到底推測できない内容だ。

2023.10.18記す

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