||||| 障碍の「碍」という用字について |||

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 宝塚市長は「障碍」を公用文に条件付きだが採用すると議会で表明した。全国初の自治体になるらしい。2019年4月から実施。宝塚市の政策変更は今日的課題もあるでしょう。

  1. 障害者権利条約などで規定されている「合理的配慮」
  2. ユニバーサルデザイン
  3. インクルーシブ教育

 障碍をヒト属性としてみる「インクルーシブ」の立場からは、代替の用語「障碍」が存在する以上、「障碍」を選択し、それの整備を計るのが政策として優先順位に加えられるのは自然な成り行きかもしれません。もっとも、「障碍」は代替ではなく、本来の表記なのですから。

 「心身にショウガイがある」という表現のとき、ショウガイに漢字を当てると「障害」になるのが一般的でした。私は「障碍」とします。こう宣言したのが、1983年2月です。いつしか「障がい」という表記が現れ、学校や役所の文書では標準のような表記になりました。一方、「障碍」も多くの人が使うようになりました。
 「障がい」は「碍(がい)」または「害」の不使用によって表記されるようになったと思われ、国語国字問題の観点から課題があるように私は思います。
 「碍」は、常用漢字(以前は当用漢字)にない文字です。こうしたにない漢字を「表外字」といい、表外字は〈同じ音で意味の近い漢字〉を当てることとされました。このようにして代わりに当てられた漢字を「代用漢字」といいます。つまり、「障」は「障」の代用漢字(または代用表記)です。

 常用漢字という制度(政策)は、多すぎる漢字の使用を制限するものです。これは、法的に強制されるものでなく、公文書の規範であり、報道各社は自らがこの制約を進んで採用しているものです。学校教育はこの制約のもとに行われているので、これらが結果として、国民の文字や表記に対する認識をかたちづくっています。

 漢字の使用制限については、原則、私は賛成です。「制限(制約)」という表現は抵抗があるものの、文字の使用は特権階級のものでなく、誰もが自らの能力とおかれている立場や環境において自由であるべきだからです。漢字が多すぎることで、その学習の成果で優劣があってはならない。
 諸橋轍次が編纂した『大漢和辞典』では所収漢字の数は約5万です。滅多に使われることのない漢字も多数あり、小川環樹らが編んだ『新字源』の所収漢字は約1万。常用漢字の数は約2000。かなりの削減です。ここまで減らすものですから、意外なものが常用漢字に入ってなくてよく話題になります。
 仔細には検討が必要でしょうが、2000まで減らせば確かに制限(制約)と言えるものの、議論することはよいことですから、議論を重ねたらよいと考えます。
 しかし一方で、「正しい漢字」「正しい表記」「正しい筆順」など、文字を獲得した者と文字を獲得し得なかった者との間に優劣の対立が生まれることはあってはならないことです。あくまで制限を加えた結果の漢字学習(習得)であり、本来、文字表記において「正しさ」は存在しない。
 小学校の漢字教育において、同じ漢字を一斉に学ぶという意味において筆順指導(「書き順指導」というほうが適切)の必要性は認めますが、文字を習得する手段でしかない書き順を「正しい筆順」とするのは文字教育の貧困です。学ぶ漢字を適正に減らし、学習の負担を減らし、文字の表現力に頼り過ぎず、思い・考えをあらわす感性や技術を身につけようとする意欲が大切と私は考えています。

※ 貝塚茂樹らが編んだ『漢和中辞典』では、文部省(当時)編「筆順指導の手引き」を徹底して批判していました。意を得たりで私の良きテキストでした。それがあるとき、途中の改訂から批判部分だけが削除されてしまいました。

筆順について 『漢和中辞典』より PDF

 前置きが長くなりました。このように、漢字制限の必要性を認めた上で、ショウガイについては「障碍」と、私は表記しています。理由は、2つです。

  1. 「碍」という文字は、学習するに難しい文字ではない。
  2. 温暖・寒冷の熟語は、同じ意味の漢字を2文字連らねています。「障碍」も同じ仕組みです。どちらも、「じゃまをする。さしさわりがある」という意味の漢字です。注意深く考えて欲しいことは、ここには「価値評価」は一切無いということです。

 ところが、表外字(「常用漢字表/当用漢字表」を略して「表」という。つまり「表に掲載のない字」なので「表外字」)ということで、「碍」の代わりに「害」を当てました。
 「害」には明らかに価値評価があります。「さしさわり」に価値を付加し有害であるという意味に通じるわけです。「障害」を使わないのは、ここにおいてです。

 国語審議会では、漢字制限を設けるとき、文字一つ一つについて検討したはずです。その結論において当時の国語審議会が「碍」を「害」とすることに多くの委員が同意したということでしょう。そして、政府の意見表明ということにもなります。

 電柱を見上げると、電気のショートを防ぐために絶縁物としてガイシが使われています。ガイシは碍子と表記します。白い陶器で出来ています。電気を通さず、じゃまをして有用という意味になります。

 漢字には「わかち書き」の機能があります。きからおちてくびをおった。(これはよく使われる例文です)

  •  き から おちて くび を おった (かな文字ばかりなので、わかち書き)
  •  木から落ちて首を折った (漢字を使うことで、わかち書きの機能が出てきます)
  •  木から落ち手首を折った

 このわかち書きの原理を使えば、ショウガイは「障害」または「障碍」が妥当で、「障がい」と書けば、わかち書きの機能を失います。
 ではなぜ「障がい」と表記するかといえば、「碍」は常用漢字表に含まれていないからです。役人が職務で書く公文書は制約を受けますから「障がい」と書くようになったのだろうと推察します。しかし、新聞社も、私たち民間人も、漢字制限からは自由です。役所の慣習をまねしなくていいのです。
 日本語を大切にしたいと思うのならば、わかち書きを崩す表記はやめて欲しい。読みづらい。だから「障がい」を使うことなく、「障害」か「障碍」のどちらを使うかで悩んで欲しい。

 文字とその表記というものは、保守性を内在させています。保守性があるから表現できるのであって、しょっちゅう革命的に変化していたら、とても意思疎通はできません。が、一方で、長い歳月の経過とともに変化していくのもまた特性です。
 さきほどまで使っていた表記を変えるには、相当なストレスが生じます。だから、「障害」の表記をただちに変えろとはもちろん言わないし、「障害」という漢字2文字に表現のすべてが托されているのではない。むしろ漢字に頼って表現を安易に済ませてしまうことのほうが私はよくないと考えます。このことを承知した上で、私は「障碍」を使用しています。

 近い将来、ヒト属性にふさわしいショウガイに代わる用語が創出されるのではないかと思う。

2023.7.6Rewrite
2013.9.27記す

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