||||| 遊ぶことでコトバは豊かになる |||

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 //なんと言っても人間は、コトバを使ってしか考えることはできないのでして、コトバを使って考える以上は、特定の意味と特定の音素が組み合わさった単語に頼るしかありません。//(町田健『ソシュールのすべて 言語学でいちばん大切なこと』研究社 2004年)p25
 夕陽を見て……美しいと思う。ぼんやりたたずんでいるようで、我に返れば「きれい」のコトバが自身の胸(脳のはたらき)に湧き出る。わたしたちは、思い・感情・考えをコトバで表す。コトバをもっているから、思いめぐらし、感情を伝え、考えることができる。
 生を受け、うぶごえをあげ、泣いて、やがてしゃべる。言語学者ノーム・チョムスキーは、コトバのはたらきを生得的としている。母の声を子宮で聞いているのだ。「特定の音素」を聞いている。意味は、まだ知らない。だから、フランス人のあかちゃんは、フランス語の音韻(音素)で泣くという。

 //ソシュールは現代言語学の基礎を与えた『一般言語学講義』の著者である、スイスの言語学者です。//(同p2)
//言語が処理される過程は、すべて人間の脳の中で起こるわけです。すべての人間の脳が同じしくみをもっているのだとすると、そこで行われる処理の過程にも、何らかの普遍的な性質があると考えても、それほど的はずれとも言えないように思われます。//(同p87)
//土器、織布、農耕、動物の家畜化という、文明を作る重要な諸技術を人類がものにしたのは新石器時代である。// レヴィ=ストロース『野生の思考』p18
//精密科学自然科学より一万年も前に確立したその成果は、依然としていまのわれわれの文明の基層をなしているのである。//(同p22)
 コトバは音素(音韻)が先で、その意味はあとでわかるのと同様、一万年もの前の地球人は精密科学自然科学の時代ではなかったが、見よう見まねで文明を構築した。それが今に続いているというのである。

 保育士養成校で、乳幼児は「見て」覚えると、口酸っぱくして話している。じゃんけんは見て身につく。じゃんけんのしくみは教えて伝えるものではない。じゃんけんに限らない。すべてのこと、つまり「遊び」は、見て身につく、と。意味は後からついてくる。遊びながら、その意味を覚えるということである。そして、コトバの意味も、同様、あとで身につける。

//人間のコトバの最も重要な働きは、話し手から聞き手への意味の伝達です。ソシュールが解明したかったのは、同じ言語を使っている人たちのあいだで、どうして同じ意味が伝わるのかということです。//(『ソシュールのすべて』p29)
//何らかの意味を音や図形などの人間が知覚できる対象で表したものを、ソシュールは一般に「記号」と呼びました。//(同p64)記号=コトバ、ということになる。
//そうすると、決めなければならなくなるのは、意味とは何かということです。//(同p104)

 「意味とは何か」、えっ! 「意味」を定義するって、どういうこと? 「コトバには、なぜ意味があるのか?」をソシュールは考えながらも、解明にはたどりつかなかったという。遊びは「かたち」であって、乳幼児は「かたち」を見てまねる。遊んでいるうちに、遊んでいる意味がやがてわかるようになる。「遊んでいる意味がわかる」ようになる──は、ソシュール的「どうして同じ意味が伝わるのか」という問いと同じなのかもしれない。

//「記号」はたえず「ゆらぎ」や「ずれ」をはらんでいるからです。そうなると、また次のものをつくらなければいけなくなります。次のものをつくっても、やはり完成ではありませんから、またつくる。このような形で、どんどん変形を重ねていって、豊かな文化の世界が形成されることになります。//NHKテキスト100分de名著(2016年12月)レヴィ=ストロース「野生の思考」の巻:中沢新一(p46)

 「ゆらぎ」や「ずれ」は、子どもの遊びそのものだ。この繰り返しで、「豊かな文化の世界が形成される」となれば、遊びこそは人類進化の始まりである──と、言いたい。

2024.7.1記す

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