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「戦争を知らない子供たち」という歌がある。「戦争が終って僕等は生まれた/戦争を知らずに僕等は育った」から歌い始める。1970年に北山修が作詞し発表された。わたしは二十歳(はたち)になった年だった。わたしたち若者に対して「おまえたちは戦争を知らないからなあ~」とことあるごとに言われていた。だから、まちに歌声が流れるようになって軽い反撥(はんぱつ)を感じていた。──「遊びを知らずに僕らは育った」──と同じことではないか!
1965年を境に「キツネにだまされなくなった」(内山節)とし、1990年代に昔遊びは絶えた(かこさとし他)とみてよいかもしれない。戦争は二度と起こしてはならないが、子どもの育ちに「遊び」が必須とすれば由々しきことだ。コマ回しや竹馬など”昔遊び”に熱心な取り組みは今も続いている。昔遊びのカタチだけを真似るだけでよいのだろうか? あやとり遊びでは「ひも」を手指にかける。親指と小指、三本目はかつて人さし指だった。人さし指でいとをとっている子(おとな)は少数でおおかたは中指というのが現状だ。あやとり遊びの指南書でも中指だ。
「おはじき」は百均で売られている。遊ぶためだろうか?……。手芸用か? ガラス玉をはじく指は、かつて親指だった。これは、あやとりでいとをとるよりむずかしい。昔遊びはなぜ大切か。何を伝承しようとしているのか。キツネにだまされなくなったことと、わたしは関係しているように思えてならない。
能力テストではない。親指ではじけなくてよい。中指でいとをとってもよい。それで楽しめるなら……。しかし、「遊び」で学ぶ大切なことを、もしかしたら取りこぼしているのかもしれない。1965年以降ではっきりしていることは、まちなかで遊ぶ子どもの集団が急速に消えたことだ。子どもの遊びについて、その伝承が断ち切られ、1990年代に消滅した。「遊びを知らずに僕らは育った」──現代の世代は反撥してよい。
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置き忘れてきた大切なこと、とは? 10年、20年もすれば、子どもは社会の中核に位置する。どのような社会を求めるようになるのか。世の中のひずみをただすこともするだろう。遊びで身につけた作法が黙っていることはないだろう。
2024.6.15記す
