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武谷三男(たけたに・みつお)
『増補版 科学入門 科学的なものの考え方』
+ 四六判 勁草書房 増補版1996年
この本をわたしが最初に手にしたのは、「科学のとびら」という書名で毎日新聞社から1953年に刊行されたものでした。物理と化学を教える高校の先生の本棚にあったものを借りて読みました。その後、勁草書房からペーパーバック版が再刊されました。そして、今度は「増補版」となりました。惜しくも今年(2000年)4月、著者は亡くなられました。これが最終版になったのですが、50年近くも刊行され続けた上に、増補版まで出すとは、すごい。
この本は、科学の解説書ではありません。また、こんなふうにすれば科学的なものの考え方が身につく、というハウツー的な本でもありません。紀元前に活躍したエジプトやギリシアの科学者から20世紀のアインシュタインまで、科学者の考えたこと、試みたことをたどりながら、科学者の探求心を説こうとしたものです。
プトレマイオスは天動説をとなえましたが、ローマ法王に気に入られるためではなく、彼なりの観察と解釈によって到達した理論だったのです。「アリストテレスは、虫、みつばち、きばちの幼虫、だに、ほたるなどは、朝露、腐敗した土、肥料、朽木、毛、汗、肉片などから」自然に発生すると考えたのでした。こうした生物の自然発生説をデカルトもニュートンも信じていたそうです。
この本の優れているところは、著者がこれらを”まちがい”と捉えていないことにあります。彼らなりに観察をし、それに基づいて導き出した考えであることを支持しているのです。もちろん、これらの”まちがい”を後生の科学者が改めてゆきます。私たちにとって今日の科学的常識はこうした科学史の眼を通して、やっと支えられているのです。
著者の武谷三男は、湯川秀樹らと中間子理論の研究をした物理学者ですが、戦前は2度も治安維持法で検挙され、戦後は一貫して核の危険性を主張し続けていました。この本の結びは次のとおりです。──科学者は、国民、人類の安全を守るという前提に立つかぎり、科学的発言は好むと好まざるにかかわらず政治的発言になっています。科学者の科学的発言が政治的発言として非難を受けないようになるのは政治が科学的になったときだけなのです。
この本の最初の版「科学のとびら」は、中学生ぐらいの若い人たちに向けて書かれたのです。今の中学生の読書力からすると難しいようにも思えますが、難しそうなところは気にしないで読み進めばいいのです。
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2000.7.4記す