Home > 言葉に、こだわりながらも | チョムスキーの言語理論(言語生得説)
思考やコミュニケーションに言葉は必須であるが、
言葉は「思考やコミュニケーションを必要(目的)として」生成されたのではない。
酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』集英社 2019年
p56
//従来の古典的な言語学には、そうした生物学的な視点がほとんどなく、言葉を人間が歴史的に作り出したもののように扱ってきた。しかしチョムスキーの理論はそうではない。生成文法は自然の産物であり、人間が言葉に与えた「意味」からは完全に独立している。
人間が「意味」を伝えるコミュニケーションのために言葉を生み出し、文法もその副産物だという前提で考えている限り、文法が意味から独立して存在するということは理解できないだろう。//
p58
//文から意味を取り去ってもその文が文法的かどうか判断できるのだから、文法判断が意味から独立していることは明らかだ。//……//「人間のコミュニケーションのために生まれ、進化した」と主張する研究者はいまだに後を絶たない。意味を伝え合うことで成立する言語から、意味を除いて研究することは直感に反するというわけだ。しかし、先ほどの例文(1)から明らかなように、その議論は正しくない。//
p58
//人間の言語は、コミュニケーションのために作られたものではない。進化の過程で、脳にたまたま普遍文法という働きが備わった結果、思考やコミュニケーションに使われるようになったにすぎないのである。詳しくは後で述べるが、その普遍文法は言語だけでなく芸術などの創造でも使われ、人間の知性の根幹となったと私は考えている。
そもそも生物の進化には「目的」など存在しない。「キリンの首は高い木の葉を食べるために長くなった」とか、「高度な思考や知性のために脳が大きくなった」などという目的論(teleology)は、進化論に対するよくある誤解の一つだ。進化は、「なるべくしてなる」といった運命論や宿命論(fatalism)でもない。
人間がたまたま得た文法を使って言語によるコミュニケーションを行うようになったのも、進化がもたらした「結果」や「現象」にすぎない。言語は、コミュニケーションという「目的」のための手段ではないのだ。
チョムスキーをめぐる誤解の一つに、「チョムスキーは進化論を否定した」というものがある。だがチョムスキーが否定したのは、言語に対する選択圧(突然変異の選択にかかわる要因のこと)であって、進化論そのものではない。選択圧が関与しない突然変異の例として、適応の上で有利でも不利でもない「中立な変化」があり、正常な遺伝子とよく似た配列を持ちながらも機能することのない「偽(ぎ)遺伝子」が多数存在することが知られている。
言語能力は環境に適応するような突然変異が徐々に積み重なって現在の形になったのではなく、選択圧と関係しない突然変異によるものだとして、チョムスキーは次のように述べている。
「あるわずかな変化、脳内のわずかな再配線があったことは間違いなく、その再配線によって言語のシステムがどうにかして作り出されたということを意味しています。そこに選択圧は存在しません。ですから、言語の設計は完璧であったのでしょう。それはただ自然法則に従って起こったことなのです」(〔出典、チョムスキーの著作物2015年:略〕)//
p60
//ここで「ですから、言語の設計は完璧であったのでしょう」と述べているのは、先ほど説明したように、「言語は生存環境への適応の産物ではなく、選択圧と関係しないから、言語の設計は完璧になり得た」という意味である。脳科学者の中には、人間の脳機能はすべて進化途上で選択圧にさらされたことによる試行錯誤の産物だから、完璧な設計などあり得ないと主張する人は確かにいる。人間の脳機能が完璧でないという証拠に、錯覚や妄想などがあるというわけだ。
しかし言語は、後で述べるように無限に長い文と、文中の呼応(前後の語句が一定の形で結びつくこと)を扱えるように完璧に設計されている。たとえ一兆、一京(一兆の1万倍)のように、いくら大きな数であっても、それはすべて有限な数にすぎず、無限には遠く及ばない。つまり数を段階的に大きくしていったところで、無限には決して到達できないということだ。化石人類の進化の過程で、例えば三まで数えられる類人猿から出発して、十・百・千・万・億……のそれぞれまでを数えられる段階を「連続的に」経ながら、やっと人間のように無限を理解する種が現れた、というのは誤った議論である。これは数の大きさという「量」の問題ではなく、有限と無限という「質」の違いである。人間の脳は、突然変異によるたった一度のみの不連続な変化によって、確かに「無限」に対応できるようになったと考えるしかなく、人間はその時点で完璧な能力に到達したと言えるのだ。//
p62
//実際、双生児の間にはその二人の間だけで通じる「ツイントーク」(独自言語 idioglossia の一種)が知られている。例えば、「ダ、ダ、ダ」と言う時のわずかな抑揚の違いで違った意味が表され、それが二人で共有される。特に一卵性双生児どうしでは意思が通じやすいため、一般的な傾向としてどんどん言葉が短くなっていき、親も分からないような会話が成立してしまうのだ。この現象も、クレオール化の一例として理解できる。
双生児では二人で話し合って考えることがよくあるというが、それはちょうど自問自答しながら考えるようなものである。すると、たった一人でも思考力が高ければ、自分との対話を通して新たな言語を生み出せるかもしれない。つまり、言語の起源は他者との会話とは限らず、そうした「内言語(思考言語)」であった可能性もあるのだ。//
p63
//人間の言語の根底に共通した秩序があるからこそ、どの時代、どの地域の言葉(個別言語)であっても、それらの間で相互のやり取りが保証されるのだ。そうした言語の深層にある構造を知ることで、人間の本質が見えるはずだとチョムスキーは考えた。//
※山下恒夫『大黒屋光太夫』岩波新書 p66
//数カ月たったある日のこと。共同作業をしていたロシア人が、磯吉が身に着けている腹巻や手甲(てっこう)などを指さし、「エトチョワ」を連発する。磯吉の頭にとっさにひらめくものがあった。そこで磯吉のほうから、ロシア人が使っている鍋を指さし、「エトチョワ」とやってみたところ、「コチョウ」の言葉が返ってきた。この磯吉の機敏な気転がロシア語を知る第一歩となった。覚えたロシア語の数がどんどん増えると、カタコト程度の会話ができるようになり、日本人漂民とロシア人との親しみは一挙に増した。//
p63
//人間の思考力とは、言語能力という基盤の上に想像力が加わったものだ。人間のさまざまな能力は分けて考えてしまいがちだが、「思考力(知性)=言語能力(理性)+想像力(感性)」として、有機的に結びつけて考えたい。//
2024.8.3記す