||||| 千冊万来 |||

Home > Book Boat

「せんさつばんらい」と読みます。冊は「本」の意味。千客万来から借用しました。

 おおむね推薦書ですが、例示のために掲げたものもあります。網羅的に調べたわけではありませんから、適書は他にあるかもしれません。限られた時間で、少しでも広い視野に立ち、的確に本を読みたい ── そんな願いの一助になればと思って選書しています。

 次の7つのカテゴリーに分けています。

  1. 総記・人物
  2. こどもの本
  3. ことばと表現
  4. 歴史
  5. 自然
  6. 暮らし
  7. 現代社会

もっと詳しい「千冊万来」の説明

加藤周一著『読書術』(2000年・岩波現代文庫)から以下 引用します。

「一冊だけ読むことが、読まない工夫の第一歩」

 「汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)」とむかしの人は言いました。牛に積めば牛が汗をかき、家に入れれば棟にとどくほどの本を集める人はいるでしょう。しかし、それほどたくさんの本を読む人は少ないでしょう。蔵書家はかならずしも多読家ではありません。また、はやく読もうと、おそく読もうと、どうせ小さな図書館の千分の一を読むことさえ容易ではない。したがって、「本を読まない法」は「本を読む法」よりは、はるかに大切かもしれません。もっとも、ここに百冊の本があるとして、そのなかの九十九冊を読まないですませるということは、つまり、一冊を読もうと決めるのと同じことです。読む本の選択と読まない本の選択とは表裏の関係にある。目的を立てて、その目的のために本を読む、そのほかの本は読まないと決めるのも、本を読まない工夫の第一歩であり、基本であるわけでしょう。──98ページより


 まったくそのとおりだと思います。あれも読みたい、これも読みたい。あの続きを読みたい。この著者は好きだ。これを読まねばならないという義務感。人にすすめられて果たそうとする義理。課程を修了されるために必要な本 ── さて、自身が主体的に必要な本は、どれほどあるのでしょう。そして、それをどのようにして探し選べばいいのでしょう。

 この目的にかなうものとして作りつつあるのが、この「千冊万来」です。この千冊万来でとりあげるために、じつは私自身が、先程のジレンマに陥ります。つまり、あれもこれも、と思ってしまうわけです。明快な方法はありません。経験と勘で本を選んでいると告白せざるを得ないでしょう。

 しかし、すべてが行き当たりバッタリでもありません。
 分野別では7つに分けています。これには意味があります。

 まず、「自然/暮らし/現代社会」について、です。
 一個の人間の営みにおいて、「一個の人間にだけ」かかわるテーマの本を「暮らし」という分野にあてはめています。「一個の人間」は「私=自分」とおきかえていいのですが、個人を取り巻く世界は2つあると考えました。ひとつめが「自然」。もう一つ目が複数の人間が創り出す「社会」です。「歴史」という分野名と区別する意味で「社会」を「現代社会」としました。

 このように、「自然/暮らし/現代社会」は、今生きている一個の人間を軸にして生まれたカテゴリーです。

 一個の人間の生命活動はせいぜい百年前後です。過去の人間(人類)の積み重ねを「時間軸」でみる視点が必要と思います。これが「歴史」です。

 一個の人間は、他者と意志疎通をかわします。それをテーマにしたカテゴリーが「ことばと表現」です。

 「自然/暮らし/現代社会」や「歴史」や「ことばと表現」のそれぞれに入らない、あるいは分けにくいテーマを収容するカテゴリーとして「総記」をおき、一個の人間を時間軸でみるために「人物」をおきました。そして、一個の人間の思考や行動は、たやすくわけられませんから「総記」と「人物」を一つのカテゴリーとして「総記・人物」としています。

 残るは、「こどもの本」の説明です。こども/おとなを、たとえば年齢で区切るとしたら、何歳が境界になるのか? むずかしい問題です。しかし、幼児や小学生はあきらかに子どもでしょう。子どものものの考え方や認識のしかたは、未分化な点が多く、どろどろとしています。私は、そういう未分化でどろどろとした時期が大切であろうと考えています。それで、「こどもの本」だけを別にして一つのカテゴリーとしたわけです。

 以上、ここまでが、7つの分野の説明です。

 次に数字の話をします。

 人間の思考というものは、コンピュータのような分析法は使えないように思います。デシタル思考に強い人もいるでしょうが、人間の可能性や魅力は、アナログ的な思考や行動にあるように、私は思います。
 つまり、学習と記憶にたよっているのがおおかたの人間の思考や行動と思うのです。

 ですから、いったん関心をもってしまうと、ほかのことを忘れて、あるいは、気になりながらも、同じ分野の同じ傾向の本を読んでしまいがちです。それが結果として、視野をせまくし、ときには判断を誤ります。貴重な時間も奪ってしまいます。どうすれば、こういった読書の弊害をなくすことができるでしょう。

 「本の全体」がつかめれば、多少は改善されると思いませんか? 「本の全体」という言い方も怪しいものですが、木を見て森を見ず、加藤周一の言うように、ある一冊を読もうと決めるのでなく、百冊(森)をしっかり見届けて、その中の一冊(木)をさがそうではないか、という提案です。

 森を把握するために、私が考案したのが、先に述べました「7つの分野」です。ここで「7」という数字があります。人間の記憶できる数字のうち、最大値と思われるのが「7」です。はなはだ主観的ですが……

 千冊万来の分野別のページでは、7つの分野を3段に重ねています。ここで「3」という数字が出ました。これも覚えやすい数値です。
 3段重ねの一番下は、「自然/暮らし/現代社会」と3つのカテゴリーです。一個の人間を核とし、「自然」と「複数の人間」の3つに分けました。

 3段重ねの一番上は、「総記・人物」「こどもの本」の2項目があります。これらが一番上に位置していることを説明するまでもないでしょう。

 3段重ねのまんなかは、残りの2つ、「ことばと表現」「歴史」です。これも、もう説明する必要はないでしょう。説明すれば、くどくなるだけでしょう。

 さて、7つの項目のそれぞれの中にも、項目がたてられています。それらの数も、それぞれ最大「7」つまでが限度だろうと考えています。

 7つの項目と、それぞれに項目に最大7つの項目がたてられたとして、7×7=49。
 その49項目に10冊ずつの本を紹介して、490冊。100冊ずつだとしたら4900冊。

 そろそろ結論が出てきました。この千冊万来で紹介したいと思う本の数は、たかだかその程度です。
 490冊から4900冊程度の、森のなかの「木」です。

 これらの「木」との出会いを活用してくださって、みなさん自身で本の世界を広げてくだされば、と思っています。

山田利行 2001.10.13.

後記 2019.1.14

 上記の文章を記して、20年近くになりました。20年も経って今も書店で求められる本はほとんどないでしょう。図書館のお世話になるところです。選書とはいえこれも20年も経てば、選書した当時とは同時代性はないはずです。もはや「参考書」でしょう。

 上記の文章中、子どもの本のところで、「 こども/おとなを、たとえば年齢で区切るとしたら、何歳が境界になるのか? 」とあります。子どもに対する理解は当時は十分でなかった、ということでしょう。今では「いつから「おとな」で、遊びを考える。」や「「九歳の旅立ち」を命名する」の命題で書いたりしているわけですからずいぶん進歩(笑)したものです。《「九歳の旅立ち」を命名する》では《「こども」と「おとな」の節目は「9歳」にある》の見出しを立てています。いま本を選べば違う結果になるところも多いと思います。

「 人間の思考というものは、コンピュータのような分析法は使えないように思います。」と記しているところもあります。これもAI(人工知能)が現実路線でその開発が進められていますから、ここも認識を変える必要があるのかも、ということです。しかし、これについては、あえて言っておきましょう。AI技術が家庭電化製品に取り込まれて凡人には身近でなくなてはならない時代がやってくるのかもしれません。それでも、人智のめざすものとは、 なんだろう? 本から学ぶあるいは情報を選択する技術はますます必須になるのではと思います。

2019.1.14「後記」を記す

© 2024 ||||| YAMADA,Toshiyuki |||, All rights reserved.