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 「歴史にifはない」の警句をふと思い出し、運悪く?『「もしもあの時』の社会学 歴史にifがあったなら』を読んだ。赤上裕幸(メディア史、社会学者。歴史学者ではない。1982年生まれ)著。筑摩書房。2018年刊。250ページ超の本を、結論というか主張はどこにあるのかと思いながら、辛抱して読み通したが、「歴史にifはない」の警句に従うしかないという平凡な読後感に至った。「歴史にifはない」については、もともと私なりの理解があるつもりなので、ある意味、自信を得たというか。
 それにしても、おもしろいと思えない本を読み通したものだと思う。緊急事態宣言のおかげと言ってよいか。

 せっかくだから、得たこともあるのでメモしておこう。
 詳細を書く手間をとれないが、「歴史のif」は今でも歴史学研究者からすれば日陰者だけれど、ビッグデータを駆使できるようになれば、将来、歴史学に分野をつくるかもしれない、とは思った。このことは、本書では触れておらず、読みながら私が想像した。
 〈「過去」は現代(人)の未来になり得る〉と自分でメモ書きしたものの、こんなこと今までに言い古されてきたあたりまえのこと。この本を読んでいて、私にうつった病気みたいなもの。真剣な著者に失礼かもしれない。
 「歴史にifはない」について、私は理解しているつもりだけで、何か間違いを犯しているかもしれない(謙遜ではない)。だから、学びたかったのだが……。

斉藤淳 2014年『10歳から身につく問い、考え、表現する力』(NHK出版)p184より
//ぼくが高校生のころのことですが、「歴史にif(もしも)は禁物で、起こった出来事をそのまま受け入れる態度が必要だ」と教わりました。たしかに、「もし第二次世界大戦が起こらなかったら」「もしも坂本龍馬が近江屋で暗殺されなければ」など「たら・れば」で歴史を考え始めれば、勝手な想像ばかりが膨らんで、きりがなくなります。//

読書メモ

p35 反実仮想研究
//「歴史のif」への学術的な関心が高まってきたのは、1990年代以降のことだ。//
p37
//反実仮想の研究は21世紀以降も進化しつづけている//

p27
//反実仮想は因果関係の推定を可能にしてくれる有効な方法なのだ。//

p28 アメリカの国際政治学者ジョセフ・ナイの記述
//「だれかがマッチをつけに来る前に雨が降ってしまえば、サライェヴォ事件が起こっても火はつかないだろう」。//

p30
//ひとつの些細な出来事が、歴史上に大きな変化をもたらすという考えは、たしかにわかりやすい主張である。だが、こうした「歴史のif」は、「風が吹けば桶屋が儲かる」という日本の諺、あるいはイギリスで古くから伝わるという「釘一本で戦争に負ける話」とどれほど違うのだろうか。//

p33
//実際に起こった出来事の原因や因果関係を明らかにする作業は重要だが、それが全てではない。「歴史のif」に着目することは、当時の人々が想像した「未来」(=imagined futures)にわれわれの関心を導くという点で重要なのだ。//

p34 「可能性感覚」※オーストリアの小説家ロベルト・ムジールが使っている言葉
//「ありえたかもしれない過去」は、想像上の「過去」であって実際の過去ではない。しかし、それが影響を与えるのは、われわれの現実感覚に対してである。「今」という瞬間は、そのようにはならなかった可能性を残しており、存在したかもしれない数限りない「可能な今」のただ一つの表象にすぎない。さらに「今」は、そうした可能性の幅がさらに開かれた「未来」ともつながっている。このように、「ありえたかもしれない過去」は、「ありえるかもしれない現在」、さらには「ありえるかもしれない未来」へと密接に関係があるとするのが「可能性感覚」なのだ。//

p36
//英米圏の歴史学の専門誌や学術書では、反実仮想の問題が取りあげられてきた。大きなインパクトを与えたのが、アメリカの心理学者フィリップ・テトロックが編者を務めた『世界政治に見る反実仮想の思考実験』(原書名を省略 1996年)と、//
p36
//『世界政治に見る反実仮想の思考実験』には、心理学の知見が存分に応用され、本の謝辞にはダニエル・カーネマンの名前が挙げられている。カーネマンは、不確実な状況下における人間の意思決定に関する研究によってノーベル経済学賞(2002年)を受賞した心理学者だ。日本では、人間の意思決定における直観と熟慮について論じた『ファスト&スロー』(2011年)がよく知られている。テトロックはカーネマンから助言を得て、反実仮想を主題とするこの書に取り組んだことを明らかにしている。//

p40
//しばしば指摘されるように、「現在」のわれわれが「過去」と見なしているものも、かつては「未来」であった。歴史の必然性が強調される場合もあるが、それは後から振り返った回顧的な見方であり、歴史の当事者の視点に立って見れば、期待や不安に満ちた不確定な未来が目の前に広がっている。//

p51
//「もしもあの時──」は、たしかに危険な思考実験かもしれない。しかし、結局は使い方次第なのだ。//

2021.5.2記す

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