||||| 認知と非認知(能力)|||

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1)ジェームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』東洋経済新報社 2015年
2)汐見稔幸『さあ、子どもたちの「未来」を話しませんか』小学館 2017年
3)佐藤学『第四次産業革命と教育の未来』岩波ブックレット 2021年

 就学前に野外活動の機会を積んだ幼児が、小学校から中学校へと通過する中でどれだけ本人に貢献するのだろうか。
 故守屋光雄は卒園式で「遊べ、遊べ、もっと遊べ」と祝辞を言った。卒園を祝福しながら、小学校に進みどう伸びていくのか心にひっかかることは多い。ヘックマン(資料1)によれば、10歳を過ぎてもIQについては顕著な差はみられないが、40歳になってみれば顕著な(生活の質で)成果が得られるとしている。
 IQは〈認知スキル〉を測るもので、IQで評価されない〈非認知〉スキルが成果の源となる。〈非認知スキル〉は6歳までに修得したものが基礎になるという。ヘックマンは、2000年にノーベル経済学賞を受賞している。アメリカにおいて、貧困解消に取り組むことが持続ある社会の実現に最大の効果をもって重要と唱えている。

 〈非認知能力〉とは何か? 忍耐力、計画力、協調性、やる気などと語彙を並べることはできる。〈非認知〉の基礎が、0歳にスタートし、6歳までに培われるということは、乳幼児にとって「忍耐、計画、協調、やる気、など」とはどういうことか?の問いになる。

 上述は〈非認知スキル〉に対する言及だが、ヘックマンの研究には読み方注意も指摘しておきたい。佐藤学『第四次産業革命と教育の未来』(資料3)p33-40によると……。《「人材=人的資本」の変化》の章。

 「人材」という言葉が日本に登場したのは1930年代まで遡る。しかし現在、政府・財界がいう「人材」は章タイトル「人的資本」であり、1930年代のそれとはまったく次元が違う。卑近な事例では安倍元首相が主導した「人生100年時代構想会議」や「人づくり革命 基本構想」で主唱され、それが人材派遣と結びつく。
 人的資本はアダム・スミス(18世紀)が最初に用いた概念であり、カール・マルクスも使用していたという。
p35
//その意味でベッカーの「人的資本」の理論を「人間を売買する市場論」という宇沢弘文の批判は妥当//
 ベッカーは〈新自由主義〉経済学者であり、ヘックマンも同じ立ち位置にいるということだ。ブックレット著者・佐藤学は、経済学者でなく全米教育アカデミーの会員でもある教育学者。ヘックマンらは、アメリカの貧困階級から労働者を集める役割を担っているといい、日本政府も同じ水脈にいるということを本書で明らかにしている。

(参考)「人材」と新自由主義経済

 資料2の、汐見稔幸『さあ、子どもたちの「未来」を話しませんか』p33-46は、幼稚園・保育園・認定こども園らの運営の要(かなめ)について割り当てられている。そのすべてが〈非認知能力〉について説かれている。学習指導要領が教育指針になっていることは、この方面に詳しくない人たちでもなんとなく大切なことだと認識しているだろう。幼稚園の教育は要領によって運用されている。そして、保育園の「指針」は、同等の重要性を伴って運用の指針となっている。

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 〈認知〉能力はIQで測る(という言い方が適切なのか?疑問に思うが……)ことができるらしい。基礎学力に始まって、学力考査は認知能力を測るということだろうか。国語、算数(数学)など主要教科と言われるものが認知能力の核を為すのだろう。
 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない──と言ったのは、レイチェル・カーソンだ。「知る」ことは学齢に達すればいくらでも学べるので、それまでは「感じる」ことが大切だ、と彼女は主張している。「知る」は認知能力に相当し、「感じる」は非認知能力に対応するということだろうか。そうであれば、今更ではなく、子どもの育ちに関心があった学者たちはずっと言い続けてきたことだ。
 しかし、認知能力の習得をめざす親たちに非認知の重要性が届くだろうか? 認知能力はわかりやすいが、非認知のそれはわかりにくい。競争社会で非認知は役立つのだろうか? 指針や要領が、人々の心を動かすにはまだまだ時間がかかるように思う。

認知と「移動」

見出し【認知】
『広辞苑第三版』
//事象についての知識をもつこと。広義には知覚を含めるが、狭義には感性に頼らずに推理・思考などに基づいて事象の高次の性質を知る過程。//
『例解新国語辞典第十版』
//①ある事実に、はっきりと気づくこと。②人や動物の、脳の機能。//
『新明解国語辞典第三版』
//あるものの存在をしかと認めること。//

 脳に障碍を受けると 認知能力の一部または全部が失われる。

 認知は「時間/空間」という要素をもつ。過去の認知に基づいて未来を予測したり計画することができる。書物などから学習した認知は実際の体験を伴わずに、これらについても予測/計画が成り立つ。移動で認知の世界(時間/空間)を拡げるだけでなく、歩くなどして盛んになった血流は脳機能を維持する。
 香りで呼び覚まされる記憶、味覚の記憶、渚に打ち寄せる波の音など五感で体験する記憶(認知)は移動を伴わないこともあるが、これらも認知の一部だ。《認知と移動》の成果が、生きていることの証である。

野外活動は《 認知と移動 》がセットされている。

 身体にあるいは脳に障碍があると機能障碍が伴う。認知と移動の両方または片方がその機能を十分に果たせないこともある。我々は、そうした人たちとともに生きていることをよく承知しておかねばならない。

2022.8.14Rewrite
2021.6.13記す

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