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佐藤学 2021『第四次産業革命と教育の未来』岩波ブックレット

p33 グローバル人材育成会議(内閣府)2011年|安倍晋三 2018年
//「人材」という言葉が教育用語として氾濫したのは、いつからでしょうか。その出発点は内閣府に設置された「グローバル人材育成会議」2011年)でしょう。同年、文部科学省も「産学官によるグローバル人材の育成のための戦略」を発表しています。「人材」という言葉はその後、安倍首相が議長をつとめた「人生100年時代構想会議」の「人づくり革命 基本構想」(2018年)によって普及しました。これらの文書に登場する「人材」は、英語で言えば human capital(人的資本)です。//

p33 誤解の発端:〈人的能力としての人材〉異なる ⇆〈人的資本〉
//そもそも「人材」という言葉が日本で登場したのは1930年代の大政翼賛運動でしたが、この言葉が教育用語として復活するのは1971年の中央教育審議会答申における「人的能力(manpower)」でした。人的能力開発政策(manpower policy)」は1950年以降、アメリカとソ連の冷戦下の「人的エリート」教育を意味していました。この「人的能力としての「人材」と現在の「人的資本(human capital)としての「人材」は、明らかに意味を異にしています。その違いはどこにあるのでしょうか。//

p33 生産要素( 資本・土地・労働 )「人的資本(人材)」
//「人材=人的資本」の「資本」の意味について概観しておきましょう。資本は近代経済学(古典派経済学)では土地、労働と並んで生産要素の一つとされ、マルクス経済学では価値の自己増殖の運動体を意味しています。いずれも生産による価値の創出の元手を意味するものと言ってよいでしょう。この資本の概念と現在使われている「人材=人的資本」の意味は異なっています。現在の「人材=人的資本」は、新自由主義の経済学(新古典派経済学)の人的資本論によるものであり、その代表的理論家はシカゴ大学のゲーリー・ベッカー(1930-2014)です。//

p34 市場経済の原理→合理的かつ科学的に、費用便益分析が可能
//ベッカーは、それまでの経済学が金銭や経済現象だけを対象としたのに対して、人間行動一般や社会現象のすべてを対象とし、家族、社会、麻薬、犯罪、恋愛、自殺までもすべて「費用便益分析(cost benefit analysis)」で説明できると主張しました。たとえば、犯罪についても、その犯罪による期待便益が、犯罪にかかるコストと犯罪で逮捕されるリスクの乗数より大きいと人は犯罪を行い、少ないと犯罪行為を行わないと結論づけたのです。同様にベッカーは、浮気の経済学も手掛け、浮気による期待便益が、浮気にかかるコストと浮気によるリスクの乗数よりも大きいときに、人は浮気をすると解釈しています。この研究のさ中にベッカーの妻が彼の浮気のショックで自殺すると、ベッカーは自殺の経済学も著したと言われています。このようにベッカーは、市場経済の原理にもとづいて人の行動はすべて費用便益分析で合理的かつ科学的に説明できると提唱しています。//
※「(子どもの)遊び」も「すべて」に含むとするのであろう。そうであれば、破壊の論理と言わざるを得ない。

p34 費用便益分析の対象に「教育」を設定。企業に便益
//ベッカーは「人的資本」論の提唱者として、同じシカゴ大学の新古典派経済学のミルトン・フリードマン(1912-2006)と並んで、新自由主義の教育改革に影響を与えた人物でした。ベッカーは「人的資本」を「将来の貨幣的及び精神的所得の両者に影響を与える諸活動」と定義し、「投資としての教育」を「費用便益分析」の対象として設定しています。ベッカーによれば、「投資としての教育」は、将来の「一般職業能力」と「特殊職業能力」を形成し、個人と企業に「便益」をもたらすとされるのです。なお彼は、教育によって得られる達成感や幸福感については「消費財としての教育」の範ちゅうとして、教育の対象から除外しています。//
※教育効果の根拠・動機となる「意欲」を除外するということは、既定方針による教育計画に従うことのできる人材を求め、この路線から外れることは「除外される」ことを意味する。

p35 「反社会的・非人間的研究」宇沢弘文
//ベッカーの「人的資本」について、かつて宇沢弘文(1928-2014)は、「人間を売買する市場論」と述べ、「反社会的・非人間的研究」と痛烈に批判しました。ベッカーの「人的資本」の理論は、人の教育を「投資」と「便益」という経済学の対象として数学モデルで科学化する理論であり、ベッカー自身が直接的に人を「商品」として論じているわけではありません。しかし、ベッカーは人も工場や機械のように生産性を上げる「資本」であり「投資」の対象とする前提に立って、「人的資本」の考え方を導いています。//

p35 概念の、危険な変容
//なお「人的資本(human capital)」という言葉はベッカーが創造した概念ではなく、アダム・スミスが最初に用いた概念であり、アダム・スミスは人が教育によって獲得する技能や能力を意味していました。カール・マルクスも労働者が労働力を「商品」として売るしかない労働の矛盾について指摘していました。それらに対してベッカーは、「人的資本」としての人間そのものが市場において「資本」として機能し「商品」として機能する道を開いたのです。その意味でベッカーの「人的資本」の理論を「人間を売買する市場論」という宇沢弘文の批判は妥当だと思います。//

p36 『材』は『財』であるという認識
//この「人的資本」の概念は、すでに日本でも政策化しています。経済産業省の「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書」(2020年9月)には「人材の『材』は『財』であるという認識」によって「人的資本」を論じたと明言されています。//

p36
//「教育=投資」として「費用便益分析」で世界の教育改革に近年大きな影響を与えたのが、フリードマンやベッカーと同じシカゴ学派のジェームズ・ヘックマン(1944-)です。彼の『幼児教育の経済学』(邦訳2015年)は世界中の国々でベストセラーになりました。この本で、ヘックマンは「人的資本投資の収益率」を計算し、幼児教育への投資が最も収益率が高いことと、幼児教育においては「認知的能力」より「非認知的能力」の方が収益率が高いことを示しました。//

p37
//ヘックマンの研究は、世界各国の幼児教育の義務化と無償化の推進力になりました。日本でも幼児教育無償化政策の根拠づけになりました。また、日本の保育と幼児教育は、もともと民営化によって巨大市場を形成していますが、保育企業、幼児教育企業の事業の多くが、ヘックマンの理論をベースとして事業を展開しています。
 ヘックマンの研究が幼児教育の意義と「非認知能力」を育むことの意義を一般に広めたことは貴重な貢献でした。しかし、彼の研究にはいくつか検討すべき事柄が含まれています。
 一つは『幼児教育の経済学』という邦訳の問題です。原著は Giving Kids a Fair Chance: A strategy that Works(2013)であり、直訳すれば「子どもたちに公平な機会を与えること:有効な方略」であり、必ずしも「教育経済学」を論じたものではありませんでした。しかし、本書でヘックマンが「人的資本投資の収益率」によって幼児教育の価値を論じたため、投資効果に人々の関心が向けられました。//

p39
//ともあれ、ヘックマンの研究の多大な影響の一つは、子どもを「資本=財」、教育を「投資」と見なし、その投資効果(費用便益分析)によって教育の実践や政策を評価する思考スタイルを普及させたことにあると言えるでしょう。ヘックマンの研究が出版されたのが2013年、日本で翻訳出版されたのが2015年ですから、わずか10年足らずの間に「人的資本」の考え方は広範な人々に浸透したことがわかります。//

2023.6.22記す

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