||||| はらっぱ思想をまちづくりに活かして欲しい |||

Home > 砂をすくうように > 「子ども期の再生」実現への道のり

 ずーっと昔、20代で農村活動をしていたとき、戯れで訊いた。「草取り、なんでするの?」 60代と思われる女性は「(笑いながら)そんなこと、考えたことないよ。昔からやってるから今もしているだけ」(方言なまりで)
 同じ頃、某市公園緑地課で「このたび10年更新する公園がある。意見はあるか?」と訊かれ、はらっぱを作って欲しいと返した。技官は微笑んだ。それは合意するという空気でもあった。「公園管理は自治会に委託していることもあって、水場を作りたいが管理上なかなかむずかしい」とも言った。はらっぱを設計図に描けないものの、希望を感じた。実際この公園には水場は出来たし、かなり緑の多い公園となり、散策路は迷路のようになっていた。1万平米ほどの街区公園だ。「創作はらっぱ」を思いつく端緒でもある。

 子ども(小学生相当)は昔どこで遊んでいたのだろう。家の前だったり路地裏だった。道路を「道路」と呼び慣わすようになったのは自動車社会になってからで、それ以前は「みち」だった。その「みち」は、子どもにとって優良な遊び場だった。そして、空き地でも遊んだ。空き地ははらっぱになっていた。はらっぱの景色は、草ぼうぼうでもあったけれど、土むきだしで石や木切れがころがっていた。ゴミを燃やしたあとの大きな缶もあった。年寄りが集まったときの縁台が置いたままのところもあった。

 しかし、防犯やまち美化のため、あるいは土地の有効活用が進み、はらっぱは一掃された。空き地はフェンスで囲まれ、管理が進んだ。ニュータウンでは、はらっぱをわざわざ設計されることはない。宅地造成で区画割りされ、売れていない区画が長期間放置されはらっぱ状態になっていても、そこで子どもが遊んでいる光景を目にすることがない。子どもの遊び場は安全を担保した公園が保障されている。

 それでよいのだろうか。子どもが巻き込まれる凄惨(せいさん)な交通禍が繰り返されている。子どもとクルマが交叉しない設計が必要と私は思う。経済優先でなく、子どもを安心して育てられるまちづくりを求めたい。放置された空き地でなく「創作はらっぱ」を公的に整備して欲しい。都市の緑地はまだまだ足りない。まちなかに、遊びリーダーという有給のおとながいてもよい。

 新型コロナウイルス感染症は温暖化や地球規模の人間交流(経済交流が実質)が主因とされ今後に新たな感染症も予測されている。国連が提唱するSDGs(エスディジーズ)は地球規模の持続可能な社会をめざしている。子育てに反映されてこそ持続可能となるだろう。はらっぱ思想を見直し、その価値を認めて欲しい。

2021.7.15記す

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