甲子園の高校野球を観るたび思い出す

 1970年代、当時の兵庫県美方郡美方町(現在の香美町小代〈おじろ〉区)で小林ケンゾウさんが話したこと。──高校野球が村の子ども集団を破壊した。── どういうこと?と訊ねた。──(人口3000人超えの村では)野球チームを作ろうとすれば、村の5年生以上をすべて集めないとできない。神戸新聞が少年野球で競わせるからだ。朝日新聞が高校野球をするから神戸新聞が少年野球を。── ──遊んでくれるお兄ちゃんがいないから、子どもはテレビと冷蔵庫の番をしている。──

 テレビで野球を観ているのではない。スイッチを入れて適当に何かを観ている。夏は暑いから冷蔵庫から何かを取り出して飲んでいた。(別な話)当時、小代への直通バスはなかった。山陰線八鹿駅、村岡、和田と乗り継いだ。停車場和田で待っていたとき、二人の女子高校生が自販機の前で会話していた。「△%ってどういう意味?」彼女たち二人とも、1本を飲み干したら、もう1本、硬貨を入れて取り出していた。

 同じく当時、国道9号は温泉町(当時の地名)へ行くには春来(はるき)峠を越えねばならなかった。豪雪地帯で、しばしば車は渋滞し、夜を明かすこともあった。峠に住む人たちは炊き出しをしておにぎりを配った。その春来小学校にケンゾウさんは赴任していた。医者が居なくて、おんぶして連れていったと話していた。地元の小代小学校に行かなかったのは、辛いことはしたくないから、先生が辞めなかったという。

 話す表情は笑っていたが、地元への愛情と複雑な絶望感を漂わせていた。

 小代には小学校(当時は分校も閉鎖され1校)中学校も1校。高校は隣町の村岡高校へ通うのがふつうだった。高校を卒業するとほぼ皆、都会へ行ってしまった。

 高校野球を観て、きわどい闘いに私も感動する。「高校球児」と讃えられるが彼らが甲子園まで辿りつくには、それぞれにドラマがあるだろう。なにもかも免罪にして観ることは私にはできない。高校野球のサブヒストリーを記録しておくことがケンゾウさんの意志(ご存命か未確認)であろう。経済発展や現在の子育てや教育環境を考えるに、知っておいて欲しいと思う。

2021.8.17記す