||||| AI(人工知能)と砂時計モデル |||

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 《個体発生は系統発生を繰り返す》──と、私は学生時代に学んだ。乳幼児の発達を考えるにあたり、およそ50年前に学んだことをもう一度確認しようと本を開いた。『個体発生は進化をくりかえすのか』(倉谷滋/岩波書店2005年)を読んだ。すると、50年前の学びは否定または疑問とされていた。1990年代に明らかにされたようだ。

 この本の86ページに「砂時計モデル」の図が表されている。砂時計に細くなっているくびれた部分がある。砂時計の底辺からだんだん細くなり「系統発生」に似た進化をすると考えていた。しかし、そのくびれを通り過ぎると再び解放されるかのように空間は広くなる。系統発生はここで破綻する。この進化については今も研究が続いているということだ。この難しい話はここまで。

 砂模型モデルは右のとおりだが、引用するにあたり説明が専門的なので掲載されている図の一部を消去し砂時計のみを図示している。受精卵の胚分割からくびれを通過し幼体に成長する図となっている。

 砂時計モデルを知ったことで、その”くびれ”は、小学校3年生・4年生に相当するというヒント(発想)を私は得た。砂時計の基底部は乳幼児期に相当し、くびれを通過することでおとなになる、と考えた。広い空間部分の自由度は大きいが、くびれはなにがしか選択された部分を通過することになる。自由度は大きいものの”くびれ”を通過することで、その後の”自由”に影響を与える、と考えた。

 さて、AI(人工知能)は夢物語ではなく、実用化される技術として急速に発達しているように思える。天気予報や犯罪捜査など事例はそんなことまで!と広範になっているようだ。高齢者の”話し相手”にもなるという。能力を比較されると人間はもうかなわない。労働力と置き換えられれば深刻な話にもなりそうだ。
 AIは人間の成果物にすぎないが、コントロールは可能だ、と考えてよいのだろうか。50年後、百年後は今の私たちには想定できない未来になるのかもしれない。

 そして、この議論をどのように収束させるか?
 我田引水のきらいはあるが、”くびれ”を通過して発達する人間はAIとは違う。基底部の空間でしっかり遊ぶことは、人間の証明である。”くびれ”の選択やその後の将来(おとな)を規定できないけれど、乳幼児期(子ども期)の遊びは、人間らしさを約束する、と思いたい。

 人間はいつも調子がよいとは限らない。快調なときは多くないかもしれない。病気のときもあれば、出産や子育て中は健康であっても才能を発揮するには十分でないかもしれない。身体や身心や知的にも障碍が伴う。AIはエネルギーを必要とする機械だから故障するかもしれないが、調子が安定するように保守されているだろう。人間の不調を補ってくれればよい。
 AIは「勘」が働くだろうか。犯罪予測はAIの勘だろうか。
 五感については「五感と直観と霊性」で私は論じている。これは人間だけの特技でAIには無理・できないと、私は思いたい。

2021.11.15記す

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