〓〈加えて「主体仮想センサー」〉を挿入予定 2024.8.19
脳神経のはたらきで考える、と……。
神経で伝えられる信号は、2つあり、
① 脳から出ていく信号
② 脳へ戻ってくる信号
②は知覚でありこの情報をもとにして、①運動となる。知覚は、すなわち「五感」である。
五感の大切さについて、その理解をどこまで共有しているかは別に置くとして、しかし、「五感」だけでは解決しないと思い「五感」プラス「直観と霊性」とした。知覚があって運動が起きる。ところで、「直観」というものに気づかされることしばしばだ。「第六感」の言葉がある。五感に続く6番目、否、五感を統合しての意味かもしれないが……。
福岡伸一『動的平衡』p73 に「第六感」が登場する。
//第六感のことを英語では、ガット(gut=消化管)・フィーリングという。あるいは意志の力をガッツ(guts)と読んだりする。「ガッツがある」と言うときのガッツである。
私たちは、もっぱら自分の思惟は脳にあり、脳がすべてをコントロールし、あらゆるリアルな感覚とバーチャルな幻想を作り出しているように思っているけれど、それは実証されたものではない。//
新明解国語辞典第三版「第六感」
//〔五感の働き以外によるという意から〕直観的に何かを感じる心の働き。勘。//
第六感=直観=勘 の等式が成り立つ。②知覚は、五感プラス「第六感=直観=勘」でよいとしよう。
毛内拡『脳を司る「脳」』では、「知性」を説く中で《「ひらめき」とアストロサイトの関係》p233 という小見出しを立てている。
ニューロンで説明される脳のはたらきについて、ニューロンに並んでグリア細胞が重要なはたらきを行っていると、毛内拡は推論する。アストロサイトはグリア細胞の一つ。グリア細胞が存在することで「ひらめき」が生じているのではないかと仮説し、デジタル思考だけでなくアナログ思考も脳内で実現しているのでは?と論を立てている。「第六感=直観=勘=ひらめき」ということになるか。
五感のおぼえかた
〈五感〉の5つを答えなさい。この問いには、簡単に答える方法がある。左右どちらでもよいから手を上にあげる。その手(指)を降ろして目をさわる。①視覚。すぐ下の鼻をさわる。②鼻=嗅覚(臭覚とも)。すぐ下の口をさわる(舌をさわるわけにいかないので)。③味覚。次にその手を耳にもっていきます。④聴覚。最後に、動かしていた手を開き、⑤触覚を、手で代表する。〈目→鼻→口→耳→手〉手の動作を伴わせば、記憶しておかなくても、この順序で五感を導き出せる。
※「⑤触覚」は、「体性感覚」(の一部)に含まれる感覚として捉えるほうがよいのかもしれない。
三上章光『脳の教科書』2022年 p117
//視覚、聴覚、体性、平衡感覚では、外界の物理的変化を電気信号に変換します。味覚と嗅覚では化学的変化を電気信号に変換します。//
p117 ◆(1)
//心理学では、感覚から認知までの過程を、感覚、知覚、認知の3段階に分けます。感覚は、身体の内外から受けた刺激を感じとるはたらきです。知覚は、感覚されたものの強さ、性質、時間的経過を認めることです。認知は、知覚されたものが何であるかを認めることです。外からの情報は、順を追って処理され、最終的には行動選択に使われ、外の世界へのはたらきかけ、運動出力にいたります。//
◆(2) 山鳥重『心は何でできているのか』角川書店 2011年 p200
//まず、情、すなわち感情が創発し、感情を土壌に知、すなわち心像群が創発し、この心像群を秩序化する働きとして意志が出現します。情→知→意、情→知→意と展開し続け、少しも休まない働き、それがこころです。//
◆(1)(2)は似ている。 (2023.2.12)
五感って、大切なの?
「はいっ! もっと五感を働かせて……」など叱咤激励につかったり、幼稚園(保育園)の概要紹介で「感性豊かな子ども、つまり五感」育成に特色ありとか、五感を磨く教育方針とか。そんなに五感って大切なのだろうか。五感が育っていないとか、五感が鈍いとか、そういうことってあるのだろうか。そして、五感の5つ以外に大切なことは、もうないのだろうか。
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない
+ レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』
五感は生得的なのだ
母の胎内から生まれ出て、母のおっぱいをさがすとき、あかちゃんは嗅覚でさがすという。胎内にいたときから母の声をあかちゃんは聞いていたという。生まれたばかりは視力が足りなくぼんやりだが、明るさはわかるという。ある大学病院の新生児室で、照明を夜間には暗くしたら授乳量が増えたという。新生児には原始反射が多く残っていることも確かめられている。
あかちゃんは五感で生きている。母の胎内から生まれ出たそのときから五感は備わっている。成長過程で備わるのではない。
宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書 p127
//一人一人の子どもは、言葉を理解し、数学の考え方を理解する能力を生まれながらもっている。このような能力、理解力を生まれながら、インネイトなかたちでもっているわけである。//
*インネイト innate
//生得的、あるいは先天的、本有的などと訳されている//
寺阪英孝『非ユークリッド幾何の世界』講談社 2014年 p69
//カール・フリードリヒ・ガウス(1777-1855)はドイツのブラウンシュヴァイクに生まれた。晩年、私は口もきけないうちから計算ができた、と冗談をいっていたくらいで、誰もわからないうちにいつの間にか計算ができるようになっていて、三歳のとき、煉瓦職人だった父親の勘定違いを教えてビックリさせたという。アルファベットなどもやっぱりいつの間にか覚えてしまったという、大変な神童だった。
七歳のとき小学校に入って、初めの二年間は何事もなかったが、三年目に算数のクラスに入ることになった。そのある日のこと、ガウスにとって将来を決める大きな事件が起こった。それは先生がクラスの生徒に1+2+3+4+……+100を計算しなさい、という問題を出した。//
※即座に「できた」ということだ。どう解いたか?
+)101+012+103+……+149+150
+)100+199+198+……+152+151
──────────────────────────
+)101+101+101+……+101+101=101×50=5050
p71
//というようなやり方で計算したのだという。//
p76
//18歳のとき、彼はゲッティンゲン大学へ入学することになったが、まだ言語学をやるか数学に専念するか決まらなかった。//
たとえば〈はだし保育〉
あかちゃんの靴下は小さくてかわいい。しかし、靴下をはかせることで、足裏の感触は間接的になってしまう。あかちゃんには褐色脂肪細胞組織が備わっている。しかし、おとなになるにつれ少なくなるという。褐色脂肪細胞組織は体温調節にかかわっていて、乳幼児は寒さに強い。五感を大切にするという考え方からすれば、いつも靴下をはいたままというのはもったいない。〈はだし保育〉は理に適っている。
五感は”鍛える”のではなく、”守り・育てる”もの
まず、生得的に備わっている五感を退化させないことが大切だ。退化させないことで、五感は育つ。〈はだし保育〉のように。
レイチェル・カーソンは、〈「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない〉と言っている(『センス・オブ・ワンダー The Sense of Wonder』)。学校で知識を身につけるまでのあいだ、つまり、少なくとも乳幼児期は「感じる」体験が最も大切だと訴えかけてくれている。「感じる」が五感に通じるものとすれば、「感じる」機会を多くもつことを”鍛える”と言っても間違いではないだろうが、誰にも備わっている五感をもっともっと育てようと声かけされているのだ。
〈直観〉とは?
辞書をひいてみよう。//推理によらず・直覚的(瞬間的)に物事の本質をとらえること。直接に知り、また、判断すること。// 新明解国語辞典第三版
//一般に、判断・推理などの思惟作用を加えることなく、対象を直接に把握する作用。// 広辞苑第三版
ついでに〈第六感〉をひいてみよう。//〔五感の働き以外によるという意から〕直観的に何かを感じる心の働き。勘。// 新明解国語辞典第三版
//五官のほかにあるとされる感覚で、鋭く物事の本質をつかむ心のはたらき。// 広辞苑第三版
//五感以外にある感覚の意で、順序立った判断ではないが鋭く物事の本質を直観する働き。直観。勘。// 新潮国語辞典
これらのことから、直観=第六感、ということだろう。本質をとらえる方法として、五感とは”別に”〈直観〉というものがあるらしい。
となれば、「五感がすべて」とはならない。
〈直観教授〉新明解百科語辞典1991年
//事物観察や体験を通して子供が得た印象を重んじる教授方法。コメニウスやペスタロッチにより提唱された。//
追記 2022.6.19
ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』新潮文庫 2012年 p310
//直観という新たな発見に満ちた知覚は、大脳皮質の右半球がもとになっている、高いレベルの認知なのです//
〈五感と直観と霊性〉は切り離せない
生得的五感は独立しているのでなく、体験を重ねることで直観やひらめきを生じさせる。〈霊性/こころ〉のやすらかさは、五感や直観を保障する、と考えられないだろうか。
心の拠り所
そもそも〈感じる〉とは、どういうことだろう。〈感じる=感性〉だろうか。〈感じる≠感性〉だろうか。〈感じる〉は感情の表出だが、〈感性〉は表出ではなく〈感じる〉も含めてそれを支える基底的観念というものであろうか。
〈感じる=心の拠り所〉は納得できる。〈感性≠心の拠り所〉だろう。俗な言い方になるが、心の奥底、深いところで〈感じる=心の拠り所〉は支えられている。つまり、〈感性〉によって〈感じる〉を取得でき〈心の拠り所〉となっている。言葉遊びに過ぎたところがあるかもしれない。
さて、この流れで〈感性〉は何によって支えられているのだろう。ここまでの議論で、〈五感と直観〉だろう。
ここまで記した上で、〈霊性〉を提案したい。五感や直観で説明できないものがあり、胸騒ぎとか、祈りとか、キリスト教では「神様に見守られて」のフレーズがあるように、あるいは、宗教を問わず、さらに無宗教と主張してやまない人も神や仏にすがるというか、日本人ならば手をあわせたことが誰しも経験的にあるだろう。それが〈霊性〉ではないか。〈感じる〉は〈霊性〉に通じる。信仰ある者は〈心の拠り所=霊性〉の等式が成り立つのかもしれない。心は〈霊性〉にも支配されている。
仙田満ほか『子どもが道草できるまちづくり』学芸出版社 2009年
p19
//子どもの体づくりの観点から「第七感」として筋肉感覚を加える主張からしても重要である。//
※椎名文彦の執筆。引用先://「しかし、今やもう一つその次の感覚器官としての筋肉感覚がにぶくなっているのです。私たちはこれを第七感まで鍛えようと提案しているのです」(正木健雄著『やる気のおこるからだづくり』芽ばえ社、1985年、p134)
p20
//五巻の発達を培い、「第六感(見当をすばやくつけるなど直感的な感覚)」の訓練を促していく。//
※椎名文彦の執筆。
人間は「視覚」を優先
『山極寿一×鎌田浩毅 ゴリラと学ぶ』ミネルヴァ書房 2018年
p191
//〔鎌田浩毅〕ぼくがいちばん関心があるのは、先生の霊長類学から見て、「人間の特殊性」って何なのかってことなんです。
〔山極寿一〕人間の特殊性というのはね、人間は視覚的な動物だということですよ。これは爬虫類でもない、両生類でもない、やっぱりサルだということですね。人間の五感というのはいまだにサルの域を出ていないとぼくは思っています。それは類人猿でもそうで、サルの域を出ていないというのは、つまりサルは夜行性から昼行性に変わったわけですが、そのときに、社会、世界を認知する新しい仕組みを手に入れたわけです。要するに嗅覚を減退させて視覚を発達させた。人間のもっている五感のうちで、いちばん信用するのは視覚なんです。次が聴覚で、嗅覚、味覚、触覚なんです。//
※視覚>聴覚>嗅覚>味覚>触覚の順。信頼関係は、この逆で、最優先が触覚。
//〔鎌田浩毅〕触覚が最後ですか、ふーん。
〔山極寿一〕但し、人間関係において信頼をつくるのは逆なんですね。触覚がいちばん重要。次が味覚で、嗅覚、聴覚、視覚。ということは、要するにいちばん騙されやすいのは視覚だということです。視覚でもって人は人を騙すわけです。但し真偽を判定する確かな証拠をつくりやすいのも視覚なんです。人間はそういう世界に生きている。したがって人間のコミュニケーションもそういうふうに出来ているわけで、われわれは世界を認知するのに視覚的な証拠を求めるけれど、人間どうしの関係を作るには、例えば手を握り合う、抱き合うという方が相手を感じやすい。あるいは一緒の食事をする、同じ味覚を味わう、同じ匂いを嗅ぎ合う、味覚、嗅覚、触覚というのが一体化していますよね。そこの中で信頼感というのを醸成するわけです。//
p193
//〔鎌田浩毅〕サルはやっぱり目がメインで、リアリティは目による視覚を使っているんですか?
〔山極寿一〕リアリティは視覚を使っています。//
……
//〔鎌田浩毅〕ラジオが発達し、テレビが次にというのは必然の結果なんですね。//
……
p194
//〔鎌田浩毅〕それは音ではなくてね、五感でいえば気は第六感のようなものですが。それって霊長類学者としてはどう捉えますか?
〔山極寿一〕十分あると思いますよ。//
2024.8.12Rewrite
2020.5.19記す