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今、何時?

 「いまナンジ?」──時間を気にするようになるのは、いつからだろう?
 小学校に行くとき、始業時間を気にするようになるだろう。保育園や幼稚園は連れられて行くから時間を気にしない。中学生や高校生になれば、遅刻を意識する。
 登校後、次に気にするのは放課後だ。子どもの頃は、校内にいるときから、(きょうは誰と遊ぶ)(何して遊ぶ)と放課後を楽しみにしていた。学業の時間割とは異なり、放課後には「自分の時間」があった。一日は、長かった。

 「あと何回寝たら死ぬの?」と衝撃的な質問を受けた。ショックを抑えて、指を折った。「イチ、ニ、サン、シ、ゴ」。次に、指を開いて、「ロク、ナナ、ハチ、ク、ジュウ」。まだ片方の手がある。「ジュウイチ、ジュウニ、……」。「……、ジュウク、ニジュウ」。指が無くなったので、「ニジュウかなあ」とこたえた。指先を見つめていた少女は、「ふーん、ニジュウ?」と納得してくれて終わったようだ。

 卒業してからの次の進路を考え「させられる」ようになるのは早くても小学高学年になってからだろう。中高になれば、促されなくても自分で意識するようになる。中高それぞれの3年間は早かった!

 信頼関係があり、処世術をいろいろと学んだH氏(会社社長)から「50年先の計画を立てなさい」と25歳頃に勧められた。(とんでもない)と思ったのだが、それでもなんとか計画してみた。20年ごとに(自身の)未来予測をし、最終段階では海外へ(?)とぼんやりしたようなことを考えていた。うそから出たまこと、今、アイルランドに孫がいる。
 今では、宇宙開闢(かいびゃく)から悠久(ゆうきゅう)の「とき(時間)」を考えるようになった。孫の世話をしながら、(この子は22世紀まで生きるのだなあ)とつくづく思った。

 未来予測というものをわたしは好まない。科学的根拠がうすく、産業界・経済界で、あるいは資産家が、地位ある立場の覇権争いにすぎないと思えるからだ。「未来は明るい」という前提に立っていることが多い。そう思わせたいコントロールがきいている。「時間」を他者にまかせてよいものか。未来は自分で切り拓くという主体性が欲しい。

 今、何時?──と問いかけて、思うことを書いてみた。
 連想で、ミヒャエル・エンデ『モモ』(岩波書店 1976年)が脳裏をよぎった。時間をとりもどすファンタジー。一読をおすすめしたい。

2026.3.15記す

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