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写真の撮影地:兵庫県芦屋市
(参考)いのちが生まれた海、潮だまり

フリーテーマ・コラム tide pool 潮だまり

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紙版 pdf 1 : 2022.11~2023.4
紙版 pdf 2 : 2023.4~ 続刊

回転まぶし と ワイパー

 50年ほど過去のこと、1970年代の昔話。兵庫県の最高峰・氷ノ山(1510m)そしてスキー場で知られる鉢伏高原を南にする山村で、日本海にそそぐ矢田川の源流域。兵庫県美方郡美方町(現在は香美町小代区)。この地で学生時代、わたしは農村活動をしていた。1年を通して1か月程度はここにいた。泊めていただいたのは農家(民家)。
 但馬牛(地元では、黒牛と呼ぶ)の産地で、ここで子牛を育て、6か月まで成育すると市場に送られる。子牛を育て、各地の肥育畜産地に渡る。それが、神戸牛、松阪牛、淡路ビーフなどとして名高い。当地を訪ねるさらに過去、すべてといってよい農家は、牛とともに生活していた。有畜農家である。村ごとに共有する放牧場があり、子ども(小学生)は登校する朝、子牛を放牧場に送り出してから登校した。放牧場までは相当な距離があった、すぐ近所というわけではない。下校してからも子牛を我が家に連れ戻した。
 家屋の大事なスペースは牛小屋だった。そして、二階というより屋根裏は、お蚕(かいこ)さんの住まいだった。牛や蚕に囲まれ、その匂いは生活に浸みていた。スキー民宿で二階の部屋に案内されることが多い。そこは昔、蚕室(さんしつ)だった。

 蚕室は、蚕を飼っている飼育場だが、食糧の桑もたくわえられていた。牛の乾し草もいっぱい積まれていた。屋根裏とはいえ、おとなが立てるほどの空間があった。
 初めて桑の実を食べたのも、この地だった。地元の人に案内されたとき、その男性は「(木が)大きくならないと実はならない。口のなかを紫にしたものだ」と笑った。桑の葉を刈り取るため、高木にしないで低木で剪定管理する。剪定した低木ではなく、大きくなった木に稔るらしいのだ。6月初め、桑の実を食べる機会に出会うと、有畜農家の暮らしとその厳しさを想像してしまう。

 当時(1970年代)でも養蚕を維持している職場があった。そこは、生活家屋からは分離され、独立した蚕室になっていた。蚕室に入ると、ムッとする静止した空気を全身に感じた。蚕が桑をかじる音がする。おどろいた。
 大きく成長した蚕は、やがて繭(まゆ)をつくる。繭をつくるとき蚕室では「まぶし」を用意しておく。藁で編まれた「まぶし」は三角錐(さんかくすい)のかたちが器用に並べられている。ところが、1つの三角錐に1つの繭が基本だが、2つ入ることがある。すると繭が小さくなってしまう。これでは生糸の生産性が低くなる。これを改良する「回転まぶし」に出会った。この言葉を覚えているのだが、実際の、機器のようすを思い出せない。

 繭になる直前(終令)の幼虫は大きくて重い。「回転まぶし」の三角錐に幼虫が入るとその重みで回転する。空室に幼虫を誘導し、重複して入らないという工夫だ。すべて手作りの道具だ。すばらしい。人間の知恵に感動した。

 唐突だが、飛行機運転席の窓は、クルマと同じワイパーがつけられている。回転まぶしに出会って感動したその瞬間(とき)、なぜか飛行機のワイパーを連想していた。

2024.5.1記す

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